断章532

 日本共産党とは何か? ふたりの人生から見えてくるもの(その2)。

 ふたり目は、不破 哲三(ふわ てつぞう)である。

 志位委員長よりも不破 哲三が問題である。なぜなら、2023年2月23日付けの『現代ビジネス』によれば、「共産党の委員長を天皇にたとえるのは皮肉が過ぎるかもしれませんが、志位氏が天皇だとしたら、上皇としてまさに院政を敷くのが不破 哲三前議長(93)です。不破氏の考えに志位氏が反対することはなかなか難しい」 (共産党関係者)からである。93歳になっても、日本共産党28回大会で選出された常任幹部会委員26名(これが“党中央”である)のひとりであり、党附属社会科学研究所所長である ―― つまり、50年以上、党の幹部でありつづけている。

 日本大百科全書(ニッポニカ)によれば、「1953年(昭和28)東京大学卒業。1947年旧制一高在学時に日本共産党に入党した。大学卒業後、鉄鋼労連本部書記を1964年まで務め、同年3月からは党本部に移り、中央委員候補、中央委員を経て、1970年の共産党第11回大会で新設の書記局長に就任。同時に最年少40歳で常任幹部会員となった。1969年の総選挙で衆議院旧東京6区から初当選。……2000年(平成12)11月に党中央委員会議長となった。早くから兄耕一郎とともに宮本 賢治路線の理論的支柱であり、また党の顔として共産党の躍進に尽力した。2003年議員を引退。2006年党議長を退任。党付属の社会科学研究所所長に就任した。著書は多数あるが、1956~1957年に耕一郎との共著として発表した『戦後革命論争史』は(注:当時)党の批判を受け、1964年に絶版とした」。

 

 不破 哲三とは、スターリン主義の“ドグマ”(たとえば、「一国社会主義」論や「ソ連社会主義国家論」)を延々とプロパガンダしつづけ、さらに、「“社会主義国”にはいろいろ問題・限界があるけれども、世界史的に見ればまだ生成期にある社会主義ゆえの問題・限界だから、それをもって社会主義を否定してはならない。また、毛 沢東『文化大革命』後の中国の経済発展に見られるように、社会主義には大きな“復元力”が備わっている」と、紅色帝国主義・紅色全体主義体制を擁護し弁護した御仁である。

 

 不破 哲三は、齢(よわい)93にして、白を黒と言いくるめる口舌の巧みさによって今なお日本共産党に君臨し、鈴木 元は、齢78にして、今や一言多いだけのポンコツは御用済みと切り捨てられたのである。