断章280
「金だけ、今だけ、私だけ」という私的欲望を全面的に解き放つことで、“資本”は、恐るべき力を手にした。
「ブルジョワ資本主義こそ、自由で平等で理想的な社会を自動的に実現するための手段として利潤を積極的に評価した、最初で唯一の社会的信条だった。ブルジョワ資本主義以前の信条では、私的な『利潤動機』は、社会的には有害なもの、あるいは少なくとも中立的なものとみなしていた」(P・ドラッカー)。
「資本主義は、インセンティブ ―― 人々の意思決定や行動を変化させるような要因のこと。誘因とも呼ぶ ―― と、イノベーション ―― 物事の『新結合』『新機軸』『新しい切り口』『新しい活用法』のこと。新しいアイデアで社会的意義のある新たな価値を創造し、社会的に大きな変化をもたらす自発的な人・組織・社会の幅広い変革を意味する ―― を生み出し、生産性を上げ、資源を配分する素晴らしい方法だということがわかっている。すべての成功している国は、それを利用している。例えば、共産主義の中国は経済的には資本主義を選択したが、それはその成長に不可欠なものであった」(レイ・ダリオ)。
この時代、この世界では、いかなる国も企業も、同じ品質ならより安く、同じ価格ならより良質の製品を大量生産するという《市場原理》(市場競争)を避けて通ることはできない。市場での競争に負ければ、国は衰退し、企業は倒産する。
日本の「戦前の輸出製品は繊維などの軽工業に依存していたが、朝鮮戦争から始まった戦後産業は重化学工業にシフトした。重化学工業は高度成長経済を推進したが、そこには奇蹟的な幸運が幾重にも重なっていた。
第1に、戦災によって灰燼となったため設備が新しかったこと。
第2に、10年程度の産業の習熟度の手ごろさ。
第3に、固定為替制の有利さ。
第4に、開発コストを吸収するに適度な大きさの国内市場。
第5に、圧倒的多数の若年労働者の存在である。
最後の幸運はもう2度と現れることはあるまい。奇蹟そのものと言っていい」(井手 敏博)。
そして、後発国の躍進に脅かされる現在の日本がある。そこにコロナ禍の襲来である。「400万人弱が働く飲食店の従事者は、サービス業の中で道路貨物運送業(204万人)や宿泊業(64万人)などに比べても多い。外食の雇用が悪化すれば、溢れた従業員はほかの業界に向かう。時短要請に応じる外食が持ちこたえられなければ、日本全体の雇用に及ぼす影響が大きくなる」(日経ビジネス)。
しかもコロナ禍があろうとなかろうと、「テクノロジーの進歩は目覚ましく、その破壊的な威力で既存の業界をひとつまたひとつと崩壊させる。さまざまな形で集中が進み、より少ない土地からより多くの作物の収穫を、より少ない天然資源でより多くの消費を、より少ない工場でより高い生産性を、より少ない企業で売上と利益のアップを実現する。スーパースター企業の経営陣は莫大な富と収入を得る。中流層の収入はかなり減る。そして一部の労働者は困難に直面する。働いていた工場と農場が閉鎖され、新しい工場も農場もオープンしない。働き口は都市とサービス業に集中する。富と収入の不平等は大きくなる」(アンドリュー・マカフィー)。
わたしたちは、21世紀の「富国強兵」に踏み出さなければならない。21世紀の日本を救うために、富裕層への時限的増税で財源を確保し、勤労大衆の“大減税”を実施すべきである(富裕層はすでに自己顕示的消費しかしていないが、下級国民には買い替えを我慢している物が沢山ある)、さらにエリート教育や実務教育(職業訓練)の内容を抜本的に刷新しなければならない。