断章322

 現代「世界の中でもとりわけ豊かな国の人々は、彼らの曽祖父母には想像すらできなかったような物質的豊かさを享受している。政府統計によって『貧困』のレッテルを貼られた人々でさえ、抗生物質、信頼できる避妊法、CDプレーヤー、インターネットへのアクセス、水洗トイレを利用できる。昔の人たちにくらべて『何でももっている』にもかかわらず、それでも彼らは満足していないのだ。

 起きている間、文字どおりいかなる瞬間にも、心は欲望であふれかえっている。眠りに落ちれば、ようやく欲望は一時的に静まる。だが、それも夢を見るまでのことだ。やがて私たちは、自分の欲望が生み出した夢を見ることだろう。欲望を作り出す技能にかけては、私たちは天才である。だれにも教えてもらう必要はない。しかもその天才的な技能を私たちは際限なく行使して、四六時中欲望を作りつづけ、倦(う)むことがないのだ。

 欲望に関しては、だれもがエキスパートである。欲望の技能を競うオリンピックがあったら、全員が代表選手になれるだろう。病気になったり、年をとったりすれば、欲望の対象は変わるかもしれない。だが、病気も老化も、私たちの欲望を止めはしない。

 困ったことに、欲望を絶つには、それを断とうという欲望が必要なのである」(『欲望について』ウィリアム・B・アーヴァインを再構成)。

 

 ウィリアム・B・アーヴァインに言わせれば、人間には《欲望》という生物学的インセンティブシステム(BIS)がインプットされており、この生物学的インセンティブシステムのおかげで人間は生存の意欲を持ち続けることができるが、BISには《際限がない》というリスクがふくまれているらしい。

 

 なぜ、そうなのか?

 それは、〈ドーパミン〉のせいらしい ―― 「ドーパミンは、中枢神経系に存在する神経伝達物質で、アドレナリン、ノルアドレナリンの前駆体でもある。運動調節、ホルモン調節、快の感情、意欲、学習などに関わる。セロトニンノルアドレナリン、アドレナリン、ヒスタミンドーパミンを総称してモノアミン神経伝達物質と呼ぶ」(Wikipedia)。 

 

 「ドーパミンは、よく言われる『快楽物質』ではない。・創造力の源 ・先を見越した戦略 ・恋愛が長続きしないわけ ・充足感の欠乏 ・変化に適応できる柔軟さ ・支配と服従 ・依存症・精神病のリスク ・保守・リベラルの気質 ・人類の大いなる進歩と破滅

 すべては『もっと!』を求めてやまないドーパミンが鍵を握る」(ダニエル・Z・リーバーンとマイケル・E・ロング『もっと!  愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学』の宣伝コピー)というのだ!

 

 すべての人間は脳内物質に左右され、生まれながらにして《際限のない欲望》に突き動かされ、そこから脱出できないのか?

 人間の《際限のない欲望》は、青虫がサナギから蝶になるように、時代の経過につれて、質・量ともに深化発展(進化?)して、ついには「バベルの塔」を建設するのか?

  ―― 「バベルの塔の物語は世界にさまざまな言語が存在する理由を説明するための物語であると考えられている。同時に『石の代わりに煉瓦を、漆喰の代わりにアスファルトを』用いたという記述から、古代における技術革新について述べ、人類の科学技術の過信への神の戒めについて語ったという解釈もある」(Wikipedia)。

断章321

 人間の際限のない欲望(その知識欲や一番乗りの名誉欲)は、神の領域 ―― かつて生命を操作することは神をも恐れぬ行いと言われた ―― にまで迫りつつある。

 つい最近も・・・。

 「科学技術が新たなヒトの生命をつくり出す。その段階がすぐそこまで来ていることを予感させる論文が、今月発表された。

 その論文は、科学界に大きな衝撃を与えた。オーストラリアとと米国の二つのチームが、人工的に受精卵(胚)のようなものをつくったと、それぞれに表明するものだったからだ。

 『初期の人間の生命の謎を解き明かすゲームチェンジャー』。論文を発表したオーストラリアのモナシュ大学は、ホームページで興奮気味に紹介した。多くの海外メディアもこの成果を、驚きをもって報じた。

 しかし、こうも伝えている。『実験室でつくられた胚(はい)は、研究、倫理論争に拍車をかける可能性がある』(AP通信)。『人間の遺伝子操作やクローン作製への坂道を、滑り落ちる懸念を引き起こす』(フィナンシャル・タイムズ)。医療分野の研究に役立つ福音だが、同時に警鐘も鳴らしている」(2021/03/28 朝日新聞デジタル)。

 

 「中国と米国の研究チームが、世界で初めてヒトの細胞をサルの胚(はい)に注入して異種の細胞をあわせもつ『キメラ』をつくった。15日付で米科学誌『セル』(電子版)に発表した。培養皿での研究で、子宮に戻したり、子が生まれたりするまでには至っていないが、ヒトに近い霊長類を使った研究は、倫理的な懸念を呼びそうだ。

 研究は中国・昆明理工大と米ソーク研究所などが行った。カニクイザルの受精卵を分裂が進んだ胚(胚盤胞)の状態まで成長させ、ヒトのiPS細胞を注入。サルとヒトのキメラをつくり、培養皿で育てた。1日目には132の胚でヒトの細胞が確認され、10日目でも103の胚が成長を継続。19日目には3つにまで減ったが、成長した胚には、多くのヒト細胞が残ったままだったという。

 動物の体内でヒトの臓器をつくり移植にいかそうと、ブタやヒツジと、ヒトのキメラをつくる研究は世界で進んでいる。日本でも東大の中内啓光特任教授らが取り組む。今回、サルとヒトのキメラをつくったソーク研究所のベルモンテ教授は『ヒトと近い霊長類を使うことで、キメラをつくるための障壁が何なのかの知見を得ることができる』とコメントする。

 一方、サルの胚にヒト細胞を注入する研究は倫理的な懸念も強く、米国立保健研究所(NIH)は、公的研究資金を出さないと決めている。セル誌は、同時に米国の生命倫理学者による解説を掲載。研究の可能性を認めつつ『これが胎内に移植され、胎児になったり、子が生まれたりしていれば、かなり難しい問題になっていた』として、倫理的な議論を進めるよう求めた」(2021/04/16 朝日新聞デジタル)。

 

 倫理的な議論?

 だが、いまや体外受精がありふれたことであり、子供が欲しいとの思いが切実な不妊夫婦は代理出産を選択することもあるのだから ―― 「代理母出産とは、ある女性が別の人に子供を引き渡す目的で妊娠・出産すること。代理出産ともいう。懐胎時を含めて表現するために特に代理懐胎と表す場合もある。

 代理母(ホストマザー)とは遺伝的につながりの無い受精卵を子宮に入れ、出産する(借り腹)。夫婦の受精卵を妻の親族(母・姉・妹など)の子宮に移す方法もあり、日本でも少数ながら実例もある。

 アメリカより費用が安く代理出産ができるインドで、多数の先進国の不妊夫婦が代理出産を行っている。インドでは代理出産用の施設まで作られ、代理母が相部屋で暮らしている。インドにおける代理出産の市場規模は2015年に60億ドルに上ると推計されている」(Wikipediaを再構成) ―― 、この生命科学・生命操作の流れは止まらないだろう。

 

 もうすでに、きっとどこかで、生命の起源に迫る研究に打ち込んできた若き科学者ヴィクター・フランケンシュタインが、「ヒト」の創造に手を染めているに違いない。

 ―― 『フランケンシュタイン』の作家であるメアリー・シェリーは、無神論者でアナキズムの先駆者であるウィリアム・ゴドウィンを父に、女性解放を唱えフェミニズム創始者と呼ばれるメアリー・ウルストンクラフトを母に、ロンドンで生れた。

断章320

 『暴力の人類史』でスティーヴン・ピンカーは言う。

 ヒトは、「苦しみの数を下げる方法を見つけてもきた。そして人類のますます多くの割合が、平和に生きて、自然な原因で死ねるようにもなってきた。私たちの人生にどれほどの苦難があろうとも、そしてこの世界にどれほどの問題が残っていようとも、暴力の減少は一つの達成であり、私たちはこれをありがたく味わうとともに、それを可能にした文明化と啓蒙の力をあらためて大切に思うべきだろう」と。

 

 しかし、マクロで見れば、(今のところ成功している紅色全体主義として)中国共産党核兵器武装している中国人民解放軍を隷下に置いて14億人に君臨している現実。

 またミクロで、次のような記事を見るとき、「文明化と啓蒙? だから、何?」とつぶやいてしまう、わたしがいるのである。

 

 ―― 「子どもがいるからハジけて遊べない。つまんない」。3歳の娘を餓死させたとして、2020年7月7日に保護責任者遺棄致死の疑いで逮捕された梯 沙希容疑者(24)は、よく友人にこう話していたという。事件が発覚したのは、6月13日のことだ。沙希容疑者は「彼氏」と呼ぶ男性に会うため鹿児島県まで出かけ、東京・蒲田の自宅マンションを6月5日から8日間留守にした。その間、娘の稀華(のあ)ちゃんに食べ物も与えず一人で放置。沙希容疑者が帰宅すると、稀華ちゃんはすでに亡くなっていた。死因は高度脱水症状と飢餓だった。「沙希容疑者から『娘が息をしていない』と通報があり、救急隊が駆けつけると、部屋はパンの袋や空の弁当箱など大量のゴミが散乱し強烈な悪臭を放っていたそうです。稀華ちゃんはマットレスの上に横たわっていましが、とても3歳児とは思えない痩せ細りよう・・・。老人のようにシワだらけで、体重は11kgしかなかったとか」(全国紙社会部記者)。

 子どもへの暴力も後を絶たない。18年3月に東京・目黒区で船戸結愛ちゃん(当時5)が死亡した事件で、雄大(同33)と優里(同25)の夫妻が逮捕されている。イジメは凄惨をきわめた。「雄大と優里は結愛ちゃんに『ダイエットしろ』などと命じ、一日1食しか与えない日もありました。死亡時は骨と皮だけで、体重は12.2kg。捜索を進めると雄大のカバンから、乾燥大麻数gと液体の危険ドラッグが見つかったんです。雄大は薬物を常用し、結愛ちゃんに殴る蹴るの暴行を加えていたと思われます。逮捕前、雄大は友人たちに『妻やばあちゃん(優里の母親)が甘やかすから、しつけのために厳しくしている。食べ過ぎはよくない。モデル体型が理想』と話していたとか。親から毎日のように殴られ、結愛ちゃんはベランダに放置される日々です。彼女が書き残したノートには、『パパママおねがいゆるして』という悲痛なメッセージがつづられていました」(全国紙警視庁担当記者)。

 「17年頃に引っ越してこられた当初から、『お母さん、怖いよ!』と泣き叫ぶ女の子の声をたびたび聞きました。夜中に『てめぇ、うるさいんだよ!』と男性がわめき、『パン!』と人をひっぱたくような音を聞いたこともあります」。千葉県野田市に住む、40代の主婦が話す。 同市で凄惨な事件がおきたのは、19年1月のことだ。会社員の栗原勇一郎(当時41)が、小学校4年の長女・心愛(みあ)ちゃん(同10)を13時間以上に及び虐待。髪の毛を引っ張り、シャワーで冷水を浴びせるなどしたのだ。栗原の「娘の意識がない」という通報後、心愛ちゃんは自宅浴室で無残な姿で発見された。「心愛ちゃんの胸や腹には、複数のアザがありました。栗原は『早く宿題をやれ!』と怒鳴り、ゲンコツで背中や顔面をたびたび殴っていたとか。『しつけ』と称して食事を与えず、夜中にたたき起こしてスクワットをさせたこともあるそうです」(全国紙社会部記者)。心愛ちゃんが犠牲となったもう一つの要因が、見て見ぬふりをした母親のなぎさ(同31)の態度だ。自身もDVを受けていたため、「娘が叱られれば自分は暴力を受けない」と虐待を黙認。虐待容疑の共犯として逮捕された。「日常的にDVを受けていると思考停止状態になり、正しい判断ができなくなります。だからと言って、娘を守れなかった罪から逃れられるワケではない。虐待はいきなり始まるのではなく、声が大きくなるなど必ず前兆があります。初期の段階で、娘を父親から遠ざけ親族に預けていれば結果は違っていたはずです」(家庭問題に詳しい専門家)。

 2010年にもホスト遊びにうつつをぬかし、50日間に及び家を留守にし、大阪市内で幼児2人を餓死させた風俗嬢がいる。子どもたちは猛暑の中、ゴミだらけの部屋で水も与えられず寄り添うように亡くなっていた。母親は13年3月に懲役30年の刑が確定。

 児童虐待件数は増加の一方で、年間12万件を超えている ―― 『FRIDAY』(2020/07/29)。

断章319

 ヒトは、際限のない欲望に取り憑(つ)かれる動物である。食欲、性欲、権力欲、名誉欲、収集欲、知識欲、金銭欲、エトセトラ、エトセトラ。

 

 ヒトは、遺伝と文化の相互作用・共進によって進化(変化?)してきたという。では、その進化とは、どれほどのものなのか?

 「人間とはいったい、なんというキメラなのか。なんという新奇なもの、なんという怪物、なんという混沌、なんという矛盾、なんという驚異であることか。あらゆるものの審判者でありながら愚かなミミズでもあり、真理の保持者でありながら不確実と誤謬の巣窟でもあり、宇宙の栄光でありながら、その屑でもあるとは」(『パンセ』初版は1670年)と、パスカルは書いた。それからどう進化したのか?

 

 わたしは、凡人である。なので、この現代日本の下級国民であり下流老人として存在している。宿命からは逃れられず、運命は避けがたく、天命は悟り得ず、使命は果たし難く、〈善く生きる〉ことはむつかしい。人間は謎であり、人生は束の間で、智に働けば角が立ち情に棹させば流されることを痛感する日々である。それでも、なお、「生きていくんだ それでいいんだ♪」(玉置浩二)と思っている。なぜなら、人間世界の「変えることのできないものと変えるべきものとを識別する智慧」を探し求めているからである。

 

 日刊ゲンダイ・デジタル版の以下の記事を読んだ日に ―― 。

 「今月9日、和歌山カレー事件・林真須美死刑囚(59)の孫、鶴崎心桜さん(16)が外傷性ショックにより、自宅で変死し、娘の死を知った真須美死刑囚の長女(37)も心桜さんの12歳年下の妹(4)を道連れに無理心中を図り、自殺したことが分かった。

 1998年7月、和歌山市園部で起きた『和歌山毒物混入カレー事件』。自治会の夏祭りで、屋台のカレーを食べた67人が急性ヒ素中毒になり、4人が亡くなった。

 実行犯とされた真須美死刑囚は現在、再審請求中。保険金詐欺で逮捕された夫の林健治さん(76)は刑期を終えている。アエラドットが13日、健治さんの話として『つらい。娘と孫をいっぺんに失うなんて、言葉もない』と報じた。

 真須美死刑囚の孫の心桜さんが倒れているのが発見されたのは、9日午後2時20分ごろ。長女が消防に『自宅に帰ってきたら、子どもが意識と呼吸がない状態で倒れ、血みたいな黒いものを吐いている』と通報している。

 当時、家族が住む和歌山市の集合住宅には長女の夫と心桜さん、4歳の孫がいた。救急隊員が到着すると、長女は取り乱した様子で、救急車には夫だけが乗り込み、病院で心桜さんの死亡が確認された。

 約1時間40分後の午後4時ごろ、長女と4歳の孫が関西空港連絡橋から飛び降り、大阪府警海上に浮かんでいる2人の遺体を発見した。橋の上にはエンジンがかかったままの赤い乗用車が止められていた。

 長女の夫は病院に付き添った後、行方が分からなくなり、午後11時10分ごろ、和歌山港近くの路上に座り込んでいるのを通行人が見つけ、119番。夫は『精神的につらいことがあり、カフェインを服用して首をつろうとしたが失敗した』と漏らした。

 心桜さんの全身には複数のあざがあり、虐待を受けていた可能性があるという。

 長女一家が暮らしていた同じ集合住宅に住む大家がこう言う。『お母さん(長女)と赤ちゃんは知っているけど、亡くなった(16歳の)女の子のことは知りません。本当に高校に行ってたの? ずっと家にいたんじゃないの?』。

 事件直後からメディア関係者の間では、死亡した3人は真須美死刑囚の長女と孫ではないかという情報が駆け巡った。

 日刊ゲンダイは先週11日、関係者を通じて真須美死刑囚の長男に確認したが、長男は長女と10年以上会っておらず、『連絡先は知らない』と答えた。

『カレー事件後、真須美死刑囚の4人の子どもたちは和歌山県内の児童養護施設に預けられたが、イジメに遭い、脱走することもあったそうです。長女は当時、中学3年で高卒後、大阪で就職し、結婚。21歳の時、心桜さんを出産した。その後、離婚し、数年前に現在の夫と再婚した。4人きょうだいの中でも人一倍責任感が強かったそうです。きょうだいは施設から斡旋されて仕事に就けても、身元がバレるとクビになる。その繰り返しだったそうです』(知人)」。

断章318

 サルの尻は赤い。この真っ赤で目立つ尻は、発情期を表す性的アピールとしての役割をもっている。四足歩行のサルのオスの強さや元気さは、目線の高さにある尻に現わされ、最も赤い尻こそエネルギッシュで元気な証拠として、オス同士の争いでも優位に立ちやすいとされている(クジャクのオスは大きく鮮やかな飾り羽を持ち、それを扇状に開いてメスを誘う)。

 

 直立二足歩行をするようになったヒトのオンナでは、「サルにおいてあれほど有効であった〈後方に向かう性の信号〉はもはや意味をなさない。しかし、何らかの信号は不可欠であり、しかもそれは前方へ向かって発せられねばならなかった。そこで尻と性器のコピーを体の前面に作った。尻のコピーは大きな乳房で、発情した性器のコピーは、赤くめだつ唇で・・・」(『人間についての寓話』)という見解がある。

 

 単純に、「赤い唇は若さと健康の象徴」なのだという見解もある。だとしても、「人は見た目で他人のことを判断しています。『人を見た目で判断してはいけない』とよくいわれるのは、それだけ見た目で判断していることの裏返し。たしかに、じっくりと関係を築いていかなければ、相手のことは理解できません。ですが、最初にどんなふうに相手に接していいかを間違えば、関係を築くことすらできないわけです。それは、恋愛のように繁殖のパートナーを探すことでも同じ。さまざまな目で見てわかる情報を利用して、相手のことを知ろうとします。その意味で唇は、相手の年齢や健康状態を探る、重要な視覚情報」(マイナビ)なのだから、“繁殖”と関係しているのである。

 

 「赤いふっくら唇が魅力的だ」と聞く ―― 「チンパンジーのメスは発情が来るとお尻のピンクのところがプーッと腫れます。なので、お尻が腫れているメスは『モテ期』になります」(よこはま動物園・ズーラシア)と同じなのである。

 「若い男と女がまずキスで始めるのは、まねごとで2人の関係を確認していることになる。コクマルガラスというヨーロッパ産のカラスのメスは、交尾の姿勢を真似ることによってオスの求愛を受け入れて婚約する。人間の女は〈唇を許す〉ことによってyesを表現するのと、どこが違うのであろうか?」(日高 敏隆)。

断章317

 「人間とチンパンジーは、共通の祖先から進化したものの、その祖先たちがどのような見かけだったのかは、はっきりとわかっていない。化石による記録は、共通の古代の祖父母たちは、今日の人間よりもチンパンジーの姿にずっと近かったことを強く示している」(ウィリアム・フォン・ヒッペル)。

 しかし、原始人から原人、旧人、新人へと進化するにつれて、ヒト属(ホミニン)の脳容量は大きくなっていった。

 「進化の歴史の中で、哺乳類の時代になり大脳新皮質が増大し、特に霊長類では、大脳新皮質は飛躍的に増大拡大していった。大脳新皮質の増大の進化的要因は、群れの生活での情報を収集するためであり、群れが大きい動物ほど大脳新皮質の占める比率が高い。ヒトでは、脳全体の8割が新皮質であり、この新皮質の中の前頭連合野が高次の認知や思考・判断・言語・推論を行っており、精神活動を営む中心的な脳領域へと進化したのである。前頭連合野は系統発生的にはヒトで最も発達した部位であり、個体発生的には最も遅く成熟する。

 つまり、ヒトはチンパンジーと分岐した後、500万年から700万年かけて、複雑な群れでの情報収集と情報交換のために、音と意味を組み合わせた言語音声をつくり、言語情報を制御する新しい神経回路を進化・発展させた。これが大脳新皮質大脳連合野なかでも前頭連合野の飛躍的な増大につながったのである」(網野 ゆき子)。

 

 脳の増大を可能にしたものは何だったのだろうか? 

 「近年のゲノム解析で、チンパンジーなど他の哺乳動物にあってヒトでは失われたDNA配列が500カ所以上見つかった。そのうち3つの配列は遺伝子を調節するスイッチとして機能していた。

 ヒトの遺伝子は、全部がすべての細胞で常に活性化しているわけではない。細胞によって異なる活性パターンをとることで、体の各部分がうまく発達し、それぞれ違った機能を持つようになる。遺伝子をオンにするスイッチは『エンハンサー』と呼ばれる。1つの遺伝子に対し、それを制御するエンハンサーが複数存在する場合があり、これが場所ごとに遺伝子の活性を変えている。他の動物にあってヒトにないスイッチは、ヒト特有の形質をもたらしたと考えられる。

 1つの欠失は脳の成長を促し、別の1つの欠失は夫婦の絆を深めたとみられる ―― この欠失によるペニスの棘(陰茎棘)の消失は、人類進化の道筋に大きな影響を及ぼした変化の1つだと考えられる。霊長類の過去の実験では、陰茎棘を除去すると交尾時間がざっと1.7倍に伸びることが示されている。このことから、陰茎棘の消失は、棘のあった祖先よりも性行為を長く、ひいては親密なものにした変化のひとつだったと思われる。もう1つのスイッチの欠失は直立歩行を促進したとみられる」(『人間らしさの起源』別冊日経サイエンス242)というP・L・レノたちの仮説がある。

 

 大きな脳を持ち、「考え、学習し、意思疎通し、環境を制御する私たちの能力が、人間を他のいかなる動物とも全く違う存在にした」(同前)。

 

 その結果、「私たちは、理性を讃(たた)え、曖昧で厄介なものとして情動を見下す時代に生きている。とはいえ、ヒトという種の基本的な欲求や願望、こだわりを避けて通ることはできない。私たちは血と肉からできているので、食物、セックス、安全を筆頭に、特定の目標を追い求めるように駆り立てられる。それを考えると、『純粋理性』という概念全体が、純粋な作り事のように見えてくる。裁判所の判事は昼食の前よりも後の方が寛大であることを示す研究の話を聞いたことがあるだろうか? 私にしてみれば、人間の論理的思考力など、突き詰めればこの程度でしかない。合理的な意思決定を、心的な傾向や無意識の価値観、情動、消化器系から解放することは事実上不可能なのだ」(フランス・ドゥ・ヴァール)。

断章316

 わたしたち人間とは何者なのか、どのようにして現在にたどり着いたのか?

 「人間と近縁の類人猿との共通点を考えるとき、なんといっても比較がいちばん簡単なのはチンパンジーのオスと人間の男性だ。チンパンジーのオスは集団で狩りをし、政治的ライバルに対抗して同盟を結び、団結して敵対関係にある近隣の群れから縄張りを守るが、同時に彼らは、地位やメスを巡って張り合う。この連帯と競争の緊張関係は、スポーツチームや企業に所属する人間の男性には非常になじみ深いものだ。男性は仲間内で激しく競争する一方、自分たちのチームが敗北しないためには互いが必要であることも知っている」(フランス・ドゥ・ヴァール)。

 

 また、ある研究者の報告によれば、「8歳になったチンパンジーのアイが学習室のコンピューターの前で、正答のときに出てくるほうびの食べ物が、実際は出ているのに、出ていないふりをして、二回もだました」そうである。この報告で興味深いのは、「だまそうとしたことが発覚した後、このチンパンジーは、研究者が顔をのぞきこむと、視線をそらして、まばたきをし、実にバツの悪い表情をしたくだりである。嘘をついていることが明らかになった時、相手の視線に耐えられずに視線をそらす心理は、ヒトに極めて似たものであり、欺きといい、発覚した後の心理も、ヒトに酷似している」らしい。

 

 チンパンジーボノボなどの「ヒトに似た形態を持つ大型と中型の霊長類を指す通称名が類人猿である。ヒトの類縁であり、高度な知能を有し、社会的な生活を営んでいる(引用者注:なので、彼らには、〈正義〉と〈政治〉の萌芽形態がある)。類人猿は生物学的な分類名称ではないが、生物の分類上都合が良いので霊長類学などで使われている」(Wiki)。

 「霊長類とは、動物分類学上での霊長目(Primates)に相当し、動物の首長たるものという意味である。原猿類、新世界ザル、旧世界ザル、類人猿、ヒトなどを含み、現存するものは約200種知られている」(霊長類研究所)。