断章482

 苦労知らずのお坊ちゃんで、実業知らずの大学知識人たち(たとえば、斎藤 幸平や白井 聡)は、「脱成長」とか「資本主義からの解放」と、しゃあしゃあと言ってのける。食うに困ったことがないからである。

 わたしは、資本のシステムを、「めちゃくちゃいい」とか「完璧だ」と言うつもりはまったくない。ブルジョワ社会の“底辺”をはいずり回ったからである。

 ナトリウム灯に照らされた深夜の高速道路上で明け方まで道路保全をするような肉体労働で身体を壊し、およそ2年近い闘病生活で、職と貯金の大半を失った。低学歴で病み上がりで中年目前のわたしに、再就職の窓口は狭かった。歩合給の飛び込み営業にチャレンジする前に、アルバイト数種で食いつないだ。

 

 たとえば、キャバレーの客引きをした。ド派手な看板を持って駅頭に立ち、酔客をキャッチして、駅前からちょっと奥まった路地にあるキャバレーまで案内する。日当がいくらだったかは、もう忘れたが、酔客を送り込むたびに3千円の歩合をもらった記憶がある。おかげで、しばらく糊口をしのぐことができたのである。

 キャバレーといえば、福富 太郎であろう。「創業したキャバレーハリウッドは最盛期にFC店を含め、全国に44店舗を構え、キャバレー太郎、キャバレー王の異名をとった。1967年、初の著書『金と女の我が闘争』を刊行。以後、『人生評論家』、『ビジネス評論家』等の肩書で、単著だけで45冊ほど上梓した」(Wikipedia)。本を読めば義理堅い傑物であるとわかる。

 苦労知らずのお坊ちゃんで、実業知らずの大学知識人たち(たとえば、斎藤 幸平や白井 聡)は、ほとんど誰の役にも立っていない。「ど~だ」とばかり、おのれの賢さをひけらかしているだけだ。福富たち、キャバレー業界は、行き場のない多くのシングルマザーやわたしのような立場の者に働き口を提供した。だから、「2018年、86歳で亡くなる。北千住ハリウッドで営まれた『キャバレー葬』はテリー伊藤が司会を務め、喪服禁止の陽気な会で、みのもんたなどの有名人はもちろん、昔ホステスとして務めていた感じの女性など多数が参列した」(Wikipedia)のである。

 

 残念ながら、資本システムにまさる経済エンジンは、まだ片鱗も見せていない。

 共産主義社会主義)があるというのか? 

 旧・ソ連は、すべてが平等という建前だった。しかし、実際は、自由主義国よりも不平等だった(さらに今の中国の酷い“格差”を見よ)。

 「1989年当時のソ連の平均月収は、労働者で157ルーブル、農民で117ルーブルだった。労働者の平均所得の半額となる75ルーブル以下の最貧困層は3,576万人もいた。ソ連貧困層と最貧困層含めた人数は、国民の35%にも達していたという説もある。年金生活者はさらに悲惨だった。年金受給者のうち、半数は50ルーブル以下の最貧困層だった。その一方で、共産党幹部などの富裕層50万人は、月500ルーブル以上の年金をもらっていたという。

 このような格差は、自由競争の結果起きたものではない。経済活動に様々な縛りがあり、自由で公正な競争ができない中で、コネがあるもの、不正を働くものが、豊かになっていったのである」(『お金の流れでわかる世界の歴史』)。

 旧・ソ連中華人民共和国は、マルクス共産主義社会主義)とは、“無縁”だと強弁するのか? ところが、そう強弁する彼らもまた、スターリン主義者の「主要な生産手段の国有化と計画経済」という“処方箋”に代わる“処方箋”を持ち合わせていないのである。

 

 世界市場で貿易しているなら、経済成長に努めている他国をしり目に「脱成長」(斉藤 幸平が言うように)すれば、たちまちシェアを奪われ貧乏国に転落するだろう。

 

【参考】

「キャバレーとは、ホステスと呼ばれる女性従業員が客をもてなす飲食店の一業態で、ダンスフロアを備えていた。第二次世界大戦後に現れ、昭和30年代から40年代に最も流行した。より大衆化した1970年代以降はおさわりなど、お色気サービスを伴う店も登場した」(Wikipedia)。