断章463

 「酒場政談レベルの世間知や道徳論による俗流資本主義批判」がまき散らされている。わたしたちは、“術語”(専門用語・テクニカルターム) ―― たとえば、資本主義 ――をはっきりと定義するか、さもなければ各術語について充分共通の理解をもった上で、議論をはじめるべきである。

 ところが、「俗流資本主義批判」や「道学者的資本主義批判」をする者、あるいは“資本主義”の“終焉”“終末”を安易に語る者たちは、そんなことはどうでもよいのである。原稿料・印税を稼ぐためには何でもありなのだ。

 

 かつてスターリン主義政治官僚(〇〇共産党を名乗っていた者たち)は、長い間、「資本主義の全般的危機」論を売り物にしていた。

 『日本大百科全書』によれば、「1928年のコミンテルン第6回大会で採択された『コミンテルン綱領』で最初に提唱された。その根拠として、(1)資本主義体制が最高で最後の発展段階である独占と帝国主義の段階に移行し、(2)この時代の諸矛盾の具体的な現れとして帝国主義諸国による世界市場の分割と植民地支配をめぐる帝国主義戦争が不可避なものとなる一方、(3)他方でこの帝国主義戦争のなかで1917年のロシア社会主義革命が成功し、また民族解放と反植民地闘争が高まり、世界的な広がりで社会革命の時代に入っていることが指摘された。

 ここで『全般的危機』の時代とされるのは、以上の歴史的認識とともに、第一次世界大戦後のヨーロッパ資本主義経済の長期停滞化傾向という経済上のそれにとどまらず、地球大に広まる社会主義革命運動や反植民地・民族解放闘争が資本主義体制の政治的、社会的、さらには文化的な危機と解体にまで拡大しているからである。

 また、これが『資本主義』の危機とされるのは、そこには生産の社会的性格と所有・取得の私的資本家的性格という資本主義の基本矛盾が、独占と帝国主義諸国間の不均等な発展によって敵対と戦争を不可避とするまでに拡大し、この矛盾は結局社会主義革命による以外は解決しえないからである、とされた。

 その後、ソ連の指導者スターリンは、1930年代の世界恐慌と続く第二次世界大戦の時代を踏まえて、(1)新たに東欧と中国に人民民主主義革命が成功し、社会主義体制が世界体制へと移行し、(2)民族解放運動が一段と広まり、植民地支配体制が大きく後退していること、(3)帝国主義国家内部でも労働者階級の革命運動が高揚し、崩壊の度を高めている資本主義世界は、国家による経済的・政治的・軍事的支援への依存を強め、いわゆる国家独占資本主義へ移行していること、などをあげて、資本主義は全般的危機の第二段階へ進んだ、と述べた。

 さらに1960年のモスクワにおける81か国共産党・労働者党国際会議において採択された『声明』(モスクワ声明)は、(1)キューバ革命ベトナム人民の勝利などに示されるように社会主義体制が一段と前進し、(2)植民地支配体制の崩壊と政治的独立を達成した『第三世界』が独自的発展の道を歩みだし、(3)他方、資本主義体制内部では西ヨーロッパ諸国(とくにEEC)や日本などの発展による競争と対立が広がっていることをあげ、後退する資本主義体制と発展する社会主義体制という世界史の動きのなかで、両体制の『平和共存』の可能性が出てきているとして、全般的危機は第三段階に入ったと指摘した」。

 

 共産党と同伴者たちは、この「全般的危機」論に踏まえて、“資本主義”が恐慌・不況に落ち込むたびに、ほくそ笑みつつ、「それ見たことか」「資本主義は終わった」と、はやし立てたのである。ところが、10数年経つと、“資本主義”はまた好況期を迎え、社会は以前より便利に、あるいは豊かになったのである。一方、「社会主義体制」は、終焉した。

 

 それでも、“資本主義”の世界的な大混乱・大波乱・大変化は、間違いなくやって来る。

 そして、また目を見張るような新技術・新制度・新生活スタイルによって新時代が拓(ひら)かれるまでは ―― とはいえ、単純素朴で幸せな原始社会への回帰を夢想するようなユートピア思想が実現することは、決してない ―― 、勤労大衆の喜怒哀楽・阿鼻叫喚を気にもせずに大混乱・大波乱・大変化の荒波が世界を洗うのである。だから、来たるべき世界的な大混乱・大波乱・大変化に対して、(国も企業も個人も)準備しなければならないのである。