断章379

 「朝鮮戦争の停戦と相前後して、日本共産党では党内権力闘争がはじまり、徳田 球一が率いる所感派と宮本 顕治が率いる国際派の争いとなり、最終的に宮本一派が勝利して、それまでのテロ路線にフタをして、『愛される共産党』を目指すという方針に180度転換した。

 これが世にいう『六全協ショック』で、宮本 顕治の方針転換は“議会制民主主義”を大前提とする日本国民には至極当たり前の決断のように思えるが、当時の左翼の若者には、『日本共産党に裏切られた』と感じるものが多くいたという。

 これが『代々木』と『反代々木』に分裂する出発点で、日本共産党に対する不信感にとらわれた若者たちの受け皿になったのが、ブント系、革マル派中核派革労協へと連なる『新左翼』の系譜で、要するに、こいつらは『平和主義路線を標榜する日本共産党』に飽き足らず、あくまで殺人と暴動によって日本国政府を転覆し、暴力革命を以て日本に共産主義政権を樹立するという、完全に日本国憲法の精神を踏みにじり無視する『とんでもない連中』だった」と、あるアマゾンレビュワーは、戦後日本の“共産主義”運動を断罪した。

 

 スターリン批判・ハンガリー動乱を経験した青年たちは、「誰よりも理想に燃え上った」世代として、「スターリン主義批判」の思想と運動に身を投じ、「誰よりも現実を」知らなかったために ―― まことに、「無知が栄えたためしはない」 ―― 、儚く自滅した。そこに捧げられた莫大なパッションは、何一つ実を結ぶことなく雲散霧消したのである。

 そうなったのは、共産主義マルクス主義)の思想と運動が、“永遠に果されることのない夢”(それ故に魅力的な夢でもある)を追求する思想と運動だからである。そして、この現実社会では、“夢追い人”は、おおむね“だまされ屋”であり、はた迷惑な人たちでもある。

 

 マルクス主義の《エッセンス》は、つきつめれば全体主義に帰結するものだ。なぜなら、「“共産主義社会”は歴史の必然」「マルクス主義は、全能で万能だから実現できないことは無い」「前衛党は無謬」と断言するのだから、人民に約束したこと(例えば、それが5ヵ年計画であっても)が失敗すれば、失敗した原因は内部に潜む人民の敵や敵国のスパイたちの妨害によるものだとされる。そして、生贄(いけにえ)として、罪のない人々が人民の敵や敵国のスパイに仕立て上げられ「逮捕」「粛清」されるのである。 

 

 共産党に所属する、あるいは同伴する「左翼」インテリは、当然、プロパガンダの一環として、マルクスを称揚(注:価値を認めて、ほめたたえること)するであろう。

 ところが、自称「知識人」リベラルたちもまた、たとえマルクスの言説中に多くの学ぶべき卓見があるとしても、“無批判的”にマルクス(や『資本論』)を扱うことで、“夢追い人”と“だまされ屋”を生産する不生産的労働に手を染めているのである。