断章6

 「20歳のときにリベラルでないなら、情熱が足りない。40歳のときに保守主義者でないなら、思慮が足りない」(不詳氏)

 繰り返すが、わたしは年寄りである。まだカクシャクとしている(と信じたい)のである。

 

 年寄りなので、日本共産党証券の酷さは、知っている。

 ずいぶんと昔だが、日本共産党証券のある営業さん(もう名前は忘れたが、不始末があって辞めさせられたらしい)が、利回りが40%にもなる素晴らしい商品だと言って「スターリンソ連邦」ファンドなるものを売りに来た。かなりの額を投資したが、いまだに配当が無い。

 その後だったか、同じ日本共産党証券の別の営業さんが、利回り30%をうたって「毛沢東・中国」ファンドを売りに来た。また欲気をだして、かなりの額を投資したのである。これもいまだに配当が無い。

 しばらくして、また別の営業さんが、「『金日成北朝鮮』ファンドで今までの損を全部取り返しませんか? 今度は確実です。なにしろ、ファンドの社長とうちの社長が懇意なんです」と言って、ふたりがガッチリとハグしている写真まで見せたので、ついつい投資してしまったのである。

 また配当が無いので、問い合わせてみた。

 「いや~、あの頃のあの社長たちは、もう亡くなってしまいましたのでね~。まあ、申し訳ないとは思いますけど・・・」と言ったきりであった。

 

 聞くところによれば最近は、「今までは『ファンド』の運用者が民主的選挙で選ばれていなかったから失敗した。今度の『チャベスベネズエラ』ファンドは、運用者が民主的選挙で選ばれているので有望だ」と、推奨していたらしい。

 

 詐欺のネタは尽きることがない。詐欺師たちは今も昔も変わらず、巧みに人間の本質(善意、願望、無知、欲望、恐怖など)を利用して着実に成果を上げているのである。

 年寄りは、つぶやく。「大手を振って闊歩している(政治の、理念の)詐欺師たちにご用心」と。

断章5

 わたしは、無名である。有名になったことがない。

 有名になるとどうなるかは、人様に聞くほかないのである。

 

 「有名になったら、もう何もできなくなるのです。有名人になってごらんなさい。朝、起きたら、もう人が来るでしょう。電話がかかる。書類がたくさん集まってくる。付き合いも広くなる。義理も多くなる。結婚式にも行かなけばいかん。葬式にも行かなければいかん。いろんな会合にも出なければならん。朝から晩まで何をしているか訳がわからない。
 『忙しい、忙しい』というのは有名人の口癖です。『忙』という字は“心が亡くなる”ということで、忙しいと本当に心が亡くなる。迂潤になったり、粗忽になったり、もうミスだらけ、エラーだらけになる。だんだん“心が亡くなる”のですから馬鹿になる。
 現代の名士を見たらわかる。そんなことを言うと悪いけれども、名士の中には本当に偉い人は少ないですね。名士になるまでは偉かったのです。立派な名士になることは、立派な馬鹿になることが多い。そうでなければあんなミスが大臣や議員に起こるわけがない。気がつかなかった、失敗であった、というのは馬鹿になっておる証拠」(不詳氏)らしいのである。

 有名になったら、それはそれで大変らしいのである。

 

 だとすれば、無名は無名で、「うまくいかないのは他人のせいだと考えるのではなくて、自分の人生だから自分でなんとかしようと考える。年齢に関係なく柔軟に前向きに学び続け、自分に向いていると思う仕事を頑張り続ける。能力の及ぶ限りひたすらに自分の信じる道を進む」(不詳氏)他ないのである。

 

 「ちゃんと働けば、ちゃんといつか報われる日が来る。報われなければ、働き方が悪いか、働かせる者が悪いんだ。そんなとこはとっとと逃げ出しゃいいんだ。だが、一番悪いのは、人が何とかしてくれると思って生きることじゃ。人は人をアテにする者を助けたりはせん。逆に自分の力を信じて働いていれば、きっと誰かが助けてくれるのだ」「おまえなら、大丈夫だ。だから、もう無理に笑うことはない。謝ることもない。おまえは堂々としてろ。堂々と、ここで生きろ」(NHK「なつぞら」第4話)

断章4

 わたしは、貧乏である。

 ちょっとお高いご馳走を食べると、きまって「カネは正直じゃのー」とつぶやくのである。

 ついつい、ネットの「マネープランクリニック」(寄せられた家計の悩みに答える)を見ては、妬んだり嫉んだり気の毒に思ったりするのである。

 

 現在、世界が、日本を取り巻く環境が、大々的かつ急速に変化しつつある。アメリカが保障する安保体制の中で自由貿易の恩恵を最大限に享受してきた環境が激変しつつある。

 このような時期に、というよりこのような時期だからこそというべきか、富めるものは益々富、貧しきものは益々貧しくなっているのである。

 世界の、そして日本の貧富の格差拡大は、半端ないのである。

 「世界のお金持ち上位26人が、世界のボトム・ハーフ(貧しい半数)の38億人と同じ額の資産を保有している」といわれている。

 日本の2016年の全世帯収入の平均値は550万円前後で、この20年間増えていない。全世帯収入の中央値は、もっと下の442万円である。「生活が苦しい、やや苦しい」世帯が55%前後もいる。

 「(アベノミクス後の)円安によって大企業は収益を大きく伸ばし、一見すると日本経済は明るさを取り戻したようにも見えました。しかし実際には、円安インフレにより食料品やエネルギーなど生活に欠かせないモノほど値上がり率が大きかったので、多くの世帯で家計を預かる主婦層はそれらのモノの値上がりに敏感に反応せざるをえず、実質賃金の下落を肌でひしひしと感じながら、いっそう節約志向を強めていった」(中原 圭介)のである。

 

 庶民にとって、いわゆる「下流老人」の問題は、決して他人ごとではない。

 ところが、この日本の危機、わたしたち庶民の苦境に本気で取り組む政党は、まだ無いのである。

 太平の逸民である自称「知識人」リベラルたちに期待することはできない。彼らは、知識を鼻にかける口先だけの役立たずであり、「反政府」と「反日」を混同している愚か者だからである。

断章3

 わたしは、年寄りである。

 涙腺が弱くなっているのである。

 ユーチューブにUPされている、ばってん荒川さんと島津亜矢さん共演の「帰らんちゃよか」を視聴すれば、走馬灯のように過去を思い出して、恥ずかしながら泣くのである。

 

 惨憺たる敗戦を迎えた日本。焼け野原になった都市、荒れ果てた田畑。

 祖父母、父母たちは身を粉にして働き詰めで戦後復興に励んだのである。

 そして、わたしたちの世代は十六の春に夜行に乗って旅立ち、大都会で、コンビナートで、汗と埃にまみれて働いたのである。

 故郷の祖父母、父母たちはすでに亡くなり、故郷を遠く離れた、わたしたちもまた老いたのである。

断章2

 わたしは、「ネトウヨ」である。

 「なんかいつも上目線でお説教臭いよねー」とカミさんに言われるが、仕方がないのである。

 「今そこにある危機」「漠然とした将来への不安」ともっと向きあわなければ、日本は大変なことになる、と思っているからである。

 「でも、『世界金融恐慌が来るー。日本は破綻するー』って、もう20年くらい言ってるよね」とカミさんにバカにされても、挫けないのである。

 言い続けていればいつかは当たる、という商売ではないからである。

 日本を取り巻く危機(政治・外交・軍事・経済・社会)は、より広く深くなっていると信じているからである。

 危機を煽って商売にしているマスコミに洗脳されているとは、思いたくないのである。

ネトウヨ」だからである。

断章1

 わたしは、年老いた貧しくて無名の日本人である。

 名前は、ある。島田勘兵衛という。別名、五無斎である。親無く、子無く、版木無く、金も無けれど、死にたくも無いのである。

 

 三条件のひとつ、「若い」が欠けているから、もはや「全世界を獲得することは」叶わない。

 残念なことである。

 若い頃から職を転々とした(ヘッドハントやキャリアアップの転職ではない)ことも影響して、貧乏である。

 遣る瀬ないことである。

 アタマは良くない。「えーっ、そんなことも知らないの」「こんな簡単なことも理解できないのー」という眼差しを向けられることが多かった(ような気がする)のである。

 そんなこんなで、無名である。

 詮方(せんかた)ないことである。

 時々、「老驥(ろうき)櫪(れき)に伏すとも志は千里に在り」と嘯(うそぶ)いてみるが、カミさんに「伏したままで一生が終わるよね」と言われるのである。

 口惜しいことである。

 「残り少ない人生。自由に生きて、靭(つよ)く死のうぜ」とカッコつけても、カミさんに「肝心のお金が・・・ねー」と言われるのである。

 悲しいことである。

 人生最後のお迎えも、貧しくて無名の日本人には、「黄泉の帝王・トート閣下」ご自身ではなくて、使い走りの黒天使が来るらしいのである。

 せつないことである。

 

 そんなわたしは、ただ馬齢を重ねた結果として、「言語動作は普通の半可通で、文切り型の厭味を帯びている」「日本人であるということだけがアイデンティティ」の「ネトウヨ」になったのである。

 「えー、ネトウヨ。低学歴のアタマ悪い馬鹿だよね」と言われても、平気なのである。

 カエルの面に小便なのである。

 なぜなら、早くから素地はあったからである。

 「生き抜こう、生活を建て直そう」と自らの病苦・生活苦と格闘するずっと以前から、自称「知識人」のお利口な「リベラル」たちが、「知識人」の肩書で鉄面皮な売文渡世をしながら十年一日「平和と民主主義」の(反省のない)空騒ぎに嬉々としていそしむのを見るたびに、強い「違和感」を覚えていたからである。

 なるほど、「この世の中に欺瞞と不正が溢れている」ことは、間違いない。だが、この時代の、この日本であったからこそ、わたしは野垂れ死にもせず、曲がりなりにも生きてくることができたのである。

 「日本が、自由・民主・人権において不十分である」ことも、間違いない。だが、彼ら「リベラル」たちが信奉していた(或いは親しんでいた)ソ連邦、中国、「北朝鮮」などの社会主義(運動)は、この日本より劣悪な碌でもないものであったからである。

 「ネトウヨ」になった。

 最後のひと押しは、最近の日韓関係である。

 100年前の植民地支配に起因する出来事とはいえ、すでに1965年の日韓国交正常化時に大金を払って解決済の事に対して、わたしたちの孫やひ孫の世代が謝罪を続け賠償する必要はない。いつまでも謝罪と賠償を求め続ける韓国は、明らかに行き過ぎていると感じたからである。

 

【追記】

 このブログは、下級国民で下流老人のわたしが、〈歴史〉と〈世界〉を知るために、わたしたちの国、日本を守り前進させる道を知るために書いている。低学歴で賢くなく、独学の凡人であるわたしは、Wikipediaをコピペし、諸先達から引用・抜粋することしかできていない。しかし、遅々としてであれ、なお学び続けるつもりでいる。