断章13

 「学歴もいらず、技能もいらず、経験もいらない」という会社には、様々な人たちが吹き溜まってくる。

 会社が倒産した失業者、小商売に失敗した者、労働争議に敗れた者、事故・病気で失職した者、女と逃げてきた者、もちろん単にこらえ性のない者も。

 

 元タイル職人がいた。タイルを貼り続けたせいで、擦り減って指紋が無かった。

 家庭の事情により養護施設で育った。事故で大けがをしたのをきっかけに、タイル職人を辞めて転職してきたのである。

 彼は、アパート住まいだが、山小屋をもっていた。山小屋?

 彼は、働きだしてから小金を貯めて、株で成功していたのである。

 歴史的なクライマックスに向かって上昇(勿論、そのことは事後的にしか分からないのだが)していく株「相場」をやるために証券会社に行くには(まだネット証券の無い時代)、交替勤務で夜勤明け・平日休みがあることが、彼には好都合だったのである。

 そんな人がいた、そんな時代だった。

 

 そして「もしものとき」が、突然わたしに訪れたのである。

 血を吐いた。

断章12

 わたしは、長らく二重構造の下層の下位レベルの会社にいた年寄りである。

 

 このレベルの会社は、日本型雇用形態だった年功序列・終身雇用とは無縁である。気に入らなければすぐ辞めていくし、すぐに補充される。なにしろ、人を採用するにあたって、学歴・技能・経験を問わないのである。役が付いても、待遇はチョボチョボである。

 

 日本経済の高度成長にもかかわらず、経済二重構造の上層(大企業正社員・公務員・教員)と下層(小・零細企業労働者)の間には、「深くて暗い」越せない河があったのである。

 

 とはいえ、日本経済の高度成長は、下々の者にも下々なりの「余裕」をもたらした。

 乱暴に単純化すると・・・

 戦後しばらくは、自宅の火鉢でスルメをあぶって車座で酒を飲む。

 1960年代は、立ち飲みで飲むようになる。

 「西成の串カツの牛串の肉は、犬肉なんやで。そやから西成には野良犬がいてへんやろ」と笑いながら。

 1970年代は、養老乃瀧や安スナックに行くこともある。

 1980年代は、社員旅行で温泉地に行く。

 1985年頃からは、なんとセクシーコンパニオン付きの宴会まであったのである。

 

 1989年12月29日、年内最終取引日に日経平均株価は史上最高値3万8957円44銭をつけた(日経平均株価は1949年の算出開始日から1989年末までの40年間で220倍に上昇した)。ジャパンマネーは世界中で猛威を振るった。

まさにその絶頂に向かって日本中がひた走っており、下々の者も幾分のご相伴にあずかったのである。

 

 その後は、どうなったのであろうか。

 

 「日本社会の経済格差は、高度成長の過程で縮小し、社会階層間の流動性は増加したと考えられてきたが、1990年代以降、再び社会の中の経済格差の拡大が指摘されるようになっている」「所得分配の状況を示す一つの指標である再分配後の世帯所得についてのジニ係数について見ると、このところ高まってきており」「労働者の賃金の格差拡大や高齢の無業者世帯の増加等を背景とした世帯別の所得水準の格差は拡大を続けており、低成長=二重構造の拡大」(出所不詳)と、なっていくのである。

断章11

 無名といえば、母方の祖父を思い出す。

 高倉健さんのように寡黙で、刻みたばこを煙管につめて一服するほかは働きつめの百姓だった。好奇心旺盛で、つねに集落で一番に最新の農業機械を導入していた。祖母いわく「村一番の働き者だった」のである。

 文字どおりの「朝は朝星、夜は夜星、昼は梅干しいただいて」だった。

 

 「朝はまだ星が出ているうちから農作業に精を出し、昼は質素にご飯と梅干し、そして夜は星が見えるほど暗くなるまで仕事をするということ」(サナ爺さん)。

 

 山間部だったからか、戦前は食べていくのがやっとで、やっと戦後(農地改革後)になって大百姓として成功したのである。

 

 祖父を思い出す。

 「その人々は誰にも知られず、それとかたちに遺(のこ)ることもしないが、柱を支える土台石のように、いつも蔭にかくれて終ることのない努力に生涯をささげている。・・・いつの時代にもそれを支える土台石となっているのだ」(山本周五郎)。

断章10

 わたしは、貧乏であった、貧乏である、貧乏なまま死ぬだろう。

 わたしは、戦前から続く日本経済の「二重構造」の『下層の下位』で生きてきたのである。

 

 日本経済の二重構造とは、「近代的大企業と前近代的零細企業が並存し、両者の間に資本集約度・生産性・賃金などに大きな格差があるような経済構造」(GOO辞書)のことである。

 

 誤解を恐れずに単純化する(金額も今に合わせてみる)。

 

 あるコンビナートに大工場があるとする。

 本工は二重構造の上層である。但し、管理労働にたずさわる上位の平均年収が1000万円とすれば、現場労働にたずさわる下位の平均年収は750万円である。

 また、上層には現物給付があり、社宅があり、組合がある。

 大工場周辺や大工場内部の下請け労働者は、二重構造の下層上位であり、平均年収は400万円である。孫請けの労働者は、下層の下位であり、平均年収は300万円である。

 また、下層には現物給付が無く、社宅が無く、組合も無い。

 そして、単純なゴソ仕事をするのは、手配師に集められてきた日給8000円の日雇いである(最下層のドヤ街のみんな)。

 

 世間がすでに『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(エズラ・ヴォ―ゲル)と浮かれはじめていた1980年頃、二重構造の下層下位に位置する独身男(それは、わたしだ)の暮らしは、共同便所の安アパートのほとんど日の射さない1室(古びた畳の匂いがする)に、あるものは電気スタンドと小机と布団だけ。服は長押につるし、下着は段ボール箱。食事は、職場で出前か弁当(念のため。今でいえば、玉子屋のオフィス弁当450円のような豪華版ではなくて、激安スーパーの弁当)。ありがたいことに(?)、風呂は現場仕事なので職場で入れた。

 休みの日は、大衆食堂(最近よくあるような小洒落たものではない)で食事をし、図書館や古本屋巡りに行く。

 5禁の誓いを自分に課していた。禁酒、禁煙、禁テレ、禁パチ、禁映である。

 「酒を飲まない、煙草を吸わない、テレビを見ない、パチンコをしない、映画を見ない」

 結婚して家族を養っていく自信がなかったので、女を避けていた(ブサイクでモテなかっただけかも)。もしものときのために、貯金はしていた。

 

 「もしものとき」は、やって来たのである。

断章9

 わたしは、年寄りである。

 幸か不幸か孫がいないので、孫自慢、息子の嫁の悪口とは無縁である。

 

 わたしは、「老いてまさに益々(ますます)壮(さか)んなるべし」と思っている。

 「ちょっとー、勘弁してよー」という問題を引き起こす、近所の異性に懸想したジジイの、「えらいお盛んですなー」の「盛ん」とは違うのである。

 

 「丈夫の志を為すに、窮して当に益堅かるべく、老いて当に益壮なるべし」(後漢書・馬援伝)から来ているので、「年老いても(世のため、人のためにという志は)ますます意気盛んでなければならない」ということなのである。

 また馬援という人は、「財産を増やしたならば、人々に分け与えることこそが肝要である。そうでなければ単なる守銭奴ではないかと言って、その莫大な財産を親族旧知に尽(ことごと)く分け与え、自身は粗末な衣服で満足していた」(八重樫 一)らしい。

 

 「年寄りの暇つぶしとしての『ネトウヨ』だよねー」とは、言われたくないのである。

 年老いてなお己を省み、励まなければならないと思うのである。

断章8

 わたしは、無名である。

 無名といえば、普通は中島みゆきさんの『地上の星』を思い浮かべるかもしれない。

わたしにとって、名も無き庶民の人生は、美空ひばりさんの『川の流れのように』なのである。

 「知らず知らず 歩いてきた 細く長い この道 振り返れば 遥か遠く 故郷が見える
でこぼこ道や 曲がりくねった道 地図さえない それもまた人生
ああ 川の流れのように ゆるやかに いくつも 時代は過ぎて
ああ 川の流れのように とめどなく 空が黄昏に 染まるだけ」(作詞・秋元康

 

 そして、黄昏(たそがれ)ていく日本で、わたしの死後、カミさんはどうなるのであろうかと暗い気持ちになるのである。

 「正義」「平等」「平和と民主主義」についての空理空論(幻想)を書き散らかしながら、高級ホテルでシャンパンを飲み大排気量の高級車に乗って排ガスを振り撒く自称「知識人」リベラル(ほら、そこの君だよ)が決して理解できない気持に。

 

 「世の中は個人の死とは無関係に存在し続ける」(不詳氏)

 「ん~ん、なるようにしかならないね」(カミさん)だとしても、わが亡き後が案じられ、もがくのである。無名の凡人だからである。

断章7

 「ちょっと~、くどいよ」と、カミさんに叱られそうだが・・・わたしは、貧乏である。

 貧乏でも(貧乏だから?)、戸締りと火の用心にはうるさいのである。

 とろろ麦飯を食べると、「貧乏人は麦を食え」と言った池田勇人を思い出すのである。

 貧乏なのである。

 但し、古谷経衡君が、「西成のドヤ街に住み『スーパー玉出』(関西で展開する激安スーパー)で毎日のお惣菜を買うような層」(『左翼も右翼もウソばかり』)と、大きくひとくくりにしているのをみると、そこはちょっと違うかな~と思うのである。

 しかし、古谷君から、「いやいや、うっすらと色はついていてもお茶の味の全くしない、激安スーパーのPBお茶飲料を飲んでいるなら一緒でしょう」と言われれば、「たまには『お~い お茶』も飲みますけど」と答えるしかないのであるが、これだけは言っておきたい。

 「古谷君。『都市部の低所得者』をちょっとアバウトにまとめすぎだよ」と。

 たいした違いはないように見える。しかし、スーパー玉出で毎日のお惣菜を買うとしても、よりアッパーな「選挙にも行く」層と、ドヤ街に住み「選挙になんか行きっこない」層とに分かれるのである。

 

 「西成のドヤ街に住み『スーパー玉出』(関西で展開する激安スーパー)で毎日のお惣菜を買う」人たちは、生活に追われているいないにかかわらず、投票所に行ったりしないのである。

 どんなときも、彼らは新世界でちょこっと飲んで、住之江ボートに行って儲かったら女(男)を買う(昔ならタチンボか飛田新地)。彼女らは激安スーパーで朝早くから働いて、午後には皿洗いのバイトをして終わればパチンコに行く。

 彼ら彼女たちは、貧乏のプロなのである。チコちゃんに叱られても、ぼーっと生きているのが楽なのである。

 

 もちろん非常時には、彼ら彼女たちも歴史の表舞台に上がってくる。

 心優しい「リベラル」が戦慄するような形相で・・・。