断章1

 わたしは、年老いた貧しくて無名の日本人である。

 名前は、ある。島田勘兵衛という。別名、五無斎である。親無く、子無く、版木無く、金も無けれど、死にたくも無いのである。

 

 三条件のひとつ、「若い」が欠けているから、もはや「全世界を獲得することは」叶わない。

 残念なことである。

 若い頃から職を転々とした(ヘッドハントやキャリアアップの転職ではない)ことも影響して、貧乏である。

 遣る瀬ないことである。

 アタマは良くない。「えーっ、そんなことも知らないの」「こんな簡単なことも理解できないのー」という眼差しを向けられることが多かった(ような気がする)のである。

 そんなこんなで、無名である。

 詮方(せんかた)ないことである。

 時々、「老驥(ろうき)櫪(れき)に伏すとも志は千里に在り」と嘯(うそぶ)いてみるが、カミさんに「伏したままで一生が終わるよね」と言われるのである。

 口惜しいことである。

 「残り少ない人生。自由に生きて、靭(つよ)く死のうぜ」とカッコつけても、カミさんに「肝心のお金が・・・ねー」と言われるのである。

 悲しいことである。

 人生最後のお迎えも、貧しくて無名の日本人には、「黄泉の帝王・トート閣下」ご自身ではなくて、使い走りの黒天使が来るらしいのである。

 せつないことである。

 

 そんなわたしは、ただ馬齢を重ねた結果として、「言語動作は普通の半可通で、文切り型の厭味を帯びている」「日本人であるということだけがアイデンティティ」の「ネトウヨ」になったのである。

 「えー、ネトウヨ。低学歴のアタマ悪い馬鹿だよね」と言われても、平気なのである。

 カエルの面に小便なのである。

 なぜなら、早くから素地はあったからである。

 「生き抜こう、生活を建て直そう」と自らの病苦・生活苦と格闘するずっと以前から、自称「知識人」のお利口な「リベラル」たちが、「知識人」の肩書で鉄面皮な売文渡世をしながら十年一日「平和と民主主義」の(反省のない)空騒ぎに嬉々としていそしむのを見るたびに、強い「違和感」を覚えていたからである。

 なるほど、「この世の中に欺瞞と不正が溢れている」ことは、間違いない。だが、この時代の、この日本であったからこそ、わたしは野垂れ死にもせず、曲がりなりにも生きてくることができたのである。

 「日本が、自由・民主・人権において不十分である」ことも、間違いない。だが、彼ら「リベラル」たちが信奉していた(或いは親しんでいた)ソ連邦、中国、「北朝鮮」などの社会主義(運動)は、この日本より劣悪な碌でもないものであったからである。

 「ネトウヨ」になった。

 最後のひと押しは、最近の日韓関係である。

 100年前の植民地支配に起因する出来事とはいえ、すでに1965年の日韓国交正常化時に大金を払って解決済の事に対して、わたしたちの孫やひ孫の世代が謝罪を続け賠償する必要はない。いつまでも謝罪と賠償を求め続ける韓国は、明らかに行き過ぎていると感じたからである。

 

【追記】

 このブログは、下級国民で下流老人のわたしが、〈歴史〉と〈世界〉を知るために、わたしたちの国、日本を守り前進させる道を知るために書いている。低学歴で賢くなく、独学の凡人であるわたしは、Wikipediaをコピペし、諸先達から引用・抜粋することしかできていない。しかし、遅々としてであれ、なお学び続けるつもりでいる。