断章339

 生きること、それは戦うことである。「優しくなければ生きている資格がない」としても、「タフでなければ生きて行けない」のである。

 

 「縄張り意識をもつ動物のあいだでは、縄張りをもたないオスは交尾相手を惹きつけることはできず、良い縄張りをもつほど交配の機会も増える」(ヒッペル)。

 同じように、人間はより多くの権力や富(あるいは両方)を、マフィア(893)は良いシマ(縄張り)を欲しがる。狩猟採集民は、恵まれた「遊動域」を必要とする。

 なので、人類(ヒト)が誕生した頃からの数百万年に及ぶ、「遊動」する長い長い狩猟採集生活においても、捕食者(ライオンやサーベルタイガー)との闘いに続き、「人類はずっと、集団同士の血みどろの争いという難題に向き合い続けてきた。私たちの先祖である狩猟採集民の社会では、集団同士の紛争での敗北によって集団そのものが消えてしまうこともあった(より一般的には、集団の男性たち全員の消滅へとつながった。女性たちは捕らえられて奴隷となり、後に別の集団に組み込まれた)」(同上)。

 

 そうこうしているうちに、今からおよそ1万1,600年前頃、最後の氷期が終わった。

 「いま古代史が大きく書き換えられつつある。メソポタミア地域では旧石器時代の定住の考古学的証拠が次々と見つかっており、『農耕の開始によって定住が始まり、文明が生まれ国家が誕生した』という従来の歴史観は完全に覆(くつがえ)されてしまった。

 古代のメソポタミアは、『狩猟採集民の天国』ともいうべき地域だった。

 先史時代、この一帯はティグリス川とユーフラテス川がつくりだすデルタで、広大な湿地が広がっていた。沼地からわずかに盛り上がった高台に暮らしていたひとびとは、膨大な数の魚類、貝類、甲殻類、軟体動物などの海洋資源だけでなく、海辺や川辺には鳥や水禽類、小型哺乳類やガゼルのような大型哺乳類も集まってきた。ベリーやナッツも簡単に手に入ったし、沼にはイグサ、ガマ、スイレンなどの可食植物が生い茂っていた。

 このようなデルタでは、そもそも農耕を始める理由がなかった。灌漑などしなくても、毎年の洪水によって土壌が入れ替わるのだから、放っておいても植物は生えてきた。定住が始まったのは農耕のためではなく、移動しなければならない理由がなかったからだ。

 古代メソポタミアの南部では、ほぼ農業なしに定住する人びとがあちこちに見られ、住民数が5000人に達する『町』まであった。その当時から狩猟採集民は、篩(ふるい)、石臼、すり鉢とすりこぎなど、野生の穀物や豆類を加工するためのあらゆる収穫具を作り出していた。巨大なデルタがゆたかな自然を育み、ひとびとが集まってきたのだ」(ジェームズ・C・スコット『反穀物の人類史』への橘 玲の紹介文から)。