断章350

 農耕を始めたばかりの頃は、同棲を始めた頃のようなものだ。農耕に集中するとは決めておらず、彼女と結婚するとは決めていない。

 というのは、「採集できる野生の食物がふんだんにあり、毎年水鳥やガゼルが渡ってきて狩りができているあいだは、わざわざリスクを冒して、労働集約的な農耕や家畜の飼育に大きく依存する理由は ―― ましてやそれだけに依存してしまう理由は ―― まったく考えられなかったということだ。豊かなモザイクのような資源に囲まれていること、そしてそのおかげで、単一の技術や食料源に特化するのを避けられることこそが、自分たちの安全と相対的な豊かさを保障する最善の方法だった」(ジェームズ・C・スコット)からだ。

 

 しかし、甘い同棲生活も、彼女が妊娠すれば現実に目覚める。生活のためにフリーターをやめて定職につき結婚して籍を入れる。

 肥沃な恵まれた土地で「定住」を続ければ、人口が増大する。もはや「遊動域」は拡大できないのだから、農耕に力を入れなければ食い詰める。

 

 初期の農耕は、焼き畑・菜園耕作などの初歩的なものだった。しかし、世代を重ね、知識と経験を増やすなかで、農耕技術は進化していった。

 継続は力なり。「段々よくなる法華の太鼓」である ―― 「段々よくなる法華の太鼓」の元々の意味は、日蓮宗法華宗で「うちわ太鼓」を叩きながら「南無妙法蓮華経」と題目を唱えることが、最初はぎこちなくても長く練習を重ねてゆくうちに非常にリズミカルに叩けるようになること。

 そこから、最初はぎこちなくても繰り返していると良い感じになること全般を、「段々よくなる法華の太鼓」と言うようになった。

 

 農耕という生業(なりわい)様式は、狩猟採集とは違い、労働力の増加による労働集約度の向上によって「単位面積あたりの生産量を増加させる性質」がある。農耕が生みだした農産物〈余剰〉は、人間生活に劇的な変化をもたらした。例えば、大集落ができて、対内的には階層化・格差が拡大した。対外的には、より良い条件の土地支配を巡る“戦争”が増えたと思う ―― 時代は異なるが、日本の倭国大乱のようなすさまじい戦いがあったに違いない。