断章519

 「インテリとは、自負すればするほど一度染められた考えに縛られる性向を持つ」(塩野 七生)。

 日本共産党・不破 哲三たちはどうだろうか? 

 

 不破が講演した「民主青年同盟、秋の大学習集会」は、1974年10月に東京・武道館で開催された ―― 同じ1974年2月、「『収容所群島』を書いたソルジェニーツィンは、逮捕されてレフォルトヴォ監獄に拘留された。翌13日、ソ連刑法第64条『国家反逆罪』でソ連市民権を剥奪され、8名の国家保安委員会(KGB)職員の護送で行き先も告げられず飛行機に乗せられて国外追放された。これは1929年のトロツキー以来のことであった」

Wikipedia)。刻一刻と、世界中の誰の目にも旧・ソ連の本質が明らかになりつつあった頃である。

 ところが、不破 哲三は、現実に目をつむりソ連を擁護して、講演でこんな話をしている。

 「統計によると1920年にロシア全国で作られた銑鉄の量は、わずか1万6千トンだったといいます。そこから出発していまのソ連社会主義が生まれたのです。(中略)

 それだけおくれたところから出発したソ連が、第二次世界大戦の前に西ヨーロッパのどの国をも追いこし、そしていまでは、アメリカについで世界でニ番目に大きな経済力をもっている国になっているということこそが、いわば社会主義の驚異的な成果であります」。

 日本共産党・民青青年同盟では、こんな現象論がまかりとおったのである。銑鉄や石炭や電力の生産量で経済的社会構成について語るとは!

 

 旧・ソ連では、生産ノルマの達成こそが重要で、製品の品質などはどうでもよかった。だから、名目上の銑鉄の生産量がどれほど大きかろうと、その銑鉄の品質は、欧米・日本では鉄スクラップ同然に扱われる程度のものだった。合金成分の添加、組織の制御などを行って、一般構造用圧延鋼材よりも強度を向上させた高張力鋼などを作ることはできなかった。

 

 わたしは、旧・ソ連は、「マルクス・レーニン主義スターリンの特色あるマルクス主義イデオロギーを奉じる特権的党官僚が支配する赤色全体主義体制であり、経済メカニズムはノルマと配給の軍国主義的官僚指令経済であった」と定義する。

 ソ連で人口(じんこう)に 膾炙(かいしゃ)したアネクドート(小咄)の質疑応答形式のひとつにいう(出典は断章518に同じ)。

  Q:『資本主義を説明せよ』。

  A:『それは、ある人が他の人によって搾取されることである』。

  Q:『それでは、社会主義ではどうか?』。

  A:『資本主義とは反対に、ある人が他の人を搾取することである』。

 

 旧・ソ連の近代化(重工業化)は、この軍国主義的官僚指令経済と大飢饉(注:ウクライナの飢餓を見よ)をもたらした農業集団化による農民からの強奪によって実現された。しかし、この経済システムをエンジンにたとえるなら、“蒸気機関”のように鈍重で効率が悪く煙で目がしみるような代物だった。コネとワイロ、袖の下と裏経済が“潤滑油”で、兵器生産だけが得意だった。

 自由な市場経済は許されなかった。官僚指令経済が長い間つづいた結果、市場経済とはどんなものか、誰も理解できなくなった。

 「ソ連の崩壊の約2年後、私はサンクト・ペテルブルクのパン生産を指揮する立場にあるロシアのある高級官僚と話したことがある。『我々が市場制度への移行を切望していることを理解してほしい』と彼は私に言った。『しかし、その制度の仕組みに関する基本的なところを詳細に理解する必要があるんだよ。たとえば、教えてほしいんだが、ロンドンの全人口にパンを供給する責任者は一体誰なんだね?』と質問された」(笑い)と、P・シーブライトは書いている。

 

 1974年、不破は、「いままでに地球上に14の社会主義国が生れました」とか「もっとも発達した社会主義国であるソ連」を講演のなかでもちあげた。

 ところが、2012年、日本共産党・志位委員長は党の「綱領教室」で、「崩壊したソ連社会主義とは無縁であり、日本共産党はその誤りと自主独立の立場でたたかい抜いたことを語ることが重要です」とあっけらかんと言い、党員たちもあっさり納得したのである。

 

 日本共産党は、誤りを認めない無謬(むびゅう)主義や閉鎖的な体質から脱却できるだろうか? 

 できない。なぜなら、「科学的社会主義」(用語はもっともらしいが、マルクス・レーニン主義の修正版)を奉じる日本共産党は、自らの無謬性にこだわって過ちを決して認めず、事実の改ざんや隠蔽(いんぺい)も辞さない党機関員(党中央・常任)たちが支配しており、しかも、彼らの“党信仰”は、議員や専従としての地位(生活)と固く結びついているからである。