断章348

 人間(ヒト)は、〈際限のない欲望〉を持っている。しかし、生存戦略上で有利であれば、人間はそれを秘匿したり、自己抑制することができる。「サヨク」知識人が、耳ざわりのよい「きれい事」だけを書くのは、その方がマスコミ受けがよくて原稿料・印税を手にしやすいからである。また、本当の事を書くと立場上なにかとまずいからである。皮相な「平和愛好家」である彼らは、人類の歴史が「戦争の歴史」であることに目をふさぐ。だが、戦争や軍事について知ることは、生産や金融について知ることと同様に、普遍本質的な〈人間〉理解のために必要である。

 

 ジャレド・ダイアモンドは、「戦争とは、敵対する異なる政治集団にそれぞれ属するグループのあいだで繰り返される暴力行為のうち、当該集団全体の一般意志として容認、発動される暴力行為である」と定義する。

 但し、もっと一般的用語として使ってもさしつかえない、とわたしは思う。ヤクザに「広島戦争」「大阪戦争」があり、「ビジネスホテル戦争」や「貿易戦争」もある。

 

 戦争が絶えたことはない。たとえば、「南ドイツのタールハイムで出土した紀元前5000年頃の人骨34体のうち18体の遺体には、頭蓋骨の右後側頭部の表面に自然治癒の痕跡がない傷跡があり、調べたところ、この人々は右利きの人間たちによって背後から6本以上の斧で殴られたことが原因で死亡したことがわかった。犠牲者には、幼児から60歳ほどの男性までが含まれており、年齢層はひじょうに幅広い。どうやら6家族ほどで構成された集団が、より多人数の集団の攻撃を受け、全員が一気に虐殺されてしまったようだ」(『昨日までの世界』)。

 

 大型動物を狩り尽くし、残り少ない大型動物を追うために「遊動域」を広げれば、そこかしこで出会う別集団(それは得体の知れない「他者」であり「敵」であった)との不断の軋轢(あつれき)は避けられなかった。狩猟採集のための「遊動」は、リスクが大きくコストの高くつく生業(なりわい)になった。

 ちょうどそのころ、狩猟採集民は氷河期の終わりと安定した温暖な気候の始まりという好条件に恵まれた。その環境下で、生存と繁殖のために狩猟採集民がとった新たな生存戦略は、恵まれた肥沃な土地(とくに大河流域や河口部)で「ピンからキリまで食えるものは何でも食うという食域拡大」と「定住」だった。

 

 「遊動生活」では、ひとりで持ち運べるわずかなモノをもつだけの 、みんなが“平等”な社会だった。ところが、恵まれた肥沃な土地で野生穀類にまで食域を拡大した「定住」生活では、働き者ぞろいの大家族やたまたま住んだ所が絶好のロケーションだった家族は〈余剰〉を貯めることができる、“格差”社会になっていった。「何かを得るためには何かを失わなければならない」のである。

 

 「ピンからキリまで食えるものは何でも食うという食域拡大」と「定住」は、栽培化や家畜化ができる希少な動植物を見つけ、栽培化や家畜化を試みることにつながった。何事も初めは難しい。しかし、時々やってくる災害から生き延びるためにも栽培化や家畜化の試みは継続し、9500年前~7500年前頃(B.C7500~5500)には農耕と家畜の飼育が始まったという。