断章327

 「一読三嘆(いちどくさんたん)とは、優れた文章を読み非常に感嘆すること。三嘆の三は何度もの意で、一度読んで、何度も感嘆すること」。

 日本の文系学者先生のお書きになるものは、おおむね、真逆の「嘆(なげ)く」という意味での三嘆 ―― やれやれ、また観念的な、きれいごとか ―― を、わたしにもたらす。

 彼らがそんな言説を書き連ねる理由のひとつ目は、清く正しく美しい(まじで?)「学界」に棲(す)み続けるための生存戦略であること。ふたつ目は、貧家に生まれてつらく悔しい思いを重ねたはずの者も、「先生」と呼ばれる学者としての身過ぎ世過ぎの歳月のうちに、厳しかった過去を忘れ去るからである。

 なので、「おとうちゃん、人間っちゅうのはおっとろしい生きもんやでぇ~」(『新仁義なき戦い』)という、不条理、理不尽、非合理がてんこ盛りの修羅場に生きる女のような発言を「学者」に期待しているわけではない。

 

 それでも、ひと言、言いたいときがある(元々“言いたがり”でもある)。

 先日、広井 良典の『無と意識の人類史』を借りて読んだ ―― 「私たちはどこへ向かうのか」という副題を見たからには、読まずにおられないサガなのである。

 この本のなかで、広井は、「いささか私的な事柄にわたって恐縮であるが、認知症気味の私の母の話に少しふれることをお許しいただきたい。

 私の実家(岡山)にいる母親は今年89歳になるが、何十年も続けてきた商店 ―― 地方都市の例に漏れず半ばシャッター通り化している商店街の一角にある ―― を数年前に店じまいしたこともあってか、しばらく前から現れていた認知症の症状が一層顕著になってきた。

 以前にはなかったことだが、しばらく前から、10年以上前に亡くなった両親や、7年ほど前に亡くなった夫(つまり私の父)は今どこに行っているのか、なかなか帰ってこないではないか、といった趣旨のことを口にするようになった(最近はそうした話をすること自体も少なくなっている)。

 そのような母親の言葉を聞いていると、ある意味で半分“夢の中の世界にいる”、といった印象を受けることがある。あるいは、これはしばらく前から感じていたことだが、『生』と『死』というのは通常思われているほど明確に分かたれるものではなく、そこには濃淡のグラデーションのようなものがあり、両者はある意味で連続的であって、母親はそうした(中間的な)状態にあるようにさえ思えることがある」(P45)。

 「認知症という、近代的個人の発想ないし価値観からすれば忌避されるべき状態は、逆説的にも、近代的自我にとっての最大の難題だった『死』の問題に、意外な形で“救い”あるいは緩和策を与えるという側面を持っているのである」(P249)という。

 

 わたしも、わたしの母の話をしよう。ある日のこと。母の部屋に入ると強い糞便臭が鼻をついた。母親が、下痢をした状態でベッドに座っていたのだ。下痢便は、すでにベッドパッドにまで染みていたが、認知症の母親はまったく気にもかけていなかった。風呂場につれていき、裸にして身体を洗った。わたしが息子だと認知することも難しくなっていた。

 それが認知症であり、「生」と介護の現実である。

 

 広井は、「『生と死のグラデーション』という見方が、単純に『近代的自我にとっての〈死〉の問題』を“緩和”すると言えるかについては、さらに様々な留保あるいは吟味が必要であり、またそれは個々人の価値観ないし世界観によっても異なるとも言える」(P251)と述べつつも、「私自身にとってもなお明確な結論は出ていないが、しかしそれでも、そこには先ほど述べたような『死』をめぐる近代的な困難を乗り越えていくような可能性が含まれていると思える」と書く。

 

 思うに、広井の実家には姉夫婦なり妹夫婦がいて、広井の母上と同居しているのだろう。もし母上が実家で一人暮らしをしているのなら、認知症気味の母上の健康や家事(火事をおこさないかなど)や徘徊が心配で心配で、広井のように毎月のように八ケ岳に通って“自然を満喫”できるはずがないからである。

 実家にはたまにしか顔を見せない。それでも有名な学者になった息子が顔を見せれば、それだけで母上は「幸せ笑顔」になる。その笑顔があれば、母上と同居している親族は、認知症と介護のリアルを広井に伝えない。

 だから、広井は、「『死』をめぐる近代的な困難を乗り越えていくような可能性が含まれている」と思ったりできるのである。

 

 一部の狩猟採集民は、移動生活について行くことのできない年寄りを放置して移動するという。日本には、古アパートの一室にすし詰めの雑魚寝状態で、生活保護費で生活(介護をふくむ)している下流老人もいる。それが現実である。

 「こんなの考えちょることは理想よ。夢みたいなもんじゃ」(『仁義なき戦い』)。