断章159

 「米ジョンズ・ホプキンス大学の集計によると、日本時間16日午前4時半の時点で、累計感染者数は約796万7千人、死者数は43万4千人だった。中南米地域の数字が反映されておらず、現地時間15日中に800万人を突破するのは確実な情勢だ。国別では米国が感染者・死者数とも世界最多で、ブラジルが続く。感染の震源地は新興国に移っている。現在、新規感染者が多いのはブラジルやパキスタン、インドといった国が中心だ」(2020/06/16 日本経済新聞)。

 

 イタリアやニューヨーク市では、新型コロナウイルスによって“医療崩壊”が起こり、誰を助け、誰を見捨てるかを選ぶ“トリアージ”が行われ、その結果、高齢者を見捨て、若い人を助ける措置が行われた。つい先日のことだ。

 

 だが、早くも夜の街には賑やかさが戻りつつあるという。人間は、どんな辛いこと、苦しいこと、恐ろしいことでも、いつかは慣れる。そして平穏な日々が続けば、辛かったこと、苦しかったこと、恐ろしかったことを、忘れてしまうのだ。ならば、コロナ第2波の到来は必至であろう。それは、より深刻な経済危機を連れてくるだろう。

 

 そのとき、何がおきるだろうか? 

 「若い女性は外国に行って売春し、転落した団塊ジュニアと資産を作れなかった高齢者は無人島や埋立地に追いやられる。社会から隔絶されたその地域には酒やドラッグに溺れた中年男性がたむろし、認知症の老人が暴れたり徘徊している。朝になると凍死した死体が何体か転がっているけれど、行政サービスが極端に削られているのですぐには回収されずに放置されている。そんな暗澹たる光景」(中村 達彦)すら想定できる。

 かつて、「近代以前の、生産力の低い社会では、年老いて働けなくなった老人は集団にとって『穀潰(ごくつぶ)し』のお荷物でした。そのため、食料をはじめとする資源が限られていた環境では、老人を山に捨てる姥捨(うばす)てで、元気な人に貴重な資源を集中させ、家族や村落共同体といった集団を生き残らせてきたのです。

 つまり、活用できる物的資源や人的資源を全体として最適化し、集団として生き残るというのが、人類のより根本的な行動形態なのです」(萱野 稔人)。

 ―― 引用者注:「池田 信夫によれば、元々日本において『人口問題を解決した方法は、姥捨てとは逆の子捨てである』としている」(Wiki)。

 

 なにしろ、たとえ現状のママでも、「これからますます高齢者は増え、社会保障費は増大の一途にもかかわらず、経済成長や増税で税収を大幅に増やせる見込みはまるでない。消費税を2%上げるのにあれだけ大変だったわけで、少なくともむこう10年は10%のままでしょう。それならとにかく現状を死守しようとなると、1人に割り当てる金額を削るしか方法はありません」(ポール・ウォーレス)なのだから。

 「老後破綻という言葉を聞いて久しい。現在、生活保護受給者の半数以上が65歳以上の高齢者で、しかも年々増え続けているのが現実だ。元々、平均的なサラリーマンが一人でもらえる厚生年金は、税金や社会保険料を差し引かれると生活保護レベルと変わらないほど安い。

 税金や医療費が無料になる生活保護の方がいいかもしれないくらいなのだ。そして夫婦二人世帯でなんとかギリギリやっていけるのだが、離別や死別で一人になった途端、たちまち困窮してしまう。事実、高齢者の生活保護受給世帯の9割が単身者なのだ」(大村 大次郎)。

 

 下級国民であり下流老人である、わたしに厳しい時代になることは間違いない。しかし、元々が、4畳半の間借り、共同トイレ・共同炊事に銭湯通いから始まって、「ボロは着てても こころの錦どんな花より きれいだぜ 若いときゃ 二度ない どんとやれ男なら 人のやれないことをやれ」(「一本どっこの唄」♪ 水前寺 清子)と、やってきたのだから怯(おび)えることはないのである。