断章289
青鬼はふんどしを持っているだけ、まだましである。Aが子どもだった頃の実家は、赤貧洗うが如し(せきひんあらうがごとし)の極貧生活だった。空腹に耐えかねて、神社のお賽銭を盗んでパンを買ったことがある ―― この世には神も仏もいないことは、いまだに彼に天罰が下されていないことでもわかる。
若い頃も、食うや食わずのひどい暮らしだった。人並みの暮らしをしたいと願い、脇目も振らず働いた。働けど働けど暮らしは楽にならずぢっと手を見ていた若かりし頃、ひとりの友人についつい愚痴ってしまったそうな。旧・ソ連がまだカクシャクとしていた時代のことである。
その友人が言うには、「Aさんが大変なのは、この社会が資本と賃労働の対立に基礎をおく資本主義だからですよ」と。そして、資本主義という制度がいかに矛盾に満ちたダメな制度であるかを説明してくれた。そして、この資本主義という制度そのものに根本的な原因があるのだから、「生産手段の私的所有を廃絶して、生産手段を社会化する」社会主義だけが、真の問題解決の道なのだと教えてくれたのである。
「生産手段の社会化」を具体的にイメージできないと言ったAに、その友人は、こう言ったそうである。「この世の中から失業者をなくそうと思えば、すべての企業を国有化して、そこに働いている人を公務員あるいはそれに準じる身分にすればいいわけです。そうすれば失業のない社会が実現できるはずです」と。
Aは、思わず故郷の村役場を思い出したそうである。“競争”も“気概”もない役人だけになった国家の未来も思い浮かんだそうである。「ソ連には自由がない」とも聞いていた。
なので、その後もひたすら働いた。自営業で成功し悠々自適の75歳になったが、仕事が好きなので、まだ現役で働いている。