断章555

 「『何をなすべきか?』(レーニン)は、20世紀の政治的古典である。

 『何をなすべきか?』については、地下政党を運営していく技術を詳しく実際的に書いた青写真を提出したものという大きな誤解がある」と、ロバート・サーヴィスは言った。

 『何をなすべきか?』の核心は、ぶっちゃけ、「日和(ひよ)ってる奴いる?」、「いねえよなぁ!!?」と、ロシア・アベンジャーズに向けて〈檄を飛ばしている〉ものなのだ。

 

 「『何をなすべきか?』での「レーニンの文章のいくつかは(ロシア国内の活動家にとって)特に魅力的であった。例えば彼は言う、『われわれに革命家の組織を与えよ、さすれば全ロシアを転覆させてみせよう』。

 このような調子でどんどん彼は論じていった。そして仲間の活動家たちを元気づけ、その気にさせていた。彼らがどのような困難を体験していようとも、自分は彼らのことを理解しているということをわからせていった。しかも彼は、彼らが素晴らしい結果を生み出すことを期待していた。『奇蹟』はロシア・マルクス主義者の手の届くところにあるのだと、彼は明言した。合理性が行きすぎるのはよいことではない、『われわれは夢をもたねばならない』と。

 このようないわば〈折伏の言葉〉を、彼以前にはロシア帝国マルクス主義者の誰も語ったことがなかった。それは、名文家として知られた人の言葉ではない。彼の文章は決して流麗なものになることはなかった。しかし、そんなことは彼にとっても支持者にとっても重要なことではなかった。彼のゴツゴツした文法と構文が、活動家たちにレーニンを身近に感じさせた。彼らには、当たりさわりの多い彼のレトリックは、必要かつ実際的な戦闘性の現れであった。美しい言葉や優雅な議論は、ロマノフ王朝を転覆させるのに最重要の要件ではなかった。

 レーニンと彼の支持者は、政策をしっかりした知的土台の上にすえたいと思っていた。しかし、彼らに知性が重要であったとしても、行動 ―― 非妥協的な革命行動 ―― もまた同じように重要であった。そしてレーニンの粗けずりの言葉遣いは、彼らに訴えかける力を持っていたのである。

 彼が民主的手続きを『有害なおもちゃ』と呼んだとしても、とりたてて問題にすべきことではない。彼はロシア帝国の地下の政治組織で活動し、自分が何をしようとしているかを知っていたのだ。彼の論争的な態度が、彼のもっと穏健な論敵の議論を不当に歪めるものであったとしても、それがどうだというのか。レーニンは、彼ら(活動家たち)のイデオロギー、宣伝活動、そして何よりも彼らの希望と不安に触れた。他の指導的マルクス主義者がまだ言及することのなかったものに言及できたのである。

 レーニンは地下の党を望んだ。オフラーナ(引用者注:専制の秘密警察)の追及を避けようとすれば、それ以外の道がありえたであろうか。彼は規律のある中央集権化した党を望んだ。それ以外に、ロマノフ王朝のロシアでどんな政党にしろ生き延びることができたであろうか。彼は、基本的なイデオロギーと戦略について統一した党を望んだ。その当時登場しつつあった他の政党から自党を区別しなければならないとすれば、それ以外の道がありえたであろうか。

 彼は、政治における重要な義務は先頭に立って進むことであると主張することによって、ロシア帝国内で活動している多くのマルクス主義者たちが感じているもっと深い必要性に応えていた。党中央の指導者は各地のグループを指導しなければならない。地方のグループは労働者階級を指導しなければならない。労働者階級は、帝政社会のその他の不満をもっている抑圧された人々のグループを指導しなければならない。これがすべて達成されたなら、ロマノフ王朝はもう救いようがないであろう。

 彼に敵対的でない読者にとっては、この小冊子の壮大さはいわば彼の指導力に対する讃歌であった」(ロバート・サーヴィス『レーニン』から抜粋再構成)。

 

【参考】

“リベンジ”は個人的感情のもとに復讐するというニュアンス。“アベンジ”は正義のもとに復讐する、制裁するというニュアンス。