断章499
普通の人(たとえば、凡愚なわたし)がそれなりにおだやかに暮らしていける社会。普通の人(凡愚なわたしたち)がくり返し夢に挑戦できる社会。より多くの人々が成功・繁栄・尊厳・幸福を手にする可能性の大きな社会。公明正大で慈悲深い社会。
かかる社会の出現は、ほぼ奇跡である ―― ある時代、ある地域に、近似的に出現しても、嫉妬する近隣他勢力にかならず侵略される。さらに、このような社会が出現しても、落ちこぼれる者は存在するだろう。
たとえば、「1899年に、シーボーム・ラウントリーは労働者階級の全世帯調査を実施して、およそ約3割が貧困線以下であること、貧困には2種類 ―― 心身を維持するのに必要な最低限の収入に不足する第一次貧困と、その収入は得ているものの飲酒や賭博などで浪費する第二次貧困 ―― があることを発見した。もし、人がみな合理的なら、収入の一部を支払って共済組合に加入して、将来の貧困の危険を防止するはずが、実際には、それだけの収入がありながら、共済組合に加入せず(あるいは加入しても飲酒や賭け事で組合費を滞納して除名され)、集団的自助からこぼれ落ちてしまう者が無視できないほどに多いことを発見した」。飲酒や賭博や趣味で浪費する、これもまた、“現実的諸個人”である。
こうした“現実的諸個人”が構成する社会(=世界)を「完全に解明しつくした。この社会の真理をつかんだ」と豪語するのが、マルクス主義である。レーニンは、さらに、「マルクス主義は真理であるがゆえに全能である」とまで言った。
真理をつかんだと思った人間は、それを知らない人々は遅れているのであり、真理を知らせ、啓蒙してやらなければならないと思う。マルクス主義者や自称「知識人」リベラルが、やたら「上目線なお説教」をするのは、そのせいである。
真理をつかんだと思った人間たちが権力を握れば、真理をつかんでいない人たちに言うことを聞かせる義務が生じる。公認イデオロギーで“洗脳”する。それでもダメなら、ギロチンにかける、銃殺する、強制収容所に入れる義務が生じる。真理を理解しない者は、進歩に反する、人類の幸せに反する、国家社会に害をなす「人民の敵」である。
真理をつかんでいると思う人間たちの権力は、いかに破壊的なことでもできる。それは、国家の安全、社会の発展、同胞の幸せのためであるとプロパガンダされる(※この段落は、上田 惇生のドラッカー紹介を援引)。