断章336

 先週末、「23日のニューヨーク株式市場は、企業の業績が改善傾向にあることを受けて景気回復への期待から多くの銘柄に買い注文が広がり、ダウ平均株価の終値は最高値を更新し、終値として初めて3万5000ドルを超えました。(中略)

 ダウ平均株価の終値は前日に比べて238ドル20セント高い3万5061ドル55セントと9営業日ぶりに最高値を更新し、終値として初めて3万5000ドルを超えました。

 また、IT関連銘柄の多いナスダックの株価指数も上昇し、9営業日ぶりに最高値を更新しました」(2021/07/24 NHKニュース)。

 

 これを受けて連休明け26日(月曜日)の東京株式市場も買いが先行し、日経平均は442円高からスタートすると、朝方には前営業日比488.47円高まで上昇した。午後は戻り待ちの売りや、中国・上海株や香港株が大幅下落したこともあり、上げ幅を縮めて終った。

 

 注目すべきは、ソフトバンクグループ(SBG)である。26日、一時、7,077円の安値をつけた。今年5月の決算発表前の株価は、1万円台だった。そこからの下落である。

 SBGの2021年3月期決算は、純利益が4兆9879億円の黒字(前年は9615億円の赤字)で、国内企業で過去最高だった。売上高は前年より7.4%増の5兆6281億円だった(これまで国内企業で純利益が高かったのは、トヨタ自動車の18年3月期の2兆4939億円)。

 ニューヨーク市場との関わりが大きなSBGは、ニューヨークに連動して高値を更新してもよいはずでは? なぜだろうか?

 

 マーケットはよく間違う。しかし、株価には先見性があるともいう。資産価格(とりわけアメリカ)はバブルだと言われて久しい。だが、ブラック・スワンもグレー・リノもまだ姿を見せていない。にもかかわらず、SBGの株価は下落してきた。

 もしかすると、SBGの株価は、「炭鉱のカナリア」 ―― 「炭鉱のカナリア」とは、何らかの危険が迫っていることを知らせてくれる前兆をいいます。 これは、有毒ガスが発生した場合、人間よりも先にカナリアが察知して鳴き声(さえずり)が止むことから、その昔、炭鉱労働者がカナリアを籠(かご)にいれて坑道に入ったことに由来します(金融経済用語集) ―― なのだろうか?

 ブラック・スワンもグレー・リノもまだ姿を見せていないが、すでに足元には有毒ガスが発生しているのかもしれない。

 

 兆しは、ある。

 「新型コロナウイルスの感染再拡大、中国とドイツの大洪水に、南アフリカの港湾に対するサイバー攻撃。これらの出来事がまるで謀ったかのように相次いで発生し、世界のサプライチェーン(供給網)を限界点へと導き、ただでさえ脆弱な原材料、部品、消費財の流れを脅かしつつある。企業やエコノミスト、輸送専門家の間からはこうした声が聞こえてきた。

 感染力の強いインド由来のデルタ株はアジア各所で猛威をふるい、多くの国が貨物船の船員の上陸を禁止。これによって疲労した船員の交代ができずに勤務時間の超過者が10万人前後に達するという、昨年ロックダウンが最も厳格に実施された時期をほうふつとさせる事態になっている。(中略)

 世界貿易のおよそ9割を船舶が担っている点からすれば、船員問題は石油、鉄鋼石から食料、電子製品まであらゆるものの供給に混乱をもたらしていると言える。ドイツの海運会社ハバックロイドは現場について『きわめて厳しい。貨物船の空き容量は非常に少なく、空のコンテナは乏しい。いくつかの港湾やターミナルの稼働状況も本格的に改善していない。われわれはこれがおそらく第4四半期にかけて続くと想定しているが、先を読むのがとても難しい』と述べた。

 一方、中国とドイツの大洪水も、最初のパンデミックからまだ完全に復活していない世界の供給をさらに動揺させる要因だ。中国では洪水のせいで、夏の電力需要のピークに対応するために発電所が石炭を必要としているにもかかわらず、内モンゴル自治区山西省などにある鉱山からの石炭輸送が制約を受けている。(中略)

 供給制約は米国と中国に痛手を与えている。両国合計の国内総生産(GDP)は世界全体の4割を超えるだけに、世界経済の減速や原材料とあらゆる製品の価格上昇につながりかねない。IHSマークイットが23日発表した7月のアメリカ総合購買担当者景気指数(PMI)は4ヶ月ぶりの低水準にとどまり、年後半の成長は鈍化するのではないかとの観測を裏付ける内容だった。同社チーフビジネスエコノミストのクリス・ウィルソン氏は『短期的な供給能力問題が引き続き不安視され、多くの製造業とサービス業の生産を抑えるのと同時に、需要が供給を上回るのに伴って物価を押し上げている』と分析した」と、7月23日のロイター通信は伝えている。

 

 1873年頃のヨーロッパと北アメリカの金融危機。1929年にはニューヨーク発の世界大恐慌。1991年には日本のバブルが崩壊した。あたかも47年から60年を周期とする「コンドラチェフの波」に乗っていたかのようである。

 このシロウト考えどおりなら、次の世界金融恐慌は、製造業の世界的な重心の移動につれて、本来なら2040年なり2050年頃に、中国・上海市場あるいはインド・ムンバイ市場の大暴落で幕を切って落とされるはずだった。コロナ禍パンデミックが、少し早く口火を切ったのだろうか?

 景気停滞下のインフレは、やっかいなスタグフレーション金融危機になるだろう。

断章335

 最も温厚で最も残忍な種、ホモ・サピエンス。協力的で思いやりがありながら、同時に残忍で攻撃的な人間の特性は、いかにして育まれたのか?

 「第二次大戦中、強制収容所(引用者注:ナチス。付け加えれば旧・ソ連、中国、カンプチア、『北朝鮮』などなど)の職員たちは、・・・何百万人ものユダヤ人、ロマ、ポーランド人、同性愛者などを射殺したり、毒ガスで殺したりしたが、その行為の最中に加害者側はほぼ無傷だった。ホロコーストのような冷酷な計画的暴力に対して、われわれは『非人間的』というレッテルを貼りがちだ。しかし当然ながら、系統学的に見れば決して非人間的ではなく、むしろ完全に『人間的』なのだ。これほど計画的な手法で同じ種を大量に殺害する哺乳類はほかにいない」(『善と悪のパラドックス』)。

 

 出アフリカした現生人類の移住先には、ネアンデルタール人などの先住民がいた。

 「ほぼ30万年前近くヨーロッパと西アジアで繁栄したにもかかわらず、ネアンデルタール人はおよそ2万8,000年前に突然、姿を消した。繁栄をきわめたこの種が絶滅してしまい、アフリカからやって来た現生人類にヨーロッパの地を明け渡した」。「現生人類がネアンデルタール人と遭遇したとき、いったい何が起きただろうか」(橘 玲)。

  例えば、ヨーロッパ人が新大陸に上陸したとき、新大陸にはなかった天然痘や麻疹を持ち込み、アメリカ先住民が壊滅的な被害にあったのと同じことが起きたのかもしれない。

 「疫病に免疫のある人たちが免疫のない人たちに病気を移したことがその後の歴史の流れを決定的に変えた。スペイン人による新大陸遠征は、その後、コルテスのアステカ帝国征服(1521年)、ピサロインカ帝国征服(1535年)へと発展した。この二つの歴史的大転換の裏にも天然痘パンデミックによる先住民社会の衰退があった」(アジア経済研究所)。

 

 別の可能性もあり得る。というのは、「無秩序な世界で暮らす小規模社会の戦士は、今日私たちが出会う他者とは大きく異なる。戦士は、見知らぬ他人の武器や衣服や方言を手がかりに、その相手が自分の社会の一員か否か瞬時に判断できる。敵対する近隣社会のメンバーは真の意味での他者であり、おそらく人とはみなされない」。

 「男はみな狩人で、場合によっては戦闘員でもあるので、社会同士の接触で暴力が発生し、死亡する可能性は高かった」。

 戦士たちの「攻撃側は自分たちが負傷するリスクを最小限に抑えた奇襲を計画する。たいてい主要な目的は相手を殺害することだ。ライバルの人数と縄張りを縮小すれば自分の利益につながりやすい。そこには、将来攻撃される可能性の減少、近隣の資源へのアクセス向上が含まれるだろう。攻撃の動機が何であれ、近隣の集団が弱くなれば、殺害者たちは状況を改善したことになる」(ランガム2020を抜粋・再構成)。

 

 こんなことがあった。

 「野生のチンパンジーがゴリラを襲って殺す行動が初めて観察されたとして、ドイツの研究チームが学術誌に論文を発表した。研究チームはアフリカ中部ガボンにあるロアンゴ国立公園で、チンパンジー約45頭を観察していた。チンパンジーとゴリラはそれまで穏やかな関係を保つのが普通だったことから、獰猛(どうもう)な様子に驚いたという。(中略)

 『チンパンジーの存在が、ゴリラに致命的な影響を与えうることが初めて証明された』と研究者は解説し、理由については『チンパンジーとゴリラ、ゾウによる食料源の共有が争いの激化につながり、大型類人猿同士の致命的な関係につながったのかもしれない』と推測している」(2021/07/23 CNN)。

 

 「現生人類がネアンデルタール人と遭遇したとき、いったい何が起きただろうか」。

 「これについては多くの研究者が言葉を濁しているが、ダンバーは、わたしたちがネアンデルタール人の遺伝子をもっているのは、『配偶者のいない解剖学的現生人類男性による一種の略奪行為』の結果だと率直に述べている」(橘 玲)。

 オンナを奪った。オトコをどうしただろうか?

断章334

 現生人類(ホモ・サピエンス)はアフリカで20~30万年前に生まれ、6万年くらい前に本格的にアフリカを出たとされる。「アラビア半島沿岸部を伝って現在のイラン付近に至り、そこを起点に、インドから東南アジア、オセアニア方面にむかう『南ルート』、中央アジアを経由してアルタイ山脈、東アジア、北アジア方面に向かう『北ルート』、中東、ヨーロッパに向かう『西ルート』で世界に拡散した」(Wikipedia)。

 「『南ルート』の現生人類は、6万年前にオーストラリアへ渡ったと考えられ、オーストラリア北部で出土した6万年前の石器もこの事実を裏付ける。この場所に今でも残る神話が『創造主は海を越えて来た』という内容であることは大変興味深い」(出典不詳)。

 

 なぜアフリカを出たのか?

 冒険家であり人類学者の関野 吉春は、言う。

「私は人類の移動は獲物を追いかけているうちに起きたのではないかと考えていました。南米に到達した先住民は採集狩猟民でした。あの山を越えたら獲物や木の実があり、もっと豊かな生活ができるのではないかという向上心。山の向こうに何があるんだという好奇心。それらがあいまって最初は若者たちが様子を見に行く。いいところだと報告を受けると、じゃあ皆で移ろうと。そういう繰り返しだと思っていたのです」。

 「いろんな土地でいろんな人々を訪ねるうちに、それは違うのではないかと思うようになりました」。

 「もといた場所で人口が増えて食料が不足するなどし、誰かが出て行かなくてはならない状況になったのだと思います。南米大陸で人口圧が高まるとフエゴ島へ、さらに同様の事態がフエゴ島で起き、ナバリーノ島へと弱いひとたちが移っていった。こうしたことの繰り返しによって人類が世界中にひろがっていったのではないでしょうか」(『産経新聞』2019年の記事を抜粋・再構成)。

 

 今日でも、アフリカでは、多くの人が自国を逃げ出し難民となっている。2019年現在、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によるとアフリカの難民は2,421万人と推定され、世界最大規模の多さである(例えば、中央アフリカ共和国はアフリカの中でも紛争に苦しんでいる国の一つである。国内に14もの武装勢力が割拠しているという)。

 中南米からは、アメリカに向かう移民・難民の流れが続いている。近代のアメリカ移民も、自国では食えなくなったからだった。例えば、1845年頃のアイルランド飢饉では、アイルランド人口の少なくとも20%から25%が減少し、10%から20%が島外へ移住した。約100万人が餓死および病死し、主にアメリカやカナダへの移住を余儀なくされた。また結婚や出産が激減し、最終的にはアイルランド島の総人口が、最盛期の半分にまで落ち込んだ」(Wikipedia)。

 移住・移民・難民の背景にあるのは、アフリカや中南米の人口増大圧力である。例えば、1989年~2019年に至る人口推計値を見ると、ニジェールは749万人から2,331万人へ。チャドは、553万人から1,595万人へ。前記の中央アフリカ共和国でさえも、295万人から474万人に増えているのである。

断章333

 「私たちはどこから来たのか。この気宇壮大な問いの魅力のわりには、ホモ・サピエンスが存在するようになった理由は驚くほど議論されていない。我々の種の起源をめぐる研究の大部分は、『なぜ』『どのように』ではなく、『いつ』『どこで』に焦点を当てている」(ランガム)。

 ここでは、「なぜ」「どのように」なのかを考え、絶滅したネアンデルタール人などと、生き延びたわたしたちの直接の祖先、ホモ・サピエンス(解剖学的現生人類)の運命を分けた謎を解き明かすために、橘 玲による『人類進化の謎を解き明かす』(ロビン・ダンバー2016)の紹介記事を一瞥しておこう。謎を解く鍵は、「社会脳」仮説と「時間収支(一日の時間のやりくり)」モデルである。

 

 ダンバーの「社会脳仮説とは、脳の機能の進化により現生人類がより大きな社会ネットワークを形成できるようになったという仮説である」。「時間収支モデルとは、1日24時間のうちで睡眠を除いた時間から、さまざまな工夫によって移動や摂食、休息時間を減らし、その分を毛繕(つくろ)いなどの社交に回した現生人類だけが絶滅を免れることができたという仮説である」。

 「何が現生人類とネアンデルタール人の運命を分けたのか」。

 「現生人類では前頭葉と側頭葉が大きくなったのに対して、ネアンデルタール人では感覚系と後頭葉が大きくなった。この結果、現生人類は社会的認知能力が大幅に増加し、維持できる共同体の規模は劇的に36パーセント増加した。・・・彼ら(ネアンデルタール人)の脳は全体から見れば不釣り合いなほど視覚に特化したために、社会認知にきわめて重要なはたらきをする脳の前方領域がおろそかになったのだろうか?」。「現生人類が気候(寒冷化の)ストレスの条件下でネアンデルタール人がたどった(絶滅という)運命を避けられたのは、おもにより大きく機能的な脳のおかげでより大きな交易ネットワークをもつとともに、文化的により創造的だったからかもしれない。ネアンデルタール人の共同体規模が同時代の現生人類のそれ(150人)よりかなり小さかった(ほぼ3分の2)のみならず、交易したり原材料を交換したりした距離が一桁小さかった。より広い地理的地域をカバーする大規模な社会ネットワークがあることによって、現生人類はネアンデルタール人には手の届かなかった友人の助けを借りることができ、局所的絶滅を免れたのかもしれない」。

 

 あるいは、「考古学者カーティス・マリアンによると、ホモ・サピエンスの3つの特徴が文化的技能の蓄積に役立った ―― 知能の高さ、高度な協調性、そして他者から学ぶ『社会的学習』能力が高いことだ。(中略)

 この能力の組み合わせは食糧生産の飛躍的な向上によるものだとマリアンは推測する。

 彼の考えでは、ホモ・サピエンスより前の人間は、チンパンジーのように小集団で散らばって暮らしていた。やがてある集団、可能性としてはアフリカ南部の海岸で暮らしていた集団が、狩猟採集の高い能力を身につけ、食糧供給がはるかに向上した。彼らは自然に数を増やし、やがて食べ物のために争いが生じ、集団同士が最良の土地をめぐって闘うようになった。戦闘での勝利が不可欠になったことから、集団と集団が同盟を結び、今日の狩猟採集民のような大集団が生まれた。各集団内で戦士たちが協力することは、勝利するうえできわめて重要だったので、それが人間の例外的な相互援助の基礎になって進化した。社会は複雑になり、学習はますます不可欠になり、文化は豊かになった」(ランガム2020)。

断章332

 「人間はいつも競合する集団を作ってきた。それぞれの集団において、個人は仲間の援助や保護に頼っている。つまり、その集団に属する男女にとり、結婚して子供を産み、遺伝子を伝えていくには、集団は絶対に存続しなければならなかった。

 互いに協力して、まとまっていれば集団はますます生き延びていくことができる。互いの力を寄せ合う能力、つまり結束力は集団固有の文化に依存していて、その文化には言語や宗教、そして芸術も含まれている」。

 

 「互いを護るためにサバンナで協力することを学んだとき、人類は社会的認知のための生態的地位(ニッチ)を生みだした。次の数百万年のあいだ、より大きくなる社会的認知能力を活用・利用する新たな方法(引用者:火の管理など)を発明し続けた。

 600万年のあいだに起きた人類の脳の拡大について考えると、それがとてつもない物語であることに気づくはずだ。チンパンジーの脳の重さはおよそ380グラム。サバンナで懸命に生き抜いてきた300万年の間に人類の身体は大きく変わった。それでも、アウストラロピテクス・アファレンシスの脳の重さはおよそ450グラムで、チンパンジーよりわずかに大きい程度でしかなかった。さらに150万年早送りして、ホモ・エレクトスの時代が来ると、その脳はアウストラロピテクスのおよそ2倍の960グラムまで成長した(ただし身体もかなり大きくなったので、相対的に見ると劇的な変化とまではいえなかった)。その150万年後に活躍しはじめたホモ・サピエンスの脳の重さは、平均すると1,350グラム。つまり、チンパンジーホモ・エレクトスの脳を足した重さだ。

 さらに、他者の経験から学ぶことができるという能力こそがホモ・サピエンスに大きな“地の利”を与え、それまでの発見の基盤の上に新しい戦略とイノベーションが築かれていった。

 熱帯雨林を離れてからごく最近まで600万年ものあいだ、人類は狩猟採集民として暮らし続けてきたが、世界におけるわれわれの地位は、大いに変わった。協力と分業によって広がった能力は、他の動物の餌食にすぎなかった人類を頂点捕食者へと押し上げた」(ヒッペル2019の抜粋・再構成)。

 

 その後、「わたしたちの直接の“ご先祖様”にあたるホモ・サピエンスの個体(または集団)は、住み慣れたアフリカの大地を離れ、出アフリカをする」(池尻 武仁2018を抜粋・再構成。以下同じ)。

 「出アフリカの原因には、おおまかに以下の仮説があるようだ。(1)「環境の激変」によってやむなく逃げ出した。(2)他の人類の種や集団との「生存競争」を避けるため。(3)「餌となる獲物」(大型哺乳類など)を追い求めた。(4)ライオンなどの捕食者から逃げるため。(5)偶然、気まぐれに『好奇』に導かれての移動。但し、あくまで仮説である。そして、研究者によって意見もかなり分かれている」。

 「『環境の激変』の仮説に関して、一つ興味深い論文を見かけた。2007年にScholz等によって発表されたアフリカ東南部に位置するマラウイ湖の太古環境の研究は、13万5000年から7万5000年の間にかけて、水深が(現在と比べて)600m近く下がった時期があったことを示している。この水深の低下は湖全体の水量の95%が失われた計算になる。一連のデータから、氷河期の終わりにあたるこの期間、アフリカ東部は『大規模な旱魃(かんばつ)』に襲われていたと考えられている。つまり初期の人類はこうした過酷な環境を避け、より食料の豊富な場所 ── いわゆる新天地 ── を求め、ユーラシア大陸へやむなく移動してきたというわけだ(引用者注:モーセに率いられたユダヤの民が出エジプトをする契機にしたのは、エジプトでの『十の災い(とおのわざわい)』だったという)」。

 しかも、移動先の「地域にはすでに先住者(または競争相手)がいたはずた。例えば、ネアンデルタール人やデニソワ人が。新参者であったホモ・サピエンスは出アフリカ直後、かなり過酷な生存競争を勝ち抜く必要があったのではなかっただろうか?」。

断章331

 現代の森に住む小共同体はどうだろうか?

 「ダニ族はニューギニアの隔絶された高地に住む典型的な部族で、集団内の平穏とよそ者の殺戮が共存していた。ニューギニアの別の部族であるバクタマン族のすべての共同体は、不法侵入者を許さず、たいてい暴力で応じた。領地をめぐる争いは深刻で、彼らの死因の三分の一はそれが原因だったが、村のなかでは暴力が厳しく統制され、『殺人は考えることも拒否された』。それは、パプアニューギニア中西部のタガリ川流域で暮らすフリ族でも同様だった。敵は威嚇するが、自分の村のなかでは決して暴力をふるわない」(ランガム2020)。

 男たちは戦う。部族のため、村のため、生存のために。

 

 部族の戦いを見て、わたしは、「大阪戦争」の「大日本正義団」を思い出した(あの頃、現場事務所にはいつも『週刊アサヒ芸能』の最新号があった)。

 Wikipediaの「吉田 芳幸」にはこうある。

 「松田組系村田組の大日本正義団の初代会長の弟として活躍。日本の覚せい剤の9割を売買していたと言われる。23歳にして豪邸を建てる。

 1975年に大阪日本橋の路上で、大日本正義団の初代会長の兄・吉田 芳弘(当時36歳)が、三代目山口組系佐々木組組員2人組に射殺される。急遽、兄の後を継いで、二代目会長になる。

 佐々木組の上部組織である山口組三代目組長・田岡 一雄に復讐をするために、3年間、田岡の行きつけの京都のナイトクラブ『ベラミ』に部下を派遣し偵察させ、ベラミの近くにマンションを借りて殺害計画を立てる。1979年、ヒットマンの鳴海 清が田岡組長に発砲する。田岡は一命を取り留める」。

 構成員は戦う。親分のため、一家のため、代紋のために。

 他集団からの侮りを許さないために、メシの種である「シマ(縄張り)」を守るために、構成員は“協力”して戦う。計画を立てる者。見張りをする者。銃器を入手する者。資金を集める者。その覚悟、その協力(分業)は ―― やがてはヤクザらしくグズグズになったにしても ―― 、昨今のヌルイ「左翼」には及びもつかないものだった。閑話休題

 

 「狩猟採集民の生活は予測不可能なものであり、現代のもっとも危険な都市よりもはるかに殺人率が高かった。狩猟採集民の生活は牧歌的でお気楽に見えるかもしれないが、実際には、今日の世界一物騒な街のいちばん治安が悪い地域に住むよりも危険だった」(ヒッペル)。

 

 これが現実である。にもかかわらず、太古の森林生活にあこがれをもつ人間(ヒト)は、美しい森にいざなわれる。「そうだ、八ヶ岳に山荘を建てよう」と、本が売れた「左翼」インテリは思う。

 しかも、「人口が少なく自然が豊かでさえあるなら、狩猟採集民のほうが(引用者:農耕民よりも)少ない労力で多くの食料を得られる場合が多いらしいことが、考古学や文化人類学の調査によって明らかになってきている」(中川 毅2017)。

 そして、「原始的な生活形態が、ある種の羨望を込めてユートピア的に語られる」(同上)ことになる。「原始共産制」のポエムが(笑い)。

断章330

 現生人類の誕生や移動については、まだまだ新発見と研究が継続中である。

 さしあたり、「あなたとわたしはチンパンジーのような生き物の子孫であり、その生き物は6~700万年前に熱帯雨林を離れてサバンナに移り住んだ」(ヒッペル2019)。

なぜ移り住んだのか?

 ある人はチンパンジーたちに負けて熱帯雨林を追い出されたのだと言い、別のある人は勢力拡大のために自ら積極的にサバンナに進出したのだと言う(エデンの園から追放されたからだと言う人はいない)。

 初期のヒト族(ホミニン)の身体は小さく、「かつて東アフリカを闊歩していたライオン、ヒョウ、剣歯虎のようなネコ科の大型食肉獣にとっては恰好の餌食となる」(同前)。

 そんな彼らがどうやって生き延びたのだろうか?

 ヒッペルは、「サバンナに生息するチンパンジーやヒヒの研究から得られたデータによって、人間の祖先がサバンナで生き残れたのは“用心深さ”のたまものだった可能性が高いことは明らかだ」。さらに、「彼らは石を投げていたのではないか? 集団でたくさんの石を投げることができれば、とりわけ効果的だったはずだ」という。

 ヒッペルは、これを「石投げ仮説」と呼ぶ。ヒッペルは、「歴史的な記録もまた投擲が驚くほど有効だったことを指し示している。ヨーロッパの探検家と先住民の間の遭遇については数多くの記録が残っているが、その後に起きた紛争のなかで先住民たちが用いた武器は石だけだったという。ヨーロッパの探検家たちの多くは鉄砲や甲冑を駆使して戦いに挑んだが、たびたび負けるどころか、惨敗することさえあった」として、人類学者のバーバラ・アイザックの論文で引用された3つの歴史的説明を掲示している。そして、「この石投げ戦略を成功に導くためには“協力”がカギとなる」というのである。

 

 「ホモ・エレクトスはゾウのような大型動物やウマのような俊敏な動物をうまく狩っていたと考えられ、その過程で彼らが分業を利用していた可能性はきわめて高い。(中略)

 イスラエルガリラヤ湖の北のヨルダン川沿いにあるゾウの解体現場の発掘では、一頭のゾウの死骸のまわりで9本の手斧が見つかった。さらに、木枝をテコとして使ってゾウの頭蓋骨を上下逆さまにひっくり返し、脳(貴重な脂肪源)を取りだしていた形跡があった。

 背骨から頭蓋骨を切り離して裏返すためには、数人のホモ・エレクトスが一緒に作業し、不規則な形の重い頭の動きをコントロールする必要があった。もし木枝が実際にテコとして使われていたとすれば、ホモ・エレクトスが数人でテコを押し、別の数人がバランスをとりながら頭をまわしていたことはほぼ間違いない。

 すぐれた意思疎通と協力体制がなければ、この作業がうまくいく可能性はゼロに近い。同じ発掘現場では、木の実を割るための場所、石を削るための場所、貝を処理するための場所の痕跡も見つかった。現代にたとえれば、担当ごとに屋台を設置するかのごとく、それぞれの作業は異なる場所にきっちり割り振られていたというわけだ。(中略)

 分業によって人類に新たな黄金時代が訪れた。共同活動による成果は、個人による努力の合計よりもはるかに大きなものだった。分業は集団に『創発特性』(個々から構成された全体が個々には見られない特性を持つこと)をもたらし、そのことが集団をかつてないほど効率的かつ強力にした」と、ヒッペルは言う。

 

 人間(ヒト)は、生き延びるために“協力”した。横取りするために“協力”した(横取りした美味い肉にありついて味を占めたに違いない)。獲物を狩るために“協力”した。やがては、異なる別の(ヒト)集団と戦うために“協力”する。