断章332

 「人間はいつも競合する集団を作ってきた。それぞれの集団において、個人は仲間の援助や保護に頼っている。つまり、その集団に属する男女にとり、結婚して子供を産み、遺伝子を伝えていくには、集団は絶対に存続しなければならなかった。

 互いに協力して、まとまっていれば集団はますます生き延びていくことができる。互いの力を寄せ合う能力、つまり結束力は集団固有の文化に依存していて、その文化には言語や宗教、そして芸術も含まれている」。

 

 「互いを護るためにサバンナで協力することを学んだとき、人類は社会的認知のための生態的地位(ニッチ)を生みだした。次の数百万年のあいだ、より大きくなる社会的認知能力を活用・利用する新たな方法(引用者:火の管理など)を発明し続けた。

 600万年のあいだに起きた人類の脳の拡大について考えると、それがとてつもない物語であることに気づくはずだ。チンパンジーの脳の重さはおよそ380グラム。サバンナで懸命に生き抜いてきた300万年の間に人類の身体は大きく変わった。それでも、アウストラロピテクス・アファレンシスの脳の重さはおよそ450グラムで、チンパンジーよりわずかに大きい程度でしかなかった。さらに150万年早送りして、ホモ・エレクトスの時代が来ると、その脳はアウストラロピテクスのおよそ2倍の960グラムまで成長した(ただし身体もかなり大きくなったので、相対的に見ると劇的な変化とまではいえなかった)。その150万年後に活躍しはじめたホモ・サピエンスの脳の重さは、平均すると1,350グラム。つまり、チンパンジーホモ・エレクトスの脳を足した重さだ。

 さらに、他者の経験から学ぶことができるという能力こそがホモ・サピエンスに大きな“地の利”を与え、それまでの発見の基盤の上に新しい戦略とイノベーションが築かれていった。

 熱帯雨林を離れてからごく最近まで600万年ものあいだ、人類は狩猟採集民として暮らし続けてきたが、世界におけるわれわれの地位は、大いに変わった。協力と分業によって広がった能力は、他の動物の餌食にすぎなかった人類を頂点捕食者へと押し上げた」(ヒッペル2019の抜粋・再構成)。

 

 その後、「わたしたちの直接の“ご先祖様”にあたるホモ・サピエンスの個体(または集団)は、住み慣れたアフリカの大地を離れ、出アフリカをする」(池尻 武仁2018を抜粋・再構成。以下同じ)。

 「出アフリカの原因には、おおまかに以下の仮説があるようだ。(1)「環境の激変」によってやむなく逃げ出した。(2)他の人類の種や集団との「生存競争」を避けるため。(3)「餌となる獲物」(大型哺乳類など)を追い求めた。(4)ライオンなどの捕食者から逃げるため。(5)偶然、気まぐれに『好奇』に導かれての移動。但し、あくまで仮説である。そして、研究者によって意見もかなり分かれている」。

 「『環境の激変』の仮説に関して、一つ興味深い論文を見かけた。2007年にScholz等によって発表されたアフリカ東南部に位置するマラウイ湖の太古環境の研究は、13万5000年から7万5000年の間にかけて、水深が(現在と比べて)600m近く下がった時期があったことを示している。この水深の低下は湖全体の水量の95%が失われた計算になる。一連のデータから、氷河期の終わりにあたるこの期間、アフリカ東部は『大規模な旱魃(かんばつ)』に襲われていたと考えられている。つまり初期の人類はこうした過酷な環境を避け、より食料の豊富な場所 ── いわゆる新天地 ── を求め、ユーラシア大陸へやむなく移動してきたというわけだ(引用者注:モーセに率いられたユダヤの民が出エジプトをする契機にしたのは、エジプトでの『十の災い(とおのわざわい)』だったという)」。

 しかも、移動先の「地域にはすでに先住者(または競争相手)がいたはずた。例えば、ネアンデルタール人やデニソワ人が。新参者であったホモ・サピエンスは出アフリカ直後、かなり過酷な生存競争を勝ち抜く必要があったのではなかっただろうか?」。