断章292

 龍虎相食む帝国主義の時代に、植民地・後進国に突き落されまいと、明治維新を成し遂げた日本は、近代化・現代化に向かって突進した。突き動かしたものは国家・民族存亡の“危機意識”であり、発展の土台となったものは庶民の“勤勉革命”だった。

 ―― 「勤勉革命とは、江戸時代農村部に生じた生産革命である。産業革命が資本を利用して労働生産性を向上させる資本集約・労働節約型の生産革命であったのとは対照的に、家畜が行っていた労働を人間が肩代わりする資本節約・労働集約型の生産革命であり、これを通じて日本人の『勤勉性』が培われたとされる。(中略)

 勤勉革命を通じて土地生産性は向上する。耕地1反あたりの実収石高(全農業生産物を米に換算した生産高)は江戸時代初期においては0.963石であったのに対し、江戸時代を通じて右肩上がりで増加を続けた結果、明治初期には1.449石に達している。米生産に限ると明治初期の1878~82年頃では1ヘクタールあたり2.53トン(1反あたり1.69石)で、これは実に70~80年後の他のアジア諸国の生産高に匹敵もしくは上回る水準であった」(WIKI)。

 

 “勤勉革命”で庶民が身に着けた道徳(エートス) ―― 共同体で遵守される慣習や慣行により共同体で共有される意識や実践 ―― は、「左翼」知識人からは“通俗道徳”だと鼻先でせせら笑われた。しかし、「左翼」知識人の高尚な“ご高説”が、お化粧を落としたスッピンの素顔では、ごく普通の庶民が本を読まずに学ぶ“通俗道徳”とさほど変わらない、ということがよくあるのだ。例えば、「力なき者には多くを与え、力ある者には多くを課する」という《原理》などがそれである。

 

 21世紀の日本人のナショナル・アイデンティティの基礎には、「雨にも負けず 風にも負けず」や「野に咲く花のように 風に吹かれて 野に咲く花のように 人を爽やかにして」と言う日本の庶民のやさしい“心ばえ”があってほしいと、わたしは思う。