断章491
「人口爆発、環境汚染、貧困拡大、温暖化……われわれ人類の行く末について、悲観的な予言を目にしない日はない。だが実のところ、いまこそは人類史の最高の時代なのだ。明日を暗くするかに見える問題も、多くは良い方向に向かっている」と、“合理的楽観主義者”を自称するマット・リドレーは言う。
これからの数年~十数年は、大混乱・大波乱・大変化の時代になると予感するネトウヨとしては、こうまで手放しの楽観はできない(老い先短いジジイは心配性なのだ)。
けれども、「30万年近く前にホモ・サピエンスが誕生して以来、人類史の大半で人間の生活水準は生きていくのがぎりぎりだった。それが19世紀以降に突如、平均寿命は2倍以上に延び、1人当たりの所得は地球全体で14倍に急上昇したのはなぜか?」
「19~20世紀に繰り返した恐慌と戦争によって中断され、かつ諸戦争や独裁のなかで大量の強制労働によって繰り返し逆転されてきたとしても、庶民生活が着実に向上してきたのはなぜか?」
映画で話題になった、現代韓国の貧困家庭の象徴である「パラサイト・半地下の家族」でさえ、ほんの200年前の李氏朝鮮時代の“奴婢”の暮らしに比べれば、天国ではないのか?
資本制社会の戦いの基本は、生産効率を高めて競争力のある価格で製品を販売することで勝つことである。「金まみれ」の世の中になった。
ところが、資本制以前の社会の戦いは、軍事的な競争において勝利を収めて暴力的に収奪すること、あるいは市場を経済外的な力で直接に支配することだった。「血まみれ」の世の中だった。
庶民は、「血まみれ」よりも「金まみれ」の方が、まだしも救われる。
なので、わたしは、岩井 克人のように、「いまや中国共産党ですら資本主義から逃れられない。チャーチル英首相はかつて『民主主義は最悪のシステムだが、これに勝るシステムはない』と言った。経済では資本主義がそうだ」(2009/01/06 朝日新聞)と考えている。