断章353

 農耕と牧畜による食糧生産の増加と集約化による〈余剰〉は、それで養われる神官、戦士、職人などの分業・格差や人口増大を可能にした。それが、バンド社会から部族社会、部族社会から首長制社会への変化をもたらした。

 

 「首長制社会につづいて出現した社会は、紀元前3400年頃以降に、征服や高圧的な合併を経て登場した国家社会である。その結果、人口が増大し、ときに多様な民族を内奥するようになったほか、官僚の分野ごと、階層ごとの専門化が進み、常設の軍隊が整備され、経済活動の専門化や都市化やその他の変化がさらに進み、現代の世界全体に普及している社会が誕生した」。

 「人口規模の拡大、政治の組織化、食糧生産の集約化、小規模血縁集団から国家にいたるまで連続的に変化していくが、それと並行して変化したトレンドもあった。

 金属器への依存度の高まり、技術の洗練、経済活動の専門化と個人間の不平等、文字の発明、戦争、宗教などである(繰り返しになるが、小規模血縁集団から国家への発展はどこででも起きるわけでも、非可逆的でも、直線的でもない)。

 国家社会はこれらのトレンドのなかでも、とくに人口増加や政治の中央集権化、技術や武器の改良といった点で、国家社会に比べて単純な伝統的社会より進んでいたからこそ、それらを征服し、住民を服従させ、奴隷にし、国家に組み込んだり追放したりし、国家が欲する土地に住んでいた人々を根絶することができたのである」と、ジャレド・ダイアモンドは言う。

 

 なぜ、B.C.3400年頃以降に〈国家〉が登場したのだろうか? 

 それは、人口増大“危機”への対応のためだった。

 というのは、B.C.5000年以降の温暖湿潤な気候のもとで、恵まれた肥沃な農耕発生地には、急速な人口増加があった。需要に応じるためには、農耕地を拡大しなければならない。そのために大規模な“治水灌漑”が必要とされ、そのための民衆動員を可能にする新しいシステムが必要だった。

 さらに、「農耕地が拡大してゆくにつれ、潜在農耕地が減少し、やがて新たな農耕地の拡大が困難となり、単位面積あたりの農耕労働力が増加し、これが労働力の集約化を通じ土地生産性を上昇させる。(中略)

 しかし、農耕発生地域で潜在農耕地が開拓され尽くされ、労働力の集約化による土地生産性の上昇が限界に達しても、なお以前と同様の生活水準を維持しようとする場合には、周辺地域を侵略し、新たに農耕地を拡大する以外にない」(原 俊彦)。「縄張り」を拡大するための戦争に勝てる新しいシステムが必要だった。

 

 必要は、発明の母である。それまでに獲得されていた諸条件(文字など)を基盤に、大規模な治水灌漑や戦争のための新システムとして、〈国家〉が生まれた。

 

 まさに、「階層の違いがすでに存在し、貧富の差が非常に大きくなり、大多数の住民が、これまで通りの慣習的な仕方では、自分たちの諸要求を充足することができないという事態が現れる場合に初めて、ひとつの現実的国家と現実的政府が成立する」(ヘーゲル)。