断章41

 1985年頃の北朝鮮事情について、『闇からの谺』(崔 銀姫・申 相玉)は書いている。

 

 「北朝鮮の為政者たちは、人民が現在の自分たちの生活に満足しそれを幸福だと感じるように、苦しかった日帝植民地時代を強調して教育する。確かに現在は日帝時代よりはましなので、大部分の人民たちは満足しているのかもしれない。さらに北朝鮮が“地上の楽園”だと思わせるためには、外部世界との完全な遮断が必要である。そのため、人民たちは外部世界について徹底的に無知である。別の社会に住む人々と自分を比較してみることができないので、ただ朝に夕に『偉大な首領様と親愛なる指導者同志』に感謝しながら生きている」。

 

 情報統制のために外部世界から遮断され、「北朝鮮」の外部について徹底的に無知であれば・・・

 「ある日、わたしは北朝鮮少年芸術団が日本に行き、成功裡に公演を終え帰国したことを宣伝するためにつくられた記録映画を見た。わたしといっしょに見ていた職員が、日本の(在日)同胞たちの家庭のテレビの下にあるビデオデッキを見てわたしに、あれは何かと訊ねた。わたしたちの撮影所にあるような録画機だと説明した。すると信じられないといった表情をした。彼の常識では、一般家庭でそんなものを持っているとはとても信じられないからであった」。

 「ある日、偶然食べ物の話が出てくると、その安全員はやや低い声でわたしに訊ねた。『きみは南朝鮮でチョコレートを食べたことがあるのか』『金さえあれば、いくらでも買って食べられますよ』『ええっ! 党幹部やお偉方のほかは見ることもできないんじゃないのか?』『そんなことはありません。誰でも買うことができますよ』『ええっ!・・・』どうしてもわたしの言葉が信じられないという表情だった」という、この頃の日本からすれば笑い話のようなことになる。

 

 そして、「朝鮮の全ての共産主義革命家は、父なる首領さま(金 日成のこと)から永生の政治的生命をいただき、首領さまの愛とお心遣いの御手の差し伸べの下に育ちました。誠に我が首領さまは、我々皆の偉大なる師であり、政治的生命の父であらせられます。それゆえ偉大な首領さまに対する我々党員と勤労者の忠実性は曇りなく澄み渡ったものであり、絶対的、無条件的なものなのです」(1987年『労働新聞』・訳出  古田  博司)と、感謝しながら生きていくことになるのである。