断章368

 日本の「左翼」学者や自称「知識人」リベラルの多くは、偽善者(パリサイ人)である。

 彼らはマルクスが書いたものを表面的な字面(じづら)で読み、マルクスの言葉をメシの種(生活手段)にし、学識や知性を笠に着て上目線で説教する。「にんげんは、こうしなければならぬ、などとおっしゃる」(太宰 治)のが得意である。マルクスのあれやこれやを“引用”し、“マルクスに学ぶ”を気どっている。

 しかし、「階級闘争の承認を、プロレタリアートの独裁の承認にまで押し拡げる者だけが、マルクス主義者である」(レーニン『国家と革命』)ことは、商売上(あるいは政治的術策として)隠しておきたい連中なのである。

 

 〈救国救民〉の旗を立てるということは、「全体主義」国家、テロ国家、「反日」国家に対して警戒を怠らず、「全体主義」国家、テロ国家、「反日」国家は、「好戦的で、危険な存在である。このような国家群がそうしたやり方を改めれば、あらゆる国の民衆はますます安全に、かつ安心して暮らせるようになるだろう」(『正義論』)ことを広く知らせることである。

 「全体主義」国家、テロ国家、「反日」国家に対して口先だけは批判的でも、本質的には親和的かつ融和的な「左翼」学者や自称「知識人」リベラルとは、戦わなければならない。

 わたしたちの国を守り前進させるのは、わたしたちの聖なる義務であり、名誉である。

 

 かつまた、〈救国救民〉の旗を立てるということは、「政治的に『虐げられている者』、経済的に『貧しい者』『無きに等しい者』、能力的に『無力で無知な人々』、人生の『苦難のなかでもがく人々』などに」、同胞として手を差し伸べ助け合うことである。

 但し、そのことは、一部のエリートや「知識人」が言い始めた、ユニバーサルベーシックインカムやユニバーサルベーシックサービスを意味しない。というのは、それらは、実態としては、生存ギリギリラインの下級国民への“配給”を意味するのであり、個々人の「名誉感の喪失」や「生きる意味の喪失」をもたらすからである。

 

 社会人の学び直し(リカレント教育)の推進(働きながら学べる環境の整備、スキルアップ)、規制緩和、減税などを実現して、もっと賢く、もっと強く、もっと豊かで、もっと助け合う日本を!