断章146

 尼子家の忠臣・山中鹿之助は、主家再興のために戦うにあたり、三日月に向かって、「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ。限りある身の力(ちから)試さん」と祈ったという。

 だが、もし今、コロナ禍の下にある日本に南海トラフ地震なり首都直下地震なり内陸大地震が襲来すれば、いかにタフな山中鹿之助であっても、避難所に行くことをためらって、ひどく肩を落とすことになるのではないだろうか。

 

 今でさえ、「北アルプスの玄関口、上高地周辺で、4月下旬から地震が続いている。新型コロナウイルス感染拡大で、ホテルや旅館、山小屋、キャンプ場など全ての施設が営業休止中。再開の準備にあたる地元関係者は、沈静化しない地震に不安を感じている。

 先月29日、取材のため上高地を訪ねた。バスターミナルから徒歩約1時間の明神池への遊歩道では、地震の影響とみられる地割れ(幅約5センチ、長さ約10メートル)が1カ所あった。また、明神池手前では、ひと抱え以上もある巨大な落石が遊歩道をふさいでおり、『落石注意』の看板があった。明神池では、地鳴りのような音が鳴り響いた。直後に足元が数秒間揺れ、湖面もわずかに波打った。気象庁のホームページを見ると、マグニチュードは2・7。地図上で震源を示すバツ印は上高地付近を示していた。観光名所の河童橋(かっぱばし)近くのホテルの従業員は『23日は余震も多く、雪崩が多発した』と話す。河童橋からは真っ白に雪化粧した穂高連峰が望め、谷筋には雪崩の跡が確認できた。

 長野地方気象台によると、22日未明に震度3を観測して以降、5月1日正午までに県中部で計57回の揺れを観測。ほとんどの震源上高地付近に集中し、最も大きな揺れは4月23日の震度4だった」(2020/05/07 朝日新聞)。

 

 「日本列島の下では、太平洋プレートとフィリピン海プレートの2つのプレートが沈み込む。これらが日本海溝南海トラフ近傍に大きな変形をもたらして超巨大地震を引き起こすのだ。また、南北に伸びる東北日本には太平洋プレートがほぼ西向き、すなわちまともに列島の下へ沈み込むので、東西方向に強い圧縮力が働く。その結果、東北地方では逆断層型の直下型地震が起きる。一方でフィリピン海プレート西南日本に対して斜めに沈み込むために、横ずれ断層が多い。すなわち、東北日本西南日本は、それぞれ太平洋プレートとフリピン海プレートの運動によって異なるタイプの地殻変動が引き起こされているのだ(注:なお、東北日本の変動を引き起こす根源的な原因もフィリピン海プレートにあるのではないかとする考察が、最近、提起されている)」(巽 好幸)。

 

 前掲の『日本最悪のシナリオ 9つの死角』(2013年刊行)の3・首都直下地震には、「30年以内に直下型地震が東京を襲う確率は、場所によっては7割を超える。阪神・淡路大地震東日本大震災を教訓に対策は進むが、その発想は最悪を想定しない“都合の良いシナリオ”に過ぎず、実効性が発揮されるかは疑問」とする。

 そこで、3・「首都直下地震」では、以下のような“課題”が提起されている。

・政府の被害想定で見過ごされてきた東京湾封鎖ならびに電力喪失というシナリオを真剣に検討すべきではないだろうか。

・最悪シナリオにおいて首都機能をどこでどうやって継続するのかの検討が必要ではないだろうか。

ライフラインが途絶して発生する膨大な数の被災者の生活をどう支えるのか。支援を被災地に送る発想だけではなく、被災者を外に出す発想の転換が必要ではないだろうか。

・都県や市区をまたぐ広域的な行政対応をどこがどうやってマネジメントするのか?

・政府のアナウンスが誤解やパニックを招かないようにするにはどうしたらよいだろうか?

・平時から求められるリスク対策の費用負担を、どう考えるべきだろうか?

 

 本書の出版からすでに7年。わたしたちに時間は残されているだろうか?

断章145

 最悪について語るのは、最悪を避けるためである。

 『日本最悪のシナリオ 9つの死角』(財団法人・日本再建イニシアティブ)は、「日本を襲う『想定外』の国家的危機は、大津波原発事故だけではない。この国の危機管理の盲点と脆弱(ぜいじゃく)さをあぶり出す」ために、2013年3月に出版された。

 

 この本は、第1部で9つのシュミレーション・シナリオ、第2部でシナリオからの教訓を叙述している。9つのシナリオの1は尖閣衝突、2は国債暴落、3は首都直下地震、4はサイバーテロ、5がパンデミック、6はエネルギー危機、7は北朝鮮崩壊、8は核テロ、9は人口衰弱である。

 

 「1980年代のエイズ出現後、感染症の突発とパンデミックは、数が拡大し、さらに加速する傾向にある。高病原性鳥インフルエンザ(1997年)、ニパウィルス感染症(1998年)、ウエストナイル熱(1999年)、炭疽菌郵便テロ(2001年)、SARS (2003年)、パンデミック・インフルエンザ(2009年)、病原性大腸菌O104 (2011年)と続いた。なかでも上記2009年4月、メキシコやアメリカで発生した豚インフルエンザは、『パンデミック(H1N1) 2009』と呼ばれた。アメリカの死者は約1万2千人、世界では28万人の死者を出した。日本では約200人が死亡した」(P113)。

 こうした傾向を踏まえて、まるで新型コロナ禍を予見していたように、第5章パンデミックの叙述はリアルである。

 

 そもそも、平時においてさえ、日本の医療は、「2018年の人口 1,000人当たり医師数は日本では 2.4 人、OECD平均は 3.5 人である。厚生労働省の医師数推計から計算すると、日本の人口 1,000 人 当たり医師数は 2030年前後に 3人程度になりそうである。大病院の『3時間待ち、3分診察』と言うのは決して医師の怠慢ではなく、患者の数が既にキャパシティを超えているのだ。

 厚生労働省は医学部の定員を増やして、医師の増加をはかっているが、医師免許を取得した人間が『急患や重症患者を見る』という仕事にはつかない傾向にある。そういう患者を診るよりも、企業の嘱託医という仕事、あるいは比較的軽い患者を診察し、重症患者を大病院に紹介する開業医に流れているのだ。小児科医が増えたといっても、病院にとどまり重症の子供たちの命を救う医師数は減っている。

 その一方で、病院の倒産・閉院が増えている。病床稼働率は高いのに、患者1人を診察するたびに人件費や設備費用で赤字になる。どこの病院も生き残りをかけて、病床利用率を90%以上に上げ、午前中退院が出れば、午後には入院を入れると言う細かい努力をしているにもかかわらずである。このように満床率が高い状況で、急に増えた感染症患者を入院させるのは不可能である。

 また、入院治療が可能な『二次救急医療機関』と呼ばれる中規模病院は、1997年には都内に429施設あった。それが10年後には266施設まで減っている。(中略)

 治療の難しい患者が大病院に集中し、勤務医の労働条件は苛酷になる一方である。また、1995年から10年間で医療訴訟は2倍以上に増えた。1日3件の訴訟が発生している計算になる。リスクの高い仕事につくのを嫌がる医師が増えるのと比例するように、薬局に行けば済むようなことでも救急車を呼びつけるモラルの低い患者が激増している。国民皆保険で誰もが簡単に病院にアクセスできる利便性が、逆に本当に治療が必要な人々への治療を難しくしている。

 自転車操業のような綱渡りの病院群に、パンデミックと言う高波が襲来した時、どうなるのか。医療崩壊を放置してきた行政、国民、そして医療界は、パンデミックによって大きな代償を払わされる確率が高い」(P126)のである。

 

 「都市化に伴い巨大技術を活用する社会は、巨大なリスクを抱え込むリスク社会でもある。・・・グローバル化はヒト、カネ、モノ、情報に加えて、パンデミックサイバーテロなどリスクのグローバル化でもある。それは新興国貧困層中産階級に引き上げる“上げ潮”効果を持つが、成熟民主主義国も新興国も等しく社会の中の格差を拡大させるリスクを高める。

 また、個人の社会的影響力の獲得をもたらすが、同時に個人が社会に対する極めて破壊的な脅威となりうるリスクも内包する。

 米国一極体制は崩壊し、多極化、さらには無極化の『新世界』が出現しつつある。太平洋、北東アジア、インド洋、中央アジア、中東での地政学的リスクがこれまで以上に高まっている。おそらくは気候変動をも背景としてだろうか、自然災害が激発し、それも凶暴化しつつある。それは、エネルギー・食料・水のセキュリティをさらに不安定にする要因にもなるだろう。

 成熟民主主義国は財政赤字と国家債務の重圧、高齢化と人口減、ガバナビリティー(統治力)の低下による統治不全リスクを抱え込みつつある。

 このような巨大リスク社会と巨大リスク世界を前に、日本はいかにも脆い存在であり、備えの不十分な社会である」(P304)。

断章144

 「各国当局の発表に基づき日本時間1日午前4時にまとめた統計によると、世界の新型コロナウイルスによる死者数は23万309人に増加した」(2020/05/01 AFP)。

 

 「今、需給の極端なアンバランスが生じているのです。休業要請のために価値がマイナスになった事業に対しては、政府による補償が必要です。他方で、供給不足になっている財やサービスについては、政府による生産介入が必要です。なぜなら、全体としての生産能力には余裕があるからです。

 本来であれば、こうした調整は、価格によって行われます。ところが、あまりに急な変化なので、価格メカニズムによる調整が追いつかないのです。したがって、政府が介入して、生産パターンを変える必要があります。今の経済情勢は戦時と似ており、政府による物動計画や指令生産が必要とされる側面があるのです。

 実際アメリカでは、トランプ大統領が、3月27日、ゼネラル・モーターズ(GM)に対し、人工呼吸器の生産を命令しました。これは、1950年の朝鮮戦争下に成立した『国防生産法』に基づくものです。

 日本では、『新型インフルエンザ等対策特別措置法』によって、次のようなことは可能です。

・臨時の医療施設を開設するために土地・建物を使用できる。

・企業などに医薬品や食品など物資の売り渡しを『要請』できる。

・医薬品や食料品の生産、販売、輸送業者らへの売り渡しの要請が可能。

・いずれについても、同意が得られない場合は強制的に『収用』できます。

 しかし、日本の場合には、『生産命令』はできません。したがって、日本では、『要請』ということになるでしょう。

 厚生労働省は、人工呼吸器の増産のための規制緩和や協力要請を呼びかけています。ソニーが生産協力を検討しています。

 労働力についても、政府の介入が必要です。

 旅行、観光、航空などの分野で労働力が余って失業が発生し、他方で、医療で深刻な労働力不足が生じています。そこで、規制を緩和し、政府が介入して、緊急で労働力を再配置することが望ましいのです。いま、オリンピックの準備に、貴重な資源と労働力が投入されています。これを、医療など緊急に必要な分野に振り向けることができないものでしょうか? 

 オリンピック関連施設、イベント施設などの緊急利用ができないでしょうか?

 ただし、政府が資源配分に直接に介入するために不可欠なのは、政府が正しい判断と指導力を持つことです。

 これら以外にも、官庁への不要不急の規制や届け出などのために割かれている人員は、コロナ対処のために投入されるといった判断が求められると言えそうです」(2020/04/26 東洋経済・野口 悠紀雄を再構成)。

 

 悠長なことは言っておられないと、中野剛志は言う。

 「中野剛志は、ロイターとのインタビューで、新型コロナウイルスによる『恐慌』を乗り越えるには国内総生産GDP)の5割を超える大規模な財政出動が必要で、政府が重要産業に資本を注入するなど社会主義的な措置が求められるとの見方を示した。感染拡大期が主要各国より遅れて訪れた日本は終息のタイミングも後ずれし、先に経済活動を正常化させた中国や韓国に市場を奪われる恐れがあるとの見通しも示した。

 政治経済思想を専門とする中野氏は、政府がいくら借金しても破たんしないとして積極的な財政出動を唱える経済理論、『現代貨幣理論(MMT)』をいち早く日本に紹介したことで知られる。(中略)

 『特に中国、韓国、台湾が先に生産活動を再開し、余剰の製品を安い価格で大量に輸出するだろうから、さらなるデフレ圧力が加わる』と予想した。中野氏はこれを『恐慌』と表現し、『政府支出を空前の規模で拡大する以外にない。GDPに占める政府支出の比率を5割以上、あるいは6割以上にしてでも、事業を継続させ、雇用を維持する必要がある』と語った。さらに、労働者の給与を財政から直接支払うほか、政府が雇用を拡大、医療物資の生産・調達を主導し、重要産業へ資本を注入する必要性も出てくるとした。中野は、『もはや社会主義と言ってよい。しかし、イデオロギー上の好悪を超えて、一時的に社会主義化しないと、このコロナ恐慌は到底、克服できない』と述べた。(中略)

 中野は、『コロナ危機後の世界秩序は、コロナ危機の下で社会主義化を決断し、実行した国が生き残り、社会主義化できなかった国が凋落する』と述べた」(2020/04/29 ロイター通信)。

 驚くほどの発言ではない。1920年代にも種々あった発言のようでもある。つまり、こうした見解は、戦時や経済危機に際しては、つねに発想されることであるのだろう。

 

 アメリカ・FRBの「パウエル議長はコロナ禍で疲弊した経済を前に、信用の流れを保つことは経済ダメージを軽減するために不可欠とし、今は政府債務を懸念する場面ではなく、財政の力を活用する時期であるとも言い切った」情勢である。

 しかも、MMT理論とやらに依拠すれば、何でもできそうに思える。しかし、この世の事柄を解決するのに、魔法の杖があるはずがない。見かけ上で、国家や中央銀行には無尽蔵のリソースがあるように見えるだけだ。

 

 「コロナ禍で世界は中国型の国家資本主義(社会主義)に向かっている。資本主義の危機と同時に民主主義の危機も到来している。ゼロ金利下でいくらでも債務を積み上げ、それを返す必要がないというMMT理論はいわゆる学者の机上の理論であり、現実には機能しないだろう。いまや不良債権のゴミ箱と化した中央銀行が相場の主役となっているが、ここから3年以内に取り返しのつかない金融システムの破綻を迎えるだろう」(石原 順)という見解に、わたしは同意する。

断章143

 時代が大きな曲がり角を迎えた時、必ず、甲論乙駁する諸子百家が登場し、切磋琢磨を通じて時代を画する「思想」や「宗教」が頭角を現わし、さらにそれを宣伝・布教するエバンジェリスト(伝道者)が登場するものである。

 もし、新型コロナによって時代が大きな曲がり角を迎えるなら、また必ず、新たな装いの「思想」や「宗教」が姿を現わし、さらにそれを宣伝・布教するエバンジェリスト(伝道者)が登場するだろう。

 

 今わたしたちに必要なことは、自称「知識人」リベラルが振りまいている瑣末な批判や単なる懐疑の思考ではなく、「信じるにたるとするものを見極め、自分の進むべき方向を決断し、現実問題を解決するための生産的な思考」である。

 現実的で生産的な思考は、「凡庸(ぼんよう)な現実主義者の思考」のように見えるので、観念的なインテリには概ね不評である。例えば、イタリア・ルネサンス期のマキャベリである(あるいは日本では、江戸時代の「石門心学」などである)。

 本当は、インテリのお好きな観念的空論よりも、こちらの方が真っ当で、わたしたちに必要なものである。

 

 石門心学に触れたついでに、『石田 梅岩』(森田 健司・著)へのアマゾンレビュワー評を張りつけておこう。

 「石田梅岩(1685-1744)は江戸時代中期の思想家だ。時代は、8代将軍徳川吉宗(1684-1751)の時代。驚くべきことに、梅岩は農家の次男だった。幕末の思想家、吉田松陰は武士(長州藩士)である。武士であるがゆえに、学問もでき、塾を開くこともできたのだろう。

 ところがその100年以上前、京都で塾を開き、多くの塾生を受け入れた梅岩は農民出身だったのだ。この時代、どういう経緯で、農家の次男が塾を開くまでになったのか、その人生をたどるだけでも興味深い。

 人間とはどう生きるべきか・・・。今の時代にも十分通用する考え方が凝縮されている。

 最終ページの著者紹介で、森田健司氏は1974年生まれと知った。梅岩の研究者ということで、もっと年配の方かと思っていたのでおどろきがあった。文章のまとめかたや伝え方がとても現代的で型にとらわれていないところが若手らしくて良い」。

 

 「民間研究者上がりの石田梅岩を無学で文字に疎いと批判した者に対し、石田梅岩は、『文字がなかった昔に、忠孝はなく、聖人はいなかったとでもいうのか。聖人の学問は行いを本とし、文字は枝葉なることを知るべし』といい、自ら徳に至る道を実行せず、ただ文字の瑣末にのみ拘泥しているのは『文字芸者という者なり』と痛烈に反論した」(Wiki)。

 

 巷間、言葉の瑣末にのみ拘泥(こうでい)する“言葉芸者”インテリが多すぎる。

断章142

 ここ最近、『週刊文春』や『東洋経済』で、思想家・内田樹が“珍説”を述べている。思想家・内田の“珍説”は、「思想家の痴呆化、思想の死相」と呼べるレベルのものである。神戸女学院(内田の元職場)の女子大生に頼まれて採点をかなり甘くしても、「おのれの著作を売るためなら、コロナ禍をも利用する高等駄弁」にすぎないのである。

 内田への「批判」は、わたしの「内心の衝動」などというものの所産では決してない。正直、わたしは、宅配のバイトで忙しくて疲れている。

 ただ、内田をまねて言えば、学者たちもサル化していて、大学教員という地位を守るためだけではなく、知名度や印税を得るために汲々として、お互いの著作を仲間ぼめするだけで、厳しい批判や議論を避けている。なので、この“珍説”を放置すれば、内田自身のサル化が進むことを気の毒に思って、この酸っぱいリンゴをかじる決心をしたのである。まず、週刊文春 2020年4月9日号(ネット版)から俎上にのせる。なお、所々で長い引用をする。

 

 内田は、「『サル化する世界』という本を書きました。こういうタイトルにしたのは、この四半世紀ほどで日本人の考え方がはっきり変わったように思えたからです」と、書名(タイトル)をいたくお気に入りの様子である。だが、全く、いけてない。

 「無策な安倍政権をいまだに支持し続ける人がいる理由 ―― 内田樹の緊急提言」と大上段に振りかぶったのだから、高橋洋一の『バカを一撃で倒す日本の大正解』くらいのド真ん中ストレートで押すか、藤森かよこの『馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください』みたいな際どいコースに思い切って投げるべきだった。

 『サル化する世界』だなんて、栗本慎一郎の『パンツをはいたサル』を思い出しちゃったのである。今風に、『パンツをはいたサル 2.0』にしてもよかった。もう少し出版が遅くて、 “ワンワン高井”(立憲民主党を除籍された)の後なら、『イヌ化した日本』もありだった。閑話休題

 

 「こういうタイトルにしたのは、この四半世紀ほどで日本人の考え方がはっきり変わったように思えたからです」と、内田は新発見をしたように語る。何という事はない。普通に読めば、「四半世紀以前の日本人は、今ほどサル化していなかった」(昔はよかった)という、老人のありふれた懐旧談の一種にすぎないのである。いっそのこと、「戦後の日本人はダメになった」と言えばよいのに(笑い)。保守と同じことをあからさまに言えないので困った内田は、苦しまぎれに、「この四半世紀ほどで日本人の考え方がはっきり変わった」ことにしたのである。

 

 「僕が生まれた1950年の日本の労働人口の50%は農業従事者でした。人々はそれと気づかずに『農業的な時間』『農事暦』を呼吸して生きていた。朝日とともに起きて、陽が落ちたら眠る。春に種を蒔き、日照りや冷夏や風水害や病虫害を恐れ、無事に秋を迎えたら収穫をことほぐ……。そういう『農業的な時間』の中で生きていました。それが日本人の時間意識の土台をかたちづくっていた。しかし、それから70年経って、産業構造が高次化してゆくにつれて、日本人の時間意識もその時代に支配的な産業構造に適応して変化していった」と内田は言う。

 

 自説に都合よく歴史を修正し、論理も飛躍している。

 第1に、内田は、中世にも、近世にも通底する農業社会一般の“時間意識”について述べているにすぎない。明治から大正そして昭和にかけて、日本人の“時間意識”がどれほど大きく変容したかを語っていない。江戸時代の日本人の“時間意識”は、内田の言うとおりだ。日本人が時間にルーズなことを嘆いた外国人の記録も多い。

 しかし、文明開化以後の、鉄道の開通、工場の建設、学校の整備、なによりも徴兵制や昭和期のラジオ放送によって、日本人の“時間意識”は否応なく大きな変化を遂げたのである。内田の言うような“農業的な時間”のままに生きていては、汽車は運行停止し、工場は稼働せず、分刻みの兵営生活は成り立たず、いわんや「02:10に出撃する」(マル・フタ・ヒト・マルに出撃する)と下令(かれい)されても、寝入っている水兵さんたちは出撃できないだろう。

 第2に、1950年代の日本の農村・農民の“リアル”について、無知をさらけ出している。敗戦後の農地改革から戦後復興に続く1950年代の日本農村・農民は、江戸時代の「勤勉革命」(速水 融による命名)に負けず劣らず寸暇を惜しんで働いていた。1950年代の農家の“リアル”は、現金収入を得るために、「陽が落ちた」後も、納屋(なや)の裸電球の下で夜遅くまで縄ない機を踏んでいたり、夜っぴいてブタの出産の世話をしたり、コメ増産のためのパラチオン散布の“中毒”に苦しんでいたのである。

 現実を知らないので、定年退職後に就農して晴耕雨読することを夢見る人のような、牧歌的な「農業的な時間」をイメージするのである。1950年代の日本人が、「それと気づかづに『農業的な時間』『農事歴』を呼吸して生きていた」という主張は、内田のご都合主義的主観にすぎないのである。

 

 ここで、何でもかんでも売文のネタにする内田樹について、簡単なおさらいをしておくことにしよう ―― あわてない、あわてない。一休み、一休み。なにしろ、わたしは、「春には花見をし、夏には海水浴に行き、秋は紅葉狩りをして、冬には雪を愛でる」という「農業的な時間」を今も生きておりますので(もちろん、宅配バイトの配達指定時間はきっちり守りますよ)。

 

 4月21日現在のウィキペディアによれば、内田 樹(うちだ たつる)は、「日本のフランス文学者、武道家、翻訳家、神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学人文学部客員教授。学位は修士。専門はフランス現代思想立憲民主党パートナー。

 東京都大田区下丸子に生まれ育つ。父方の祖母の遠縁の親戚に、参謀本部作戦課長、陸軍大臣秘書官として東條英機の側近だった服部卓四郎がいる。1966年、東京都立日比谷高校に入学。高校2年で成績が学年最下位になり、のち品行不良を理由に退学処分を受けた。家出してジャズ喫茶でアルバイトをするが、生活できなくなり、数ヶ月後に親に謝罪し家に戻った。1968年10月、大学入学資格検定に合格。東京大学文学部卒業。東京都立大学 大学院人文科学研究科修士課程修了。1977年、平川克美と共に翻訳会社『アーバン・トランスレーション』を設立。1980年頃、哲学者エマニュエル・レヴィナスを知る。たまたま手にとった『困難な自由』の最初のテクスト『倫理と精神』を読んで衝撃を受け、『この人についてゆこう』と決心した」とある。

 “立憲民主党パートナー”は、もう辞めているかも・・・。元々は高等遊民なんだろうが、高等遊民の連想類語には、「粋な人・エスプリを知る人」とあるから、考え方がサル化した編集者たちには飲み友達として人気があるのかな?

 

 およそ半世紀前に、三浦つとむは、日本共産党の御用哲学者たちについて、「彼らは、ソ連の『哲学教科書』のスコラ的解釈を大衆向けにやさしく書き換えるだけで、自分で実際に問題を解いたことがないから、彼らが書いたものは、学問的にも実践的にも全く役に立たない」という主旨のことを述べた。内田樹も似たようなものである。『しんぶん赤旗』やリベラル系紙誌の「埋め草」として役に立つだけである。

 

 さて、上記の続きを引用する。内田は言う。

 「今はグローバルスケールで展開する金融資本主義の『取引の時間』に人間の方が適応馴化させられている。今、金融商品の取引は1000分の1秒単位でアルゴリズムが行っています。だから、経営者たちは当期より先のことは考えなくなりました。考えても仕方がないからです。収益が悪化して株価が下がれば先がない。10年後、20年後の会社の『あるべき姿』より当期の数字が優先する。わが社の設立意図は何であったかというようなことは誰も覚えてさえいない。今の企業には過去も未来もないということです。

このせわしない時間になじんだ人からは、長いタイムスパンの中でおのれの行動の適否を思量するという習慣そのものが失われた。別に頭が悪くなったとか、人間性が劣化したという話ではありません。時間意識が環境に適応して変わっただけです」と。

 

 わたしは、「『思想家』という看板を掲げるなら、最初にまず、『金融資本』・『金融資本主義』を『定義』してみなさい」と、内田に要求するつもりだった。ウィキペディアにある“経歴”を見るかぎりでは、無いものねだりのようである。

 

 内田の説明は、典型的な「一知半解」(なまかじりで、知識が十分に自分のものになっていないこと。半可通)であり、そこからの立論は、無理矢理あれやこれやを結びつけた“珍説”である。

 というのは、第1に、金融資本といっても、政府系金融機関・銀行・保険・証券・ファンドなどなどである。金融商品にも色々ある。銀行、証券会社、保険会社など金融機関が提供・仲介する各種の預金、投資信託、株式、社債、公債、保険などなど。そもそもウィキペディアには、「金融商品とは、一般に、金融取引における商品を漠然と指す」(漠然と! 笑い)とある。金融取引も色々である。

 例えば、金持ちが大金を銀行に持って行った折に、窓口で投資信託をすすめられて購入したとする。内田に問う。この金融商品の取引のいったいどこに「1000分の1秒単位のアルゴリズム」があるのか?

 第2は、内田が聞きかじって使っている、「1000分の1秒単位のアルゴリズムを使った取引」についてである。

 まず、基礎知識。

 アルゴリズム取引とは、注文のタイミング、価格や数量、発注後の管理などについて、人手の介入をなくし、あるいは最小化し、コンピューターのアルゴリズムが自動的に決定する取引方法である(自動注文システムのこと)。

 「ミリセコンドの取引」とは、ハイ・フリークエンシー・トレーディング(HFT)のことで、コンピューターを駆使した超高速の金融取引を指す。このHFT取引は、2010年、東京証券取引所の新アローヘッドの稼動以後に可能になったことであり、内田の「この四半世紀ほどで云々」と結びつけることは無理である。

 そして、ここからが本題だ。

 この2つを統合合体した「1000分の1秒単位のアルゴリズムを使った取引」システムを使えるのは、ヘッジファンドや一部の機関投資家だけである(直接の担当者はごく少数)。なぜなら、秀逸な取引戦略、厖大な統計データ、大量・長時間のバックテスト、なによりも巨額の資金が無ければ運用できないからである。

 ところが他方、アルゴリズム取引だけなら、いまや一般人も利用可能である。というのは、ネット証券がお客に無料で提供している個人用売買ツールに実装されているからである。そして、この個人用(アルゴリズム)取引ツールは、内田が言うように「人間の方が適応馴化させられる」というよりも、逆に人間の自由度をより増すものなのである(売買注文の自動発注だから)。

 喩(たと)えるなら、内田のおしゃべりは、初めてF1レースを見た未開人が、「自動車という乗り物は、全て、同じところを猛烈な速さでグルグル回るんだ」と村人に話しているようなものである。

 

 次に内田は、「金融商品の取引は1000分の1秒単位でアルゴリズムが行っています。だから、経営者たちは当期より先のことは考えなくなりました。考えても仕方がないからです」と続ける。経営(学)者たちは、腹を抱えて大笑いするだろう。

 ここにも論理の飛躍がある(あるいは無論理、おもいつき)。そのカギは、《だから》である。本来、《だから》は、前に述べた事柄を受けて、それを理由として順当に起こる内容を導く語である。ところが、ここでは、論理を飛躍させるカギに化けているのである。

 

 経営者たちが、より期近を意識しだしたのは、高度な大衆消費社会の流行や嗜好の変化を予測し難くなったからである。であるからこそ、「先のことを考える」企業の経営企画室が社内の花形になり、経営コンサルが活躍するのである。

 「アップル社は、日本企業によくある3カ年計画について、『それは、ドリームと呼びます』といった。つまり、そんな先のことを考えても意味が無いと思っている」(原田 勉)という指摘なども、あくまでもこれから先の経営戦略・競争戦略を考察する文脈中のことであって、「考えても仕方がないから」(内田)という思考放棄ではないのである。

 

 「収益が悪化して株価が下がれば先がない」。挙げ句、「今の企業には過去も未来もない」と、内田は宣告する。「アメリカの経営者は、業績が悪化すればすぐ首にされる」と小耳にはさんだからである。

 ところが、アメリカでも一概にこう言えないし、いわんや日本の経営者たちは、「株価が下がってもどこ吹く風」だったことは、周知のことである。ファンド等の圧力もあって、ようやく最近、日本人経営者の考え方も若干前向きに変化して、“勘と度胸”ではない戦略的経営やROEを意識した経営へと舵を切っているのである(注:わたしは、なにも「会社は永遠だ」と言っているのではない。念のため)。

 

 「このせわしない時間になじんだ人からは、長いタイムスパンの中でおのれの行動の適否を思量するという習慣そのものが失われた」と内田は言う。

 どうってことはない。しち難(むずか)しく、「最近の日本人は目先のことしか考えていない」と言っているだけだ。「長い人生を考えると保険も必要ですよ」と諭してくれる保険屋さんの同類である。

 あるいは、「現代をよりよく生きるためには『よい思考』が必要。大切なのは、よく考えようとする『態度』である」と言いたいのか? クリティカルシンキングの“入門書”にも書いてある内容だぞ。

 いずれにしても、「この四半世紀ほどで日本人の考え方がはっきり変わった」という内田の“珍説”の論拠は、薄弱であり、牽強付会(注:自分の都合のいいように、強引に理屈をこじつけること)である。

 

 宅配バイトに行く時間が来たようである。中間総括として、わたしは問う。

 内田 樹とは、いったい何者なのか? 

 内田の別の本を出版した「かもがわ出版」の推薦文に、「マルクシアンを自称する内田樹氏。なぜそれほどまでにマルクスを愛読してきたのか、なぜ若者に勧めるのか。本書ではじめて明らかにされる驚きのその理由」とある。

 マルクシアンだって? では、マルクシアンとは、いったい何か?

 あるブロガーさんによれば、「『マルクシアン』とは、『マルクスの知見を理解し、その志に敬意を抱くが、その術語や概念を分析のための主要な道具としては用いない人』のこと。

 『マルクシスト』とは、『マルクスの理論を自らの思想的立場として、その概念・術語を分析の基本的な道具とする人』を指します。いわゆる『マルキストマルクス主義者)』のことだと考えていいでしょう」とある。

 つまり、売文のためにマルクスから様々な引用だけをする口舌の輩(やから)のことである。概ね、共産党の“同伴者”でもある。

 

 ある人は、ナシーム・ニコラス・タレブの著作の書評において、「警官や兵士などが尊敬を集めるのは信念のために自らの命を捧げている(身銭を切っている)からであり、政治家や経済学者が嫌われるのは、高みの見物ばかりで自分ではなんのリスクも冒していない(身銭を切っていない)からとでも言えようか。残念ながら現実は、リスクをとらずにリターンだけをとる、自称“知識人"が跋扈している」と書いている。内田樹もそのひとりである。

断章141

 『塀の中の懲(こ)りない面々』は、作家・安部譲二の自伝的小説でデビュー作である。塀の中の懲(こ)りない面々とは、自由が制限される刑務所服役経験があるにもかかわらず入出所を繰り返す累犯罪者達のことを指している。

 中南海塀の中にも懲りない面々がいる。―― 中南海は、北京市の中心部西城区、かつての紫禁城の西側に隣接する地区を指す。中国共産党の本部や要人・秘書の居住区などがある。この中南海という用語は、単なる場所を示すのみならず、権力の象徴としての政治用語でもあり、「中南海入りする」というのは、「党の指導部入りする」ことを意味する。(Wiki

 

 「米ジョンズ・ホプキンズ大学の集計によると、新型コロナウイルス感染症による死者が17日、世界全体で15万人を超えた。16日に14万人を上回ったばかりで、被害拡大の勢いは衰えていない。感染者は17日に世界全体で220万人を超え、増え続けている」(2020/04/18 KYODO)。

 ところが、中国は、コロナ禍の真っ最中にも、まるで火事場泥棒のような動きをみせている。

 

 例えば、「香港の警察当局は4月18日、著名な民主活動家の一斉摘発に乗り出し、昨年の大規模な抗議デモに関連した容疑で活動家ら15人を逮捕した。

 地元メディアの報道によると、香港メディア界の大物で反体制紙『蘋果日報』の創業者、黎智英氏(72)も逮捕者の中に含まれる。黎氏は自宅で逮捕されたという。他にも現職の立法会(議会)議員である梁耀忠氏や、元議員の李柱銘氏や何俊仁氏、梁國雄氏、區諾軒氏らが逮捕された。(中略)

 香港では2019年、中国本土の不明瞭な司法制度に容疑者の身柄引き渡すことを可能にする『逃亡犯条例』の改正案をきっかけとして大規模な抗議デモが繰り広げられ、時には暴力沙汰に発展。逃亡犯条例の改正案は撤回された。

 民主派議員の毛孟静氏は18日、香港政府が『恐怖政治を取り入れることに注力している』と指摘。『彼らは、黙らせるため、住民の反対を取り払うため、できることなら何でもやっている。だがその時われわれは、団結し立ち上がる』と述べた」(2020/04/18 AFP)。

 

 あるいは、「中国の著名な人権派弁護士、王全璋氏(注:政治活動家らや土地収奪の被害者らの弁護を担当していたことで知られる)が約5年の刑期を終えて出所した。

 ・・・王氏が拘束されたのは、習近平国家主席が権力基盤を固める中、弁護士や政府への批判者200人超に対して一斉取り締まりが行われた2015年だった。

 妻の李さんによると、王氏はまだ首都北京の家族の元へ帰っておらず、新型コロナウイルスの予防措置として14日間隔離するため、同国東部山東省にある同氏の所有物件へ連れていかれたという。

 北京で息子と共に暮らす李さんはAFPに対し、王氏は出所したにもかかわらず自宅軟禁となり、監視下に置かれることを恐れていると語った。

 李さんは『(当局は)一つ一つ私たちにうそを積み重ねていると思う』と述べ、『関連する法的指針に従って夫は北京の自宅に戻ることができたはずだったが、(当局は)14日間隔離するという理由で、感染拡大を口実に使った』と続けた。

 AFPは5日、刑務所へ電話をかけたが応答はなく、山東省の司法当局にも問い合わせたが反応はなかった」(2020/04/05 AFP)。

 

 そして、「ベトナム政府は3日、中国などと領有権を争う南シナ海のパラセル(西沙)諸島海域で2日、中国海警局の公船の体当たりを受けたベトナム漁船が沈没したと発表した。乗組員8人は無事だった。

 越主要紙タインニエンは、海に投げ出された乗組員の救助に向かった漁船の僚船2隻も中国側に一時拿捕(だほ)されたと報じた。ベトナム政府は『中国は主権を侵害した』との声明を発表し、再発防止や漁船の補償を求めた」(2020/04/06 読売新聞)。

 

 あるいは、「河野防衛相は4月13日、東京都内で講演し、新型コロナウイルスの感染が拡大する中で軍事的挑発行為を続けている中国について『極めてけしからんと思っている』と強く批判した。『感染拡大の中でも中国が南西諸島に軍事的な圧力をかけ続けていることを、国民にはしっかり認識していただきたい』と述べた。

 今年1~3月、航空自衛隊機は領空侵犯の恐れがある中国機に対して152回の緊急発進(スクランブル)を実施。尖閣諸島沖縄県石垣市)周辺の接続水域では中国公船がほぼ毎日航行している。河野氏は講演でこうした現状を紹介し、国内外への情報発信に力を入れる考えを示した」(産経新聞)。

断章140

 ネズミ男は、「ヘーゲル」を齧(かじ)ってみた。まるで歯が立たなかった。低学歴で地頭(じあたま)も良くない現実を突きつけられたのである。かてて加えて連日の外出自粛である。つれあいのハムスター女と、「殿。まだ名前も歳も聞かれておりませぬ」「よーく知っておるわ」と、バカ殿ごっこをしても気分は晴れないのである。何日か悩んでいたネズミ男は昨夜、風呂に入っているときに、大きな決断をしたのである。

 風呂から出るなり、「決めた、決めたぞ!」とハムスター女に告げたのである。外出自粛のおかげでいつもより多い500円玉貯金を取り崩し、立憲民主党の高井 崇志のように“セクキャバ”に行くことにしたのである(な、わけないだろ)。

 500円玉貯金の総額は、約3万円だった。AMAZONで本をしこたま買うことにした。独学に限界があることはつねづね痛感している。しかし、今こそ系統的な学び直しをすべきである、と思ったのである。

 

 「コロナウイルスの感染拡大防止のため、外出自粛が要請されています。週末の外出も抑制され、『家にばかりいてやることがないから、面白くない』などと言う声が聞かれます。考えを転換してください。いまこそ、勉強をする絶好のチャンスなのです。

 コロナ騒動は、それがいかに過酷なものであったとしても、いつかは終息します。終息した後の世界で、社会は、前と同じように営まれていくでしょう。その新しい世界においてあなたがどのような地位を占めるかは、この期間にどれだけ勉強するかにかかっています。

 自宅に閉じこもることが要請されるために、勉強の方法も、これまでとは違うものへと変わらざるをえません。それは、学校や塾などでの対面の教育・勉強から、『独学』への移行です。外出したり、人と接触したりすることを避けねばならない状況下において、独学こそが最も望ましい勉強の方法です。(中略)

 多くの人は、専門学校や英会話学校に通えば、自動的に知識や学力がつくような錯覚に陥っています。そんなことはありません。(中略)

 外国語の勉強については、昔から多くの人たちが独学で学習してきました。最も有名なのは、ハインリヒ・シュリーマンでしょう。彼は、トロイの遺跡を発掘したことで知られるドイツの考古学者です。この人は、まともな学校教育を受けることができなかったのですが、外国語については成人してから、まったくの独学で学び、何十カ国の言葉を巧みに操ったと言われます。そうした技能によって彼は事業に成功し、そこで得られた経済力で遺跡の調査を行ったのです。(中略)

 もともと、勉強は楽しいものです。自分の実力を向上させてくれるというだけではありません。それまで知らなかった新しい世界を見せてくれます。こうした勉強の楽しさは、学校に通って先生の言うことを受動的に受け入れているだけでは、なかなか実感しにくいものです。独学によって自ら新しい世界を切り開いていくことによってこそ、勉強することの楽しさを実感することができます。

 コロナウイルスの問題は、われわれの生活に大きなストレスを与えています。それができるだけ早く終息してくれることを心から願ってやみません。ただ、このことを、単に試練とだけ考えるのではなく、積極的に受け止めることも必要です。そのための具体的な方法が、この機会に独学で自分の能力を飛躍的に高めることなのです」(2020/04/14 東洋経済・野口 悠紀雄)。