断章382

 50年ほど昔、日本の主流派マルクス主義者は、「変革の理論であるマルクス主義は、ロシア革命というルツボのなかで、支配階級としてのプロレタリアートの理論に鍛えあげられた。しかし、それはまだ一国社会主義の段階の理論にすぎなかった。第二次大戦中から戦後にかけて、東欧および極東に一連の人民民主主義革命がおこり、その輝かしい成功によって人類の歴史上はじめて社会主義世界体制が形成された」などと、 “歴史の必然”を能天気(のうてんき)に語っていたものだ。

 

 太田 仁樹によれば、日本のマルクス主義理論戦線の現状は、「1956年の『スターリン批判』以後の日本のマルクス主義研究の多くは、マルクス①→エンゲルス②→レーニン③→スターリンという、ソヴェト・マルクス主義によって作られた定式を打ち砕くことを目標にしていた。③に楔を打ち込んで、スターリンを批判する者は、マルクスからレーニンにいたるマルクス主義を救済しようとした。この試みを補強するものとしてトロツキー復権が叫ばれることもあった。②に楔を打ち込んで、ロシア・マルクス主義を批判するものは、マルクスエンゲルスだけは延命させようとした。ここでは、ローザ・ルクセンブルクグラムシが利用されることもあった。①に楔を打ち込んで、エンゲルス以後のマルクス主義全体を俗流と批判する者は、救済に値するものはマルクスだけであると主張した。この場合、しばしばエンゲルスはカウツキーと結びつけられた。さらには、マルクスの生涯を初期、中期、後期と分けて、気に入った時期のマルクスだけを継承すべきだと主張する者もいた。

 これらの論者は、自分の共感するマルクス主義者あるいはマルクスの一側面だけを取り上げ、賞賛するものであり、マルクスを救済するとみせて、結局は自己の思想を『真のマルクス主義』あるいは『真のマルクス思想』として称揚するという、自己称賛=ナルシシズムに耽(ふけ)っていただけであった」。

 

 自称「前衛党」(日本共産党から極小セクトまで)が、“マルクス解釈”を独占する意志も能力も権威も喪失してからの「昨今のマルクス研究者は、マルクスの言説から現代に生きている自分が共感できる部分だけを取り出し、それを現代的意義として前面に押し出そうとする。『歪められたマルクス』を批判し、テキストの再構成により『真のマルクス』を発掘したと言うのである。この場合の『真のマルクス』とは、実はその研究者自身の姿に他ならないものである」。

 マルクスの名を借りて自説を展開する「読み方」を、太田 仁樹は〈活学活用主義〉と名付けている。

 「活学活用主義の特徴は、検討するテキストの恣意的選択と研究史の軽視である。このような『読み方』は、思想家あるいは哲学者には必要なものかもしれないが、思想史研究者のとるべき方法ではない。かかる『思想家』たちは、独自の思想を展開したかもしれないが、マルクスの思想がどのようなものであったのかということを解明する思想史研究の領域においては、彼らは混乱を持ち込んだだけである。

 対象となる思想はどのような論理構造を持つのか、その思想はどのような状況において有効性をもつのか、このような思想史研究にとっての中心的問題を彼らは検討しようともしない。彼らはマルクスの思想と称して、自己の思想を展開しているからである」(以上、『論戦 マルクス主義理論史研究』から)。 

 

 「羊頭を掲げて狗肉を売る者は破綻を免れない」と叱責されても、「左翼」インテリたちがマルクスをもてはやし〈活学活用〉することが止むことは無い。なぜなら、それが知性をひけらかし、お金を稼ぐ手段になっているからである。

 

 歴史の経験は、マルクスを信仰するすべてのマルクス主義者 ―― 主流派も復古派も、レーニン主義者もトロツキー主義者もローザ主義者もグラムシ主義者も、毛 沢東思想派もチュチェ思想派も ―― の実践(すなわち彼らの権力を目指す運動、彼らの支配の実態)が、ろくでもないものであることを明示した。

 なので、今や、マルクス研究の核心的問題は、マルクスの“訓詁解釈”や〈活学活用〉ではなくて、本格的な攻略 ―― なぜマルクスを信仰する者たちは必ず(国家支配・党運営において)「全体主義」に転落するのか? その理論的根拠の探究 ―― に取りかかることにあると言わなければならない。