断章42

 昔日、マルクスを読んだキ真面目な青年たちは、みんな、たちまちマルクスの学徒となった。なぜなら、“マルクスの理論は、唯一の、科学的かつ本質的な革命理論である”と思ったからである。

 「共産主義運動のように、高度の道徳原則をもち、献身的で、聡明な闘士たちを抱擁しながら上昇しはじめた運動を、歴史は他にあまり知らない。かれらは理念や苦難を通じてたがいに固く結びあっているばかりでなく、勝つか、斃れるかの運命しかない闘争でのみ生まれるような私心のない愛情、同志的結合、連帯心や温かでまっすぐな誠意を通じて固く結びあっているのである。共同の努力や思想や願望、おなじ考え方や感じ方を確保するための熾烈な努力、党や労働者団体にたいする全面的な献身を通じて、個人の幸福をみいだし、個性を築きあげること、他人のための熱情的な犠牲、青年にたいする配慮と保護、老人にたいするやさしい尊敬など、これらいっさいのもの」(ミロバン・ジラス)のために、彼らは共産主義運動に馳せ参じたのである。

 

 ところが、歴史の巨大な陥穽というべきか、すでに革命ロシアでは、「大企業、ついで小企業の国有化、そして強制的な農業集団化、高率の課税や価格の不平等など、いろんな方法を通じて私有財産を破壊して集団的所有形態を確立した特権官僚は、これらの財貨を使用し、享楽し、分配する権利を通じて、国家の物財を自分たちの財産にしてしまった」。

 「ながいあいだ、共産主義革命と共産主義制度は、真の性格を隠してきた。新しい階級の登場もまた社会主義の用語や、さらに重要なことは新しい財産の集団的所有形態の下に隠蔽されてきたのである。いわゆる社会主義的所有とは、政治官僚(特権階級)による所有の実態をかくす仮面である。そして、はじめのあいだは、この官僚は工業化の完遂をいそいで、以上の仮面の下にその階級構造を隠していたのである」(ミロバン・ジラス)。

 

 「各国の共産党政権が行ったテロルや抑圧の過程は、ソ連で練り上げられた母型から派生している。とりわけ中国、北朝鮮カンボジアなど、アジア共産主義におけるそれは、犠牲者の総数ではソ連を凌駕し、酸鼻も極限に至った。その特徴は、過剰なまでのイデオロギー化と主意主義にある。“正しい思想”による洗脳、人間の分類と再編成への意志、そして階級敵に対する絶滅政策の発動。この死のプログラムを社会全体に適用することに、政権はある期間成功する」(『共産主義黒書・アジア編』の跋文)。

 

 ロシア革命と世界共産主義運動の真実は、一部では早くから知られていた。だが、共産圏の特権階級「赤い貴族」と、それに付き従う各国共産党は、「大きなウソ」を膨大かつ執拗に宣伝することで覆い隠し、キ真面目な青年たちをリクルートし続けたのである。ソ連邦の崩壊によって、ロシア革命と世界共産主義運動の真実が満天下にくまなく知れ渡るまでは。

 

 日本共産党は、「わたしたちは、ロシア恐惨党とちがって、共に幸せを産む党ですよ」と“幸福の科学”も赤面するようなことを言って、ちぢこまっていたが、“格差の拡大”“不満の蓄積”に乗って勢力回復を画策するだろう。

 

 人間は、「ちょっと前なら憶えちゃいるが、そんな前だとチト判らねェなあ♪」(『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』)が普通である。あの殺人カルトのオウム真理教の後継団体でさえ、「事件を知らない若い入会者の伸びが目立つ」(公安調査庁)のである。

 

 まして、“前衛党”(公認共産党、そして日本では1956年ハンガリー動乱後に生まれた「反日共」各派)の酷い真実の姿は、それをみずから体験した人でなくては分かるまい。

 

 世界が混迷し“格差の拡大”が叫ばれているので、マルクス主義を標榜する“前衛党”(公認共産党、そして日本では1956年ハンガリー動乱後に生まれた「反日共」各派)に、これから参加する青年もいるだろう。

 かつて日本共産党に参加した昭和の青年たちは、客観的には結局、共産圏の「全体主義」を弁護しただけだった。「反日共」各派に参加した昭和の青年たちは、道の先にあるのは《闇》と知っただけだった。

 「歴史は繰り返す。一度目は昭和の悲劇として、二度目は令和の喜劇として」になるのだろうか?