断章145

 最悪について語るのは、最悪を避けるためである。

 『日本最悪のシナリオ 9つの死角』(財団法人・日本再建イニシアティブ)は、「日本を襲う『想定外』の国家的危機は、大津波原発事故だけではない。この国の危機管理の盲点と脆弱(ぜいじゃく)さをあぶり出す」ために、2013年3月に出版された。

 

 この本は、第1部で9つのシュミレーション・シナリオ、第2部でシナリオからの教訓を叙述している。9つのシナリオの1は尖閣衝突、2は国債暴落、3は首都直下地震、4はサイバーテロ、5がパンデミック、6はエネルギー危機、7は北朝鮮崩壊、8は核テロ、9は人口衰弱である。

 

 「1980年代のエイズ出現後、感染症の突発とパンデミックは、数が拡大し、さらに加速する傾向にある。高病原性鳥インフルエンザ(1997年)、ニパウィルス感染症(1998年)、ウエストナイル熱(1999年)、炭疽菌郵便テロ(2001年)、SARS (2003年)、パンデミック・インフルエンザ(2009年)、病原性大腸菌O104 (2011年)と続いた。なかでも上記2009年4月、メキシコやアメリカで発生した豚インフルエンザは、『パンデミック(H1N1) 2009』と呼ばれた。アメリカの死者は約1万2千人、世界では28万人の死者を出した。日本では約200人が死亡した」(P113)。

 こうした傾向を踏まえて、まるで新型コロナ禍を予見していたように、第5章パンデミックの叙述はリアルである。

 

 そもそも、平時においてさえ、日本の医療は、「2018年の人口 1,000人当たり医師数は日本では 2.4 人、OECD平均は 3.5 人である。厚生労働省の医師数推計から計算すると、日本の人口 1,000 人 当たり医師数は 2030年前後に 3人程度になりそうである。大病院の『3時間待ち、3分診察』と言うのは決して医師の怠慢ではなく、患者の数が既にキャパシティを超えているのだ。

 厚生労働省は医学部の定員を増やして、医師の増加をはかっているが、医師免許を取得した人間が『急患や重症患者を見る』という仕事にはつかない傾向にある。そういう患者を診るよりも、企業の嘱託医という仕事、あるいは比較的軽い患者を診察し、重症患者を大病院に紹介する開業医に流れているのだ。小児科医が増えたといっても、病院にとどまり重症の子供たちの命を救う医師数は減っている。

 その一方で、病院の倒産・閉院が増えている。病床稼働率は高いのに、患者1人を診察するたびに人件費や設備費用で赤字になる。どこの病院も生き残りをかけて、病床利用率を90%以上に上げ、午前中退院が出れば、午後には入院を入れると言う細かい努力をしているにもかかわらずである。このように満床率が高い状況で、急に増えた感染症患者を入院させるのは不可能である。

 また、入院治療が可能な『二次救急医療機関』と呼ばれる中規模病院は、1997年には都内に429施設あった。それが10年後には266施設まで減っている。(中略)

 治療の難しい患者が大病院に集中し、勤務医の労働条件は苛酷になる一方である。また、1995年から10年間で医療訴訟は2倍以上に増えた。1日3件の訴訟が発生している計算になる。リスクの高い仕事につくのを嫌がる医師が増えるのと比例するように、薬局に行けば済むようなことでも救急車を呼びつけるモラルの低い患者が激増している。国民皆保険で誰もが簡単に病院にアクセスできる利便性が、逆に本当に治療が必要な人々への治療を難しくしている。

 自転車操業のような綱渡りの病院群に、パンデミックと言う高波が襲来した時、どうなるのか。医療崩壊を放置してきた行政、国民、そして医療界は、パンデミックによって大きな代償を払わされる確率が高い」(P126)のである。

 

 「都市化に伴い巨大技術を活用する社会は、巨大なリスクを抱え込むリスク社会でもある。・・・グローバル化はヒト、カネ、モノ、情報に加えて、パンデミックサイバーテロなどリスクのグローバル化でもある。それは新興国貧困層中産階級に引き上げる“上げ潮”効果を持つが、成熟民主主義国も新興国も等しく社会の中の格差を拡大させるリスクを高める。

 また、個人の社会的影響力の獲得をもたらすが、同時に個人が社会に対する極めて破壊的な脅威となりうるリスクも内包する。

 米国一極体制は崩壊し、多極化、さらには無極化の『新世界』が出現しつつある。太平洋、北東アジア、インド洋、中央アジア、中東での地政学的リスクがこれまで以上に高まっている。おそらくは気候変動をも背景としてだろうか、自然災害が激発し、それも凶暴化しつつある。それは、エネルギー・食料・水のセキュリティをさらに不安定にする要因にもなるだろう。

 成熟民主主義国は財政赤字と国家債務の重圧、高齢化と人口減、ガバナビリティー(統治力)の低下による統治不全リスクを抱え込みつつある。

 このような巨大リスク社会と巨大リスク世界を前に、日本はいかにも脆い存在であり、備えの不十分な社会である」(P304)。