断章323

 「ヒトのなかに際限のない欲望(引用者注:マズローによれば、生理的欲求にはじまり、安全欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求、さらには自己超越欲求にいたる5段階があるという。しかも、各々に異なる質と量がある)が目覚めたとき、彼らはそれらの欲望を達成するために働く(目的意識的労働)ようになった。

 苦痛と悩みの可能性が生まれた。私たちは自分の環境がどんなものであれ、それに不満を抱く。何を手に入れても、それ以上を欲しがらずにはいられないのである」(『欲望について』から)。

 誰もがうらやむ容姿をふくむ遺伝的素質や縁故・閨閥をふくむ生得的財産の相違だけでなく、こうした欲望の諸段階や質量へのこだわりの相違によって、人間(ヒト)は、十人十色、百人百様である。

 

 かかる人間(ヒト)の普遍本質を知ること。人間の本性と限界を冷静に見据えることは、地に足のついた改革と正義の実現を目指すためには欠かせないことである。

 リベラルのセンチメンタルな啓蒙主義的人間観やマルクス主義の「目的意識的実践」=人間論に基礎をおけば、必ず理想のお花畑や地上の楽園を夢想することになる。

  ―― マルクス主義は、人間(ヒト)を、労働や社会を、“科学的”に分析にしているように見える。しかし、「目的意識的実践をする動物」とする人間論は、実際には抽象的思弁的すぎるのである。というのは、容貌やIQや労働意欲、なにもかもが十人十色、百人百様の現実的諸個人を具体的現実的に見据えていないからである。だから、共産主義者マルクス主義者)の「計画経済」は、必ず破綻する。すると、共産主義者マルクス主義者)は、彼らの「人間論」に沿わない、あるいは沿うことのできない人間を“排除する”(粛清したり強制収容所送りにする)ことで“問題を解決する”ことになるのである。