断章245

 「市民社会の解剖学は経済学のうちにもとめられなければならない」としたマルクスは、主著『資本論』において詳細な「市民社会」の解剖図(あるいは「資本制社会」の超音波画像)を提示した。しかし、その解剖図は難解である(あるいは超音波画像は不鮮明である)。

 なにしろ、知謀家・レーニンをして、「ヘーゲルの《論理学》全体をよく研究せず理解しないではマルクスの《資本論》、とくにその第1章を完全に理解することはできない。したがって、マルクス主義者のうちだれひとり、半世紀もたつのに、マルクスを理解しなかった!!」と言わしめるほどのものなのである ―― それでは、『資本論』出版から150年余の今日。果たして、ヘーゲルの《論理学》全体をよく研究し理解してマルクスの《資本論》を完全に理解している者は、いるのだろうか? 

 

 日々、食うための仕事に追われ、たまにエンターテイメントや酒・ギャンブルで息抜きをしている勤労大衆にとって、ヘーゲルの《論理学》全体をよく研究し理解してマルクスの《資本論》を完全に理解することは、はなはだ困難なことである。

 すると、そこに「左翼」インテリ(たとえば、白井 某)がやって来て、「資本制社会では、各人が私利私欲にもとづいて自由に競争する。万人の万人に対する生存競争、個別資本による他資本との生存競争がくり広げられている。また資本家階級全体が労働者階級全体を搾取している。

 その結果、財産のごく少数者への集中による激しい貧富の差にもとづく対立、旧い中間階級の没落、周期的な商業恐慌・金融恐慌によって社会が困窮する。もちろん、恐慌の有無にかかわりなく、社会の底辺では、つねに下級国民が、失業者の大群が呻(うめ)いている。

 またこの自由な生存競争が、国民経済の枠組みを大きく超えて、グローバルにくり広げられるようになれば、すべての産業的諸分野における資本の集中と集積に、ますます拍車がかかり、あらゆる産業的諸分野で、巨人のような超富裕層が生まれる。さらに、個別国家による他国家との仁義なき競争は、時に競争の極限形態としての戦争に至る。

 こうした大問題の解決策は、前衛党に指導された労働者階級が、社会主義革命に勝利してプロレタリアートの独裁を樹立し、共産主義社会を建設することである」と、おごそかに勤労大衆に告げるのである ―― 実は、ヘーゲルの《論理学》全体をよく研究し理解してマルクスの《資本論》を完全に理解しているわけでもないのに。

 

 どんな思想家(哲学者)も通俗化することができる。しかし、思想(哲学)とは「方法と原理による世界観と人間観の統一」であるから、「方法と原理」「世界観と人間観の統一」を単純化して、あるいは曖昧にして通俗化したものは、風雪100年に耐えないのである。たとえ、ひとしきり勢威を誇ろうとも、あっけなく終わってしまうのである(旧・ソ連のように)。