断章481

 「生産の持続的な革新、社会状態の絶え間ない動揺、永続的な不確実性と運動が、ブルジョワの時代を他のすべての時代から区別する」(マルクス)。

  ―― マルクスは、この資本制社会(資本制生産様式)の“解剖学”における「知の巨人」である。しかし、喩(たと)えるなら、医者としては、“角を矯めて牛を殺す”ヤブ医者である。だから、マルクスの弟子を名乗る者たち(レーニンスターリン・毛 沢東・ポル ポトなど)は、すべて、何百万、何千万の無辜の民(自由と読め!)を殺して、その手は血まみれになった。

 

 資本制生産様式は、産業革命(機械制大工業)の確立にともない、世界(=社会)全体を制覇する経済システムになった。それは、市場での競争によって〈国家〉〈企業〉〈個人〉が淘汰されるシステムである。したがって、競争に負けた国家は衰亡し、企業は倒産し、労働者は失業する。さらに、資本制生産様式に特有の景気循環金融危機の“定期的”発生がある(それは資本の効率性とダイナミックな成長のためには欠かせないものだが、失業する者はトホホである)。

 

 ここにきて、さらにまた、世界はかつてない大波乱・大変化・大混乱を迎えそうである。

 第一に、コンドラチェフやらなんたらの景気循環各波の谷が同期して大きな“高潮”が来るかもしれない。1929年世界金融恐慌を上回る危機?

 「パラノイア(病的なまでの心配症)だけが生き残る。これは、私のモットーである。事業の成功の陰には、必ず“崩壊の種”が潜んでいる。成功すればするほど、その事業のうま味を味わおうとする人々が群がり、食い荒らす」(アンドリュー・グローブ)。

 1920年代、アメリカは未曽有の成功に酔っていた。そのうま味を味わおうとする人々が群がり、食い荒らし、経済は突然“崩壊”したのだ。

 

 第二に、AIとロボット化による生産体系革新(産業革命に匹敵する)が起こっている。

 たとえば、「臨床検査受託大手のH.U.グループホールデ傘下の富士レビオ・相模原工場(神奈川県相模原市)。2台の人型ロボットがベルトコンベヤーに乗って次々と流れてくるウイルスの抗原検査キットを紙箱に詰め込んでいく。よく見ると紙箱の3面の縁の折り面も素早く折り込み、キットを収納している。2台のロボットの前にはキットを送り込む作業者がいるが、ロボットはこの作業者の熟練度と連動して動作スピードを変えられる。いわゆる人と共働きする『協働ロボット』だ。

 富士レビオでは作業を協働ロボットに切り替え、作業員を8人から1~2人に減らした」(日経ビジネス電子版2021年1月10日)。

 「ロボットを用いた生産効率化や省人化が引きも切らない。

 イオン子会社で東海地方を地盤に食品スーパーを展開するマックスバリュ東海のデリカ長泉工場(静岡県長泉町)。総菜などを製造する4台のロボットが、金属バケットに入ったポテトサラダを取り出し、トレーに次々と盛り付けていく。従来は7人がかりだった作業にロボットを導入し、作業者は3人に減らした。ラインにはさらに追加のロボットも投入する予定といい、マカロニサラダなどほかの総菜でもロボットを活用できないか鋭意、検討中という」(2022/05/23 日本経済新聞)。

 あるいは、「“どんな文章でも3行にできる要約AI”をうたう文章要約AIがある。開発元によれば……、読み込んだテキストを基にAIが一から要約文を生成する。ニュース記事のようなシンプルな文章はもちろん、会議の議事録や対話テキストなどにも対応することが可能。使い方は簡単で、サイトに要約したいテキストデータや記事のURLを貼り付けるだけでいい。

 テキストデータを『言葉として理解し活用するための技術』であるNLPは、技術発展が著しい音声認識や画像認識分野に比べると精度の部分で課題が残り、AIの活用も限定的だった。1つの転換となったのは2018年にGoogleが大規模言語モデル『BERT』を発表したこと。そこから数年で特に英語圏ではNLPの最先端技術を実用化したサービスや事例が急速に生まれ始めているという。

 日本語では技術の実用化が遅れていたが、開発元のELYZAによれば、すでにSOMPOホールディングスと要約AIを活用した実証実験も初めており、企業ともタッグを組みつつ、精度向上を進めながら社会実装に取り組むという」(2021/09/03 DIAMOND SIGNALを再構成)。

 ロボット化・AIを大量導入すれば、(新たな職種・職業が生れても)駆逐され失業する労働者が出るのは避けられない。こうした労働者の職種転換・再就職は、容易ではない。国と中小企業のスキルアップや職種転換への取り組みは、不十分で時代遅れだ。

 

 第三に、世界市場での競争が、一段と厳しくなりそうである。後進諸国は、先進国経済(生活)へのキャッチアップを目指して努力している。韓国・台湾・中国・ベトナム・インドにつづけとばかり、希少資源輸出規制・補助金による輸出ドライブ・国による新産業育成などに努めている。しかも、それらの国々の賃金は、今なお安い。

 市場競争に負ければ、国家は衰退し、企業は倒産し、国民は困窮する。ところが、日本のインテリたちは、「撤退だ」「脱成長だ」と、競争に負けて貧乏国へ転落するバカ話にうつつを抜かしているのである。

 

【参考】

 「シュンペーターは、イノベーションという概念によって、コンドラチェフのいわゆる長期波動説を説明しようと試みたとされています。コンドラチェフの長期波動説の第1波は1780年代末から1850年代初めまで、第2波は1850年代初めから90年代まで、第3波は1890年代から1920年代ごろまでとされています。

 シュンペーターによれば、こうした現象は、第1波においては産業革命およびその浸透の過程、第2波においては蒸気機関を軸とした鉄道の建設と鋼鉄の時代、第3波においては、当時第2次産業革命ともてはやされた電気・化学・自動車の時代としてとらえることによって説明されます。つまり、重要な発明が、旧来の技術を圧倒して企業のなかに取り入れられて、次から次へと関連部門に波及して新投資をよび、新しい企業経営や新しい産業が群生的におこることによって、景気の長期的上昇がもたらされると考えられます。

 また、現在を第4の波として、これからナノテクノロジー、ライフサイエンス、ビッグデータ、ロボティクス、AIがけん引する第5の波が起きてくるとする考えもあります」(国土交通省白書から)。

断章480

 「資本主義の歴史をしっかりと見、さらに、資本主義的でなかったか、あるいはほとんどそうでなかった過去何百年もの間の生活について何ほどか知る者であれば、世界の大部分(すべてではないとしても)で、とくに富裕な上層には属さない多くの人々のもとで実現された物的生活条件の改善、貧困の克服、寿命の延びと健康の増進、選択肢の拡大、そして自由の巨大な進歩に強い印象を受けざるをえないだろう。このような進歩は、振り返ってみれば、事態をつねに揺り動かし、前に進め、物事の姿を変える資本主義特有の力なしでは起こらなかったと言えるだろう。知識の増大や技術変化、あるいは工業化のような他の説明要因を進歩の原動力としてむしろあげる者は、長期にわたって成功した工業化が、これまでのところどこでも資本主義を前提としていたことを想起すべきである」。

 「経済外的強制(暴力的支配)からの自由が、資本主義的発展の過程においても徐々にしか実現されず、周知の通り、19~20世紀の繰り返しの恐慌と戦争によって中断され、かつ諸戦争や独裁のなかで大量の強制労働によって繰り返し逆転されてきたとしても、世界の大部分で工業化の進展とともに労働・生活条件の改善は次第に進んだ。この点は見逃すべきではない」(ユルゲン・コッカ『資本主義の歴史』を再構成)。

 たとえば、わたし個人を見てもそうだ。かつて東京から田舎に帰るのは、夜行列車だった。寝台列車ではない。固い座席に座って窓枠にもたれたり、床に新聞紙を広げてその上で寝ていた。朝になると通勤通学の人たちが乗車してくる夜行列車だった。今は、新幹線を利用できる。

 

 現代資本制社会での無産の賃労働者の生活は、本質的に不安定なものだ。しかし、資本制社会以前の奴隷制社会や封建制社会での厳しい身分制・カーストの軛(くびき)に縛られた、奴隷や僕婢、農奴年季奉公人、ギルドの手工業職人と比べれば、大きな“可能性”を手にしたとも言える。

 たとえば、わたし個人がそうだ。炎天下で作業着の背中を汗で濡らす肉体労働をしていた ―― 終業時には、作業着に汗の塩分が白く浮き、身体全体から酸っぱい匂いがした。その後も大病をしたり、歩合給の飛び込み営業をしたり、色々あった後に、国民金融公庫から創業資金を借りて商売人になった。時流に乗って浮かび上がるや、遊び回って散財し(だって、ワクワクしたいから)、商売は傾いて、また貧乏人に逆戻り(笑い)。

 

 血縁、地縁、身分、地域共同体といったつながりから自由になり、誰もが実力によって成功できる社会になった。同時に、孤独と不安を抱えながら競争社会で戦い続けることにもなった。

 だからこそ、「ふきすさぶ 北風に とばされぬよう とばぬよう こごえた両手に 息をふきかけて しばれた体を あたためて 生きる事が つらいとか 苦しいだとか いう前に 野に育つ花ならば 力の限り生きてやれ♪」(松山 千春)ということなのだ。

断章479

 一面的なものの見方、あるいは党派性、さらには曖昧(あいまい)な現実認識をよりどころに、「資本主義からの撤退」とか「資本主義の終焉」、あるいは「脱成長」を語るインテリがいる。これは、「競争よりも平等な和諧社会の建設」をうたう中国共産党(習 近平)、あるいは、ひと昔まえの「清貧の思想」の劣化版である。

 日本にとって、この者たちは無責任な貧乏神である。おのれのイデオロギー、おのれの社会的立場だけが大事であって、まじめな読者が彼らの虚言にまどわされても、まったく気にしないのである。彼らの虚言が広がり、「資本主義から撤退」したり「脱成長」すれば、日本は、さらに貧しくなり、国民は困窮するだろう。

 

 グローバル化にともない、世界経済は急速な技術発展と共に成長した。この現代世界で、意図してダイナミズムを避けるものは、衰退し落後する。とりわけアグレッシブ(攻撃的)な世界市場の競争においては、撤退したり「脱成長」すれば、没落は避けられない。後進国は、先進国のような豊かさを目指して、あるいは台湾・韓国・シンガポールにつづけと努力を重ねている。その過程で国内の社会的不平等が拡大したとしても、後進諸国の生活水準は全体として改善したのである。

 

 たとえば、インドネシアは、「ルフット海洋・投資担当調整大臣は24日、ロイターとのインタビューで、今年の輸出が過去最高の2,800億ドルに達する可能性があると述べた。ニッケル鉱石の輸出禁止後にニッケル鋼の輸出が急増しているほか、他の商品も価格上昇で輸出額が押し上げられていると説明した。

 インドネシアは一般炭、パーム油、精製スズの世界最大の輸出国で、ニッケル鋼、銅、天然ゴムなどの天然資源の主要生産国。ルフット氏は、2024年までに輸出は3,000億ドルを超える可能性があると述べた。インドネシア政府は、2020年にニッケル鉱石の輸出を禁止し、ニッケル加工事業への投資を呼び込んだ。

 ルフット氏は、ニッケルの成功事例を踏まえ、ボーキサイト、銅、スズ、さらにパーム油でも下流部門の加工産業育成に取り組んでいると説明。(中略)『下流部門振興がうまくいけば、経済は2024年までに指数関数的に成長するとみられる』とし、『インドネシア国内総生産(GDP)は30年までに3兆5,000億ドルと、21年の1兆1,900億ドルのほぼ3倍になる可能性がある』と指摘した」(2022/10/24 ロイター通信)。

 単なる資源輸出国から、加工産業を育成しての製品輸出立国を目指しているのだ。

 

 日本以外の全ての経常黒字国(中国、ドイツ、韓国、台湾、スイス)は、貿易で稼いでいる。持続的なイノベーションを伴う世界市場・資本制社会の競争システムの下では、他国(他企業)が停滞あるいは後退すれば、ただちにそれに取って替わろうと手ぐすねを引いている国家(企業)がひしめいている。

 おのれの本を売るために無責任な発言をするインテリを、信じるな! その道を進めば、日本は競争に負けてさらに貧しくなり、国民は素寒貧になるだろう。

断章478

 「日本人が心にとめておかなければならないのは、第二次世界大戦後に日本が手に入れた繁栄は、アメリカの核の傘の提供と軍事的保護によってもたらされたということである。日米安全保障条約をベースとしたアメリカによる軍事的庇護のもと、日本はその資金のほとんどを経済発展と社会福祉の充実、将来に向けての技術開発投資に振り向けることが出来た。しかし、この幸運な状態(軍事費をGDPの1%未満とする状態)が永遠に続く保証はない。

 仮にアメリカが、将来、日本を含むアジア全体から軍隊を引きあげ、日本に与えていた軍事的庇護を無くすということもありうる。既にその兆候は表れ始めているが、日本の政治家は厳しい現実から目を背け、今の状況が少しでも長く続くよう全力を挙げているように見える。しかし、ペルシア湾から東京へと続く長大なシーレーンをいつまでもアメリカ海軍が守り続けてくれることなどありえない。その時、日本は、世界が、本来、無政府状態なものであり、経済や財政に関する専門知識だけでは生存していくことが困難であるということを思い知るに違いない」(『大国の興亡』、1988)と、ポール・ケネディは警告した。

 

 それから30余年。冷戦の終結にともなう“平和の配当”を受け取るなかで、日本は、「世界が、本来、無政府状態なものであり、経済や財政に関する専門知識だけでは生存していくことが困難である」ことを、打ち忘れたのである。防衛産業の育成、防衛技術開発などは、ほとんど打ち捨てられたのである。その結果は、自衛隊員をより生命の危険にさらし、ひいては国家・国民の安全を損ない、兵器輸入による国富の流失になる。

 

 スティーブン・ビンカーが、「この惑星が重力の不変の法則にしたがって回りつづけてきた一方で、その種は苦しみの数を下げる方法を見つけてもきた。そして人類のますます多くの割合が、平和に生きて、自然な原因で死ねるようにもなってきた。私たちの人生にどれほどの苦難があろうとも、そしてこの世界にどれほどの問題が残っていようとも、暴力の減少は一つの達成であり、私たちはこれをありがたく味わうとともに、それを可能にした文明化と啓蒙の力をあらためて大切に思うべきだろう」と書いた、『暴力の人類史』が日本で刊行されたのは2015年のことである。

 

 ところが、今、わたしたちが目にしているものは、ウクライナ戦争である。

 「国連のディカルロ政治・平和構築担当事務次長は23日までに、ロシアによるウクライナ侵攻以降、殺害された民間人は6,322人、負傷者は9,634人に達すると安全保障理事会の会合で報告した。 少なくとも397人の子どもが含まれるとも述べた。 国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)が今月18日時点でまとめた数字に依拠した。実際の数字はより高い可能性があるともつけ加えた。

 また、ウクライナで起きている重要なエネルギー関連インフラの破壊行為への懸念も表明。高騰する天然ガスや石炭価格と合わせ、これら攻撃によるエネルギー関連施設の損失は今冬に数百万人規模の民間人を極めて厳しい窮境や命の維持にかかわる生活環境に追い込む恐れがあるとした。ウクライナに関する独立国際調査委員会が先週、国連総会に報告書を提出したことにも言及。報告書は、戦争犯罪、人権侵害や国際人道法の違反行為がウクライナ内で起きていると結論づけられる合理的な理由があると指摘したと述べた」(2022/10/21 CNN)。

 

 軍事は国家の命運を決する重大事であり、国防を軽視することは、亡国の道である。

断章477

 まもなくウクライナにも冬が来る。

 「人を守ってこそ、自分も守れる。己のことばかり考えるやつは、己をも滅ぼすやつだ!」(島田 勘兵衛・映画「七人の侍」)。

 そうだ。わたしは、厳冬期が来る前に、日本からウクライナへの軍事装備品の支援を重ねて訴えたいのだ。

 

 ロシアのウクライナ侵攻の様態は、悪質きわまりないものである。

 たとえば、「赤十字国際委員会(ICRC)は31日、ウクライナ東部ドネツク州の親ロシア派支配地域にある捕虜収容所が攻撃され、約50人のウクライナ兵が死亡した事件を『強く非難する』とツイッターに投稿した。ICRCは負傷者支援のため現地入りを求めているが、まだ実現していない。

 事件は29日、中心都市ドネツク近郊エレノフカの収容所で起きた。ロシア国防省は先に、原因調査のため『国連とICRCの専門家を招待した』と説明したが、ICRCは『(現地入りを)認められていない』と否定した。

 ロシア国防省は『米国がウクライナに提供した高機動ロケット砲システム(HIMARS)で攻撃された』と主張している。ウクライナ側は爆発が収容所の内部で起きたとみており、ロシア側が拷問を隠蔽(いんぺい)するための自作自演だと非難。ゼレンスキー大統領はロシアを『テロ国家』と呼び糾弾している。

 事件前後の衛星画像を分析した複数の専門家のツイッター投稿によると、収容所の敷地内にあらかじめ穴が掘られ、埋葬に使用された形跡があるという」(2022/08/02 時事通信社)。

 あるいは、「国連(UN)の紛争下の性的暴力担当国連事務総長特別代表(SRSG-SVC)プラミラ・パッテン氏は14日、AFPのインタビューで、ロシア軍によるレイプや性的暴行はロシアの『軍事的な戦略』であり、『被害者の人間性を奪う意図的な戦術』だとの認識を示した。

 レイプがウクライナの戦争で武器として使われているのかとの質問に対し、パッテン氏は『ウクライナにはそれを示唆するものがすべてある』と述べた。同氏は『レイプの最中にどのような言葉を投げ掛けられたのかに関する被害者の証言が、被害者の人間性を奪う意図的な戦術であることを明示している』との見解を示した。パッテン氏によると、被害者の大半は女性や少女だが、男性や少年も含まれるという。ただし、『報告されるケースは氷山の一角』であり、戦時下で信頼性のある統計的な数値を得るのは難しいと説明した」(2022/10/14 AFPBB News)。

 

 ロシアは当初、ウクライナ侵攻を「特別軍事作戦」と呼んだが、今ではウクライナの社会インフラすべてを焼け野原にしようとしている。

 「ロシアによるインフラへの攻撃で深刻な電力不足に見舞われたウクライナは、北大西洋条約機構NATO)や欧州連合EU)など国際社会に支援を求めている。同国外務省が20日、明らかにした。発電機や部品、ガスの輸送システムなどが必要という。

 ウクライナでは20日計画停電や公共交通の間引き運行など大規模な節電が始まった。ロシアは10日以降、ウクライナ全土の電力インフラを標的とした攻撃を続けている。米CNNが伝えたウクライナ当局者の話によると、これまでに発電能力の4割が失われた」(2022/10/21 日本経済新聞)というのだ。

 

 「私たちは今、燃え尽きたロシア軍の戦車や、ウクライナのTB2無人攻撃機の動画といった、ぞっとするものの思わず見入ってしまう映像や、ゼレンスキー大統領の感動的な演説などに釘づけになっているが、これほど強い関心をどれだけ長く抱き続けられるだろう? 

 ドイツの有権者の89パーセントは、ウクライナの人々のことが心配だ、あるいは、非常に心配だ、と言っている。だが、エネルギー供給の中断についても66パーセントが、ドイツの経済状態の悪化についても64パーセントが同じように心配している。

 世界は今、1カ月前よりもなおいっそう深刻なインフレ問題を抱えており、国内の日常生活に直結する問題はたいてい、はるか彼方の国々の危機に優先するものだ。

 私たちはあとどれだけ長く注意を向けていられるだろうか? もしキーウの攻囲戦が何週間もだらだらと続いたら? あるいは、停戦が実施され、それから破綻し、再び実施されたとしたら? はたまた、ドネツク州とルハンスク州の境界をめぐる交渉があまりに退屈なものになったとしたら?」(ニーアル・ファーガソン)。

 厳冬期に向かうウクライナに急ぎ軍事装備品を支援すべきである!

断章476

 愚か者や詐欺師たちが、「資本主義からの撤退」「資本主義の終焉」を盛んに言いふらしている。しかし、資本主義は、「王侯貴族だけでなく、一般大衆が自分たちの夢をかなえる」うえで最適の経済システムである。だからこそ、ひとびとを魅了し、世界を席巻したのである。

 たしかに、昨今のグローバル化において経済先進国の中間層と後進国貧困層は所得が低迷し、逆に先進国の上位1%の富裕層の所得だけが大きく伸びた。さらには今や1930年代型の複合危機に直面していることは事実だ。しかし、グローバル化を通じて中国やインド・ブラジルなどに幾千万人の膨大な中間層が生れ、欧米先進国と旧植民地諸国の経済格差が縮小したことも事実なのである。

 

 資本の論理に呑み込まれる以前の社会の実際。たとえば江戸時代を見てみよう。八幡 和夫「江戸時代の残酷すぎる10のこと」によれば……

 「①鎖国のせいで軍事力が低下し植民地にされかかった。

 鎖国は弊害もあるがそのお陰で独立が守れたという人がいます。しかし、ポルトガルもスペインも金属製の武器すら無かった中南米と国家未形成のフィリピンを植民地にしただけで日本を植民地にする力などなかったのです。逆に鎖国で技術(導入)開発が遅れ、武器が火縄銃のままだったので、黒船がやってきたときに植民地化されそうになりました。

 ②科学技術も300年遅れたままだった。

 鎖国で日本人の海外渡航はほぼ全面的にできなくなり、西洋のことを書いた書籍の輸入もほぼ禁止されました。そのために、科学技術はもちろん国際法などの知識も2世紀以上遅れることになりました。

 ③国民の大半は引っ越しも旅行も禁止の半奴隷状態だった。

 町人は比較的に自由でしたが、農民のほとんどは引越も旅行も原則として禁止という農奴状態でした。

 ④女性差別と部落差別は江戸幕府が創り出した。

 戦国時代の日本女性は自由で男女差別も少ないと宣教師たちは報告しています。ところが、李氏朝鮮から朱子学が輸入されて、それを幕府が規範として採用したので、女性差別は厳しくなりました。また、もともと差別されている人たちがいなかったわけではありませんが、のちに問題になるような深刻な部落差別は江戸幕府がつくりだしたものです。

 ⑤武士道は明治時代に新渡戸稲造が捏造した。

 江戸時代の武士は戦国時代のご先祖の遺族年金として禄を食んでいるだけの年金生活者でした。軍人としても官僚としても実務能力を備えていませんでした。武士道などという言葉すらほとんど使われず、武士道は明治になってから、新渡戸稲造が西洋の騎士道に似たものがあったとして半ば捏造したものです。

 ⑥教育レベルは低く識字率が高いというのも嘘。

 科挙があった中国や朝鮮と違って江戸時代の武士は教育が不要でした。寛政から天保にかけてようやく藩校ができましたが漢文を教えるだけで、たいていの武士は九九もできませんでした。識字率が高いというのは、中国や朝鮮で数千字の漢字ができる率と、日本で仮名ができる率を一緒に比べたらというだけのことです。

 ⑦下級武士から上級武士になるのすら不可能に近かった。

 親と子が同じ職業につくのが原則で、とくに、上級武士(馬に乗れて殿様に会える)とそれ以外が峻別されました。福沢諭吉は中津藩では江戸時代を通じて数例しかなかったといってます。

 ⑧北朝鮮なみに禿げ山だらけで環境先進国は嘘。

 江戸時代にものを大事にしたり、リサイクルが発達したのは事実ですが、それはものがなかっただけです。いまの北朝鮮がそうであるのとおなじです。そして薪や炭を主たる燃料にしたのでほとんどの山が禿げ山でした。

 ⑨1980年代の北朝鮮と同じように餓死者が続出。

 ⑩裁判や警察制度が不十分で切り捨て御免も伝説ではないし、サドマゾ刑罰に拷問もやり放題」(引用者により一部再構成)。

 貨幣経済(これは資本の萌芽である)の浸透と「勤勉革命」の拡大によって民富が蓄積される以前の江戸時代の現実は、こうしたものだったのである。

断章475

 世界(と日本)は、1930年代型複合危機に向かって直進している ―― ナチス・ドイツによるズデーテン併合からポーランド侵攻への道のりと、ロシアによるクリミア併合からウクライナ侵攻への経過を見比べて見よ!

 かかる危機の時代にはびこるものは、デマゴーグや詐欺師である。

 かつて共産党系詐欺師たちは、「資本主義の全般的危機」論で大いに荒稼ぎした(すでに「断章463」で取り上げ済み)。彼らの衣鉢を継ぐ詐欺師たちは、今回の危機では、「資本主義の終焉」とか「資本主義からの撤退」をネタにしているようである ―― この連中は、「資本主義」という用語を、あいまいなままに、定義しないで、ご都合主義的に“印象論”で用いることが得意である(なぜなら、その方が詐欺に好都合だから)。

 

 詐欺師たちのおしゃべりは、たとえば、こんな調子である。「現代社会を支配している資本主義は、失業や環境問題など、人間の日々の生活基盤を脆弱なものにした。資本の論理に呑み込まれる以前、人間の経済は生活に根ざしたものであった」。

 古代の奴隷や中世の農奴の現実に目をつぶり、資本の論理に呑み込まれたら「人間の経済は生活にねざしていない」というバカ話である。そのおそまつさは、たとえば、江戸時代の平均寿命と現代日本の平均寿命を比較するだけでも明らかである。資本主義の発展と公衆衛生の向上が一体であることは、経済後進諸国の現状を見ても一目瞭然である。

 

 西欧で資本主義が拡大しはじめてから200年が経った。その間、最初の頃はほぼ10年毎に“恐慌”、そして50~60年毎に“巨大バブルの崩壊”、それに伴う“大恐慌”による失業者の大群が発生した。あるいは2度の“世界大戦”を含め累計2億人近い死者を出した戦争やジェノサイドがあった。にもかかわらず、なぜ資本主義は、世界中でここまで拡大してきたのか?

 

 資本制生産様式は、近世までは、砂漠に点在する小さなオアシスというより、雪の間からけなげに顔をのぞかせる「ふきのとう」という趣(おもむ)きだった。ヨーロッパ近世に入って、春のタケノコのようにしっかり地下茎を拡げ、やがて産業革命という春の嵐メイストーム)とともに、その全貌を現わした。

 その結果、「1825年、イギリスにおいて、工業のGDPが農業のGDPを上回った。これは人類史上、初の大転換である(ちなみに、プロイセン王国では1865年、アメリカでは1869年、フランスでは1875年にこの大転換が訪れた)。 19世紀初頭、食糧はイギリス人世帯の消費割合の90%以上を占めていたが、1855年にはその消費割合は全体の3分の2に低下し、衣服に対する消費割合は倍増した」(ジャック・アタリ)。

 

 「資本主義とは、資本家と労働者という経済的な主体が、ごく基本的な需要を満たすためにも、市場に全面的に依存するシステムである。(中略)

 このシステムでは競争のもとで生産することが基本的な条件となるのであり、このシステムの全体がこうした命令のもとで機能する」(『資本の帝国』)。

 このシステムこそ、人間(ヒト)の普遍本質である〈飽くなき欲望〉を大衆的なレベルで追求できる歴史上初めてのシステムであり、現在の経済的社会構成体の内部には、これに替わるシステムは、今なお(技術的にも、生産力的にも)胚胎していないのである。

 資本主義になって歴史上初めて、「わたしたち一人ひとりがかけがえのない生命をもっており、自由な存在として生きることができる」と、おおっぴらに公言できる時代が勝ち取られたのである。だから、今日なお、資本主義が“ラスボス”なのである。