断章331

 現代の森に住む小共同体はどうだろうか?

 「ダニ族はニューギニアの隔絶された高地に住む典型的な部族で、集団内の平穏とよそ者の殺戮が共存していた。ニューギニアの別の部族であるバクタマン族のすべての共同体は、不法侵入者を許さず、たいてい暴力で応じた。領地をめぐる争いは深刻で、彼らの死因の三分の一はそれが原因だったが、村のなかでは暴力が厳しく統制され、『殺人は考えることも拒否された』。それは、パプアニューギニア中西部のタガリ川流域で暮らすフリ族でも同様だった。敵は威嚇するが、自分の村のなかでは決して暴力をふるわない」(ランガム2020)。

 男たちは戦う。部族のため、村のため、生存のために。

 

 部族の戦いを見て、わたしは、「大阪戦争」の「大日本正義団」を思い出した(あの頃、現場事務所にはいつも『週刊アサヒ芸能』の最新号があった)。

 Wikipediaの「吉田 芳幸」にはこうある。

 「松田組系村田組の大日本正義団の初代会長の弟として活躍。日本の覚せい剤の9割を売買していたと言われる。23歳にして豪邸を建てる。

 1975年に大阪日本橋の路上で、大日本正義団の初代会長の兄・吉田 芳弘(当時36歳)が、三代目山口組系佐々木組組員2人組に射殺される。急遽、兄の後を継いで、二代目会長になる。

 佐々木組の上部組織である山口組三代目組長・田岡 一雄に復讐をするために、3年間、田岡の行きつけの京都のナイトクラブ『ベラミ』に部下を派遣し偵察させ、ベラミの近くにマンションを借りて殺害計画を立てる。1979年、ヒットマンの鳴海 清が田岡組長に発砲する。田岡は一命を取り留める」。

 構成員は戦う。親分のため、一家のため、代紋のために。

 他集団からの侮りを許さないために、メシの種である「シマ(縄張り)」を守るために、構成員は“協力”して戦う。計画を立てる者。見張りをする者。銃器を入手する者。資金を集める者。その覚悟、その協力(分業)は ―― やがてはヤクザらしくグズグズになったにしても ―― 、昨今のヌルイ「左翼」には及びもつかないものだった。閑話休題

 

 「狩猟採集民の生活は予測不可能なものであり、現代のもっとも危険な都市よりもはるかに殺人率が高かった。狩猟採集民の生活は牧歌的でお気楽に見えるかもしれないが、実際には、今日の世界一物騒な街のいちばん治安が悪い地域に住むよりも危険だった」(ヒッペル)。

 

 これが現実である。にもかかわらず、太古の森林生活にあこがれをもつ人間(ヒト)は、美しい森にいざなわれる。「そうだ、八ヶ岳に山荘を建てよう」と、本が売れた「左翼」インテリは思う。

 しかも、「人口が少なく自然が豊かでさえあるなら、狩猟採集民のほうが(引用者:農耕民よりも)少ない労力で多くの食料を得られる場合が多いらしいことが、考古学や文化人類学の調査によって明らかになってきている」(中川 毅2017)。

 そして、「原始的な生活形態が、ある種の羨望を込めてユートピア的に語られる」(同上)ことになる。「原始共産制」のポエムが(笑い)。