断章478

 「日本人が心にとめておかなければならないのは、第二次世界大戦後に日本が手に入れた繁栄は、アメリカの核の傘の提供と軍事的保護によってもたらされたということである。日米安全保障条約をベースとしたアメリカによる軍事的庇護のもと、日本はその資金のほとんどを経済発展と社会福祉の充実、将来に向けての技術開発投資に振り向けることが出来た。しかし、この幸運な状態(軍事費をGDPの1%未満とする状態)が永遠に続く保証はない。

 仮にアメリカが、将来、日本を含むアジア全体から軍隊を引きあげ、日本に与えていた軍事的庇護を無くすということもありうる。既にその兆候は表れ始めているが、日本の政治家は厳しい現実から目を背け、今の状況が少しでも長く続くよう全力を挙げているように見える。しかし、ペルシア湾から東京へと続く長大なシーレーンをいつまでもアメリカ海軍が守り続けてくれることなどありえない。その時、日本は、世界が、本来、無政府状態なものであり、経済や財政に関する専門知識だけでは生存していくことが困難であるということを思い知るに違いない」(『大国の興亡』、1988)と、ポール・ケネディは警告した。

 

 それから30余年。冷戦の終結にともなう“平和の配当”を受け取るなかで、日本は、「世界が、本来、無政府状態なものであり、経済や財政に関する専門知識だけでは生存していくことが困難である」ことを、打ち忘れたのである。防衛産業の育成、防衛技術開発などは、ほとんど打ち捨てられたのである。その結果は、自衛隊員をより生命の危険にさらし、ひいては国家・国民の安全を損ない、兵器輸入による国富の流失になる。

 

 スティーブン・ビンカーが、「この惑星が重力の不変の法則にしたがって回りつづけてきた一方で、その種は苦しみの数を下げる方法を見つけてもきた。そして人類のますます多くの割合が、平和に生きて、自然な原因で死ねるようにもなってきた。私たちの人生にどれほどの苦難があろうとも、そしてこの世界にどれほどの問題が残っていようとも、暴力の減少は一つの達成であり、私たちはこれをありがたく味わうとともに、それを可能にした文明化と啓蒙の力をあらためて大切に思うべきだろう」と書いた、『暴力の人類史』が日本で刊行されたのは2015年のことである。

 

 ところが、今、わたしたちが目にしているものは、ウクライナ戦争である。

 「国連のディカルロ政治・平和構築担当事務次長は23日までに、ロシアによるウクライナ侵攻以降、殺害された民間人は6,322人、負傷者は9,634人に達すると安全保障理事会の会合で報告した。 少なくとも397人の子どもが含まれるとも述べた。 国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)が今月18日時点でまとめた数字に依拠した。実際の数字はより高い可能性があるともつけ加えた。

 また、ウクライナで起きている重要なエネルギー関連インフラの破壊行為への懸念も表明。高騰する天然ガスや石炭価格と合わせ、これら攻撃によるエネルギー関連施設の損失は今冬に数百万人規模の民間人を極めて厳しい窮境や命の維持にかかわる生活環境に追い込む恐れがあるとした。ウクライナに関する独立国際調査委員会が先週、国連総会に報告書を提出したことにも言及。報告書は、戦争犯罪、人権侵害や国際人道法の違反行為がウクライナ内で起きていると結論づけられる合理的な理由があると指摘したと述べた」(2022/10/21 CNN)。

 

 軍事は国家の命運を決する重大事であり、国防を軽視することは、亡国の道である。