断章503
「ロシアのプーチン大統領は最終的に核を使うのではないか。そんな懸念が高まっている。ウクライナの反攻にあって、占領地からの後退を余儀なくされているロシア軍。これに対して、プーチン大統領は12月7日、(引用者注:一方的に隣国を侵略したあげくに)『(核戦争の)脅威は増している』と言い出したからだ。
プーチン大統領は『ロシアは、必要であれば、利用可能なあらゆる手段を用いて国益のための戦いを継続する』『我々は保有しているもので前進する。ロシア側からの答えは唯一つしかない。国益のために一貫して戦うということだ』とも語っている。
一体、この戦争の結末はどうなるのか。プーチン大統領の思考回路はどうなっているのか。誰もが知りたいところだが、歴史家の保阪 正康氏は近著『歴史が暗転するとき』(日刊現代)で、興味深いアプローチと分析をしている。スターリンとプーチン大統領の類似性、共通項を探ることで、今後を予測しているのである。
保阪氏はまず、<スターリンが、ソ連の社会主義体制を国際社会での多数派にしていこうという思惑を抱いたのと同様に、プーチンも『ロシアのない世界などは存在する理由がない』との信念の持ち主である点>が2人の共通項であると指摘。<プーチンはスターリンの申し子のような存在>と断じている。そして、スターリンの目的に対して手段を選ばない行動に対して、<この国はしっかりとした検証、清算をしてこなかった>と歴史にきちんと向き合ってこなかった姿勢を批判。<プーチンの蛮行は、ロシアにおいて20世紀の総括すべき点が未清算だったことへの証しだと言ってもよいだろう>と書いている。
そのうえで、さらに4点の共通項を挙げている。 1.自らの政治的責任は決して認めない 2.下僚の責任を問う形にして処刑する。 3.必ず周辺国を自国の防波堤に使う。 4.国民に忠誠と服従を求める。
まさしく、ウクライナへの軍事侵攻後のプーチン大統領の言動に当てはまる。保阪氏は<プーチンはこの4点に基づいた行動をとってきたし、今後もそうするだろう>と予測。ますます強権的手法で破滅型の戦争に入っていくだろうとみている」(2022/12/12 日刊ゲンダイ)。
保阪の言う、「歴史にきちんと向き合ってこなかった」のは、ロシア国民だけではない。
日本国民も、またそうなのである。その結果、いまだにスターリン主義が産んだ日本共産党、その同伴者・同調者の「左翼」インテリが大手を振って闊歩(かっぽ)している。
だから、わたしは、マルクス・レーニン主義あるいはスターリン主義を、その源(みなもと)であるマルクス主義を繰り返し問題にするのである。
すぐる7月6日の『朝日新聞デジタル』は、「『第2次世界大戦終結の日』となっているロシアの記念日を『軍国主義日本に対する勝利と第2次世界大戦終結の日 9月3日』に改称する法案が、ロシア下院国防委員長によって下院に提出された」と、報じた。
そして、佐藤 優のコメントを紹介している。
「扱いは小さいですが、今後の日ロ関係にとって大きな意味を持ちます。
第2次世界大戦が終結した日付は国際法上、東京湾の米戦艦ミズーリ号上で日本政府が降伏文書に調印した1945年9月2日だ。しかし、当時のソ連は翌3日を『軍国主義日本に対する勝利の日』とした。佐藤さんは、そう紹介した上で、当時のソ連の意図を解説する。
『戦争終結の日を戦勝国であるソ連が恣意(しい)的に決めることができるという意思表示です』
佐藤さんは、当時のソ連の為政者スターリンが、9月2日にソ連国民にラジオでおこなった演説にも言及。演説でスターリンは1904年の日露戦争の敗戦を振り返り、『この敗北はわが国に汚点を印した。わが国民は、日本が粉砕され、汚点が一掃される日がくることを信じ、そして待っていた。40年間、われわれ古い世代のものはこの日を待っていた』と述べ、こう続けたという。
『そして、ここにその日はおとずれた。きょう、日本は敗北を認め、無条件降伏文書に署名した。このことは、南樺太と千島列島がソ連邦にうつり、そして今後はこれがソ連邦を大洋から切りはなす手段、わが極東にたいする日本の攻撃基地としてではなくて、わがソ連邦を大洋と直接にむすびつける手段、日本の侵略からわが国を防衛する基地として役だつようになるということを意味している』。
(佐藤は)日本の外務省の資料を引き、そんなスターリンの言葉を紹介した上で、今回のロシアの記念日改称の動きを、こう分析した。
『ソ連崩壊後、ロシアが9月3日の〈軍国主義日本に対する勝利の日〉を軍の祝日から外したのは、スターリン主義から訣別(けつべつ)するという国家意思を示したかったからです。9月2日ならば、第2次世界大戦が終結したという史実に基づく客観的な記念日です。対して、一日遅れの3日だとスターリンの歴史認識を追認するという意味になります。さらに〈軍国主義日本に対する〉という言葉を付け加えることで、対日関係におけるスターリン主義の正当化が決定的になりました』」。
わたしたちは、こんなロシアが北海道の鼻先にいることを忘れてはならない。