断章192

 共産党は、「自分たちに都合の良い部分にだけ光をあてる」ご都合主義である(中国共産党南シナ海をめぐる言説に顕著である)。

 原始共産制(原始共同体)についても、生産手段の所有関係だけに光をあて、結果、それを「平等な共同社会」「平和で、牧歌的な、桃源郷」のように説明する。

 しかし、この時代は、「食糧源の不毛または枯渇のために、周期的に、他の同種の共同体と致命的な利害衝突に陥ることに駆り立てられることがありえたし、また駆り立てられざるをえなかったのであって、この衝突では動物的闘争、戦争が勝敗を決定するよりほかはなく、その結果は、相争う側の一方の絶滅かまたは、はるかに多く、搾取関係の確立かだったのである。原始共産主義の根底にあったものは、平等と自由という抽象的な原則への献身ではなく、人間文化の低い発展の、外的な自然にたいする人間の無力の、鉄の必然性」(『経済学入門』)の時代だった。太古の人骨を調査した最近の考古学的知見によれば、むしろ、陰惨な様相がうかがえるというのである。

 

 福田 恒存から、「日本が共産主義体制になる事を好まない人でも、結果としてはさうなる事に、少なくともさうなる可能性を助長するような事に手を貸してゐる」と言われた進歩的文化人。その衣鉢を継ぐ、自称「知識人」リベラルは、日本共産党へのシンパシーをどうしても断ち切ることができない。その原因の一つは、日本共産党の、「我が党は、先の大戦において、唯一“反戦”を貫いた党である」という、上記と同様の、「自分たちに都合の良い部分にだけ光をあてる」手口に騙されているからである。

 

 日本共産党は、真実の平和主義だから、あるいは、祖国=日本を愛するが故に、「反戦」「反軍国主義」だったのではない。

 当時、マルクス・レーニン主義(教)の総本山だったロシア共産党には、2代目教皇としてスターリンが君臨していた。党・軍・国家機構だけでなく、国際共産主義運動の指導組織であるコミンテルン支配下に置いていた。

 

 日本共産党員にとって、ソ連は、「社会主義の祖国」だった。たとえ身は日本にあっても、心の祖国はソ連だったのだ。しかも、日本共産党は、コミンテルンの日本支部だったのだから、コミンテルンの指令に反抗することなどありえない。

 そして、当時のソ連の対日工作は、ソ連の軍事諜報部門に指示されたゾルゲのスパイ組織だけでなく、コミンテルンに指令された日本共産党による「反戦」・「反軍国主義」闘争もその一環だったのである。

 

 マルクス・レーニン主義(教)とは、カルトであり、逆らえば、除名(破門)、査問(異端審問)、粛清(魔女狩り)され、国外に逃れても暗殺された。自称「知識人」リベラルは、いつになったら日本共産党の真実に気づくのだろうか?