断章326
世界は不条理に満ちている。気立てが良くて勉強もよくできた貧家の娘がいた。東京大学医学部に進めるコースに合格した3年後、白血病で亡くなった。
世界は理不尽にあふれている。ほとんどタヌキしか通らないような田舎にガードレール付きの2車線道路があり、都会の子どもの通学路にガードレールどころか路側帯すら無かったりする。
人間(ヒト)の脳は、非合理な判断をする。性被害を受けたにもかかわらず、学恩ある教師からだったので、「自分にスキがあったからだ」と自分を責めて苦しみ、告発しない。
今日もまた。
「新型コロナウイルスの感染拡大が続く中、失業や収入の減少で住宅ローンの返済に行き詰まる人が増えている。金融機関は一時的な返済猶予には応じているが、状況が改善しない場合は、物件を売却してローン清算に充てる任意売却などの対応を迫られる」(2021/07/03 日本経済新聞)。
『朝日新聞』名物・名文記者だという近藤 康太郎の著作の帯に、「世界は変わらない。常に醜い。人生は無価値だ。人間は愚劣だ」と書かれている。続けて、「では、なぜおまえは生きているのか。文章など書いているのか。世界は、よくも悪くもなりはしない。それでいい。ただ、世界の、人間の、真実を見つめることはできる」と自問自答している。
近藤 康太郎よ。それだけなのか? 本当にそれでよいのか?
わたしたち人間(ヒト)は、もう何千年も「世界の、人間の、真実を見つめて」きたのではないか? そして、世界は不条理に満ち、理不尽があふれ、人間は非合理だと、もう充分すぎるほどに知っているのではないか?
「この世には神も仏もあるものか」と思っているわたしが、キリスト者の言葉を引用するのは不自然だろうか?
主よ、
変えられないものを受け入れる心の静けさと
変えられるものを変える勇気と
その両者を見分ける英知を我に与え給え。
「祈りの言葉」ラインホルド・ニーバー
ひと昔前、お婆さんたちの腰は折れ曲がり、歩くのも大変そうだった。農作業と栄養と医学の改善などで、最近のお婆さんたちの腰は伸びている。戦後すぐ、あちこちで片腕や片足の無いうちひしがれた戦傷者を見かけたものだ。最近は障害者もスポーツに挑戦できる装具がある。
世界は不条理に満ち、理不尽があふれ、人間は非合理だ。
今も14億の民が全体主義を受け入れている。事件・事故・疾病が完全になくなることはない。
それでも、わたしたちは、もう何千年も「世界の、人間の、真実を見つめて」きたのだから、世界の、社会の、人間(ヒト)の、変えられないものと変えられるものを見分ける英知に接近し、変えられないものを受け入れる覚悟と変えられるものを変える勇気を、そろそろ奮い起こしてもよいのではないだろうか?