断章344

 パンッと張った財布を持参しているか、あるいは旅先でリッチなベネフィット(利益・恩恵・便益)が得られればこその、あこがれの「旅暮らし」である。

 「フーテンの寅」が、舎弟の登に「堅気になれ」と勧めるのも、本当のところ「旅暮らし」は厳しいからである。「ねえ、あんた。一緒に暮らそう」と女にかき抱かれるや、「流れ者に女はいらないよ」と言った舌の根も乾かぬうちに、「じゃあ、そうしようかな」と挫けてしまうようなハードな暮らしなのである。

 縄張りを広げるというベネフィットのために「旅をうつ」ヤクザも楽ではない。例えば、広島に出張(でば)れば、「広島の極道はイモかもしれんが、旅の風下に立ったことは、いっぺんもないんで」と、切った張ったの抗争を避けることはできない。コストはきわめて高くつくのである。

 

 広大な「無人の野」に大型動物がいたるところにいれば、狩猟採集のための「遊動生活」のベネフィットは大きく、コストは小さい。

 しかし、狩猟採集する対象が減って遊動域を広げなければならなくなったとき、狩猟採集民は、危険な「他者」と遭遇する。見知らぬバンドと遭遇すれば、たちまち「見敵必戦」(敵を見掛けたら怯まず戦え! 戦う時は徹底的に戦え!)になる。ベネフィットは小さく、コストは大きく、ストレスフルである。

 

 狩猟採集民たちの伝統的社会を「美化し、単純な暮らしをしていた時代をなつかしむような、極端な方向に」行くべきではない。「伝統的な習慣の多くは、例えば嬰児(えいじ)殺し、高齢者の遺棄や殺害、折に触れて直面する飢餓のリスク、環境からもたらされる危険や感染症にかかるリスクの高さ、子に先立たれる例もめずらしくないこと、つねに攻撃される心配をしながら暮らすことなど、失ってよかったと思えるものばかりだからである」と、ジャレド・ダイアモンドは主張する。