断章209
「ヨーロッパでは15~16世紀、ほぼ近世の前半にあたる時期に、商業上の大きな変化が発生します。そのひとつは域外貿易の拡大であり、他方は『価格革命』です。これら2つの変化を総合して、ヨーロッパ近世の『商業革命』と呼びます。
『地理上の発見』や『新航路の開拓』は単に海運・航海上の出来事ではなく、アジアや新大陸との直接貿易が拡張することによって、東洋産の既知の産品だけでなく、さまざまな新種商品がアジア、アフリカ、中南米から流入し、ヨーロッパの人々の生活に深く入り込むようになります ―― たとえば、ジャガイモは新大陸から伝わりましたが、現在のヨーロッパの食からジャガイモを取り除いたら、彼らの摂取熱量が下がるだけでなく、ジャガイモ栽培をやめたらヨーロッパの食料自給率も大幅に下がるでしょう。大雑把にいって、ジャガイモは麦類の穀物と比べるなら、同じ面積で2倍ないしそれ以上の熱量が収穫できるので、近世以降のヨーロッパの人口増加を支えた重要な食料となりました。
これらの外国産品の対価としてヨーロッパが支払ったのは、主に銀(ヨーロッパ産、後に新大陸産)であり、また中世から近世にかけてのヨーロッパの基軸商品ともいうべき毛織物でした」(小野塚の前掲書から抜粋・再構成)。
「『地理上の発見』や『新航路の開拓』にもっとも積極的だったのは、いうまでもなくポルトガルとスペインであった。地中海はすでにイタリアの商人におさえられている。だから彼らは、大西洋を使ってアジアへはいるルートを模索したのである。喜望峰の発見がこの模索の成果であったことはいうまでもない。ジェノヴァの商人コロンブスは、スペイン女王イザベラの援助を受けて、インドへ達するルートを求めて西へと向かったのである。
後に17世紀にはいると、スペイン・ポルトガルにかわってイギリス・オランダが進出してくる。彼らの進出の象徴的存在が東インド会社なのである。・・・アジア文明圏との直接の接触はヨーロッパに多くのものをもたらした。とりわけインドの木綿、染料(インディゴ)、こしょう、南アジアの香辛料、中国の生糸、絹、陶磁器、(引用者注:そして、茶)はヨーロッパにいわば消費ブームを呼び起こした。これらの物産は、ヨーロッパの上流階級の欲望に火をつけたのである。それらの商品は、異なった文明へのロマンティックな思い入れと、エキゾチックな好奇心をかきたて、上流階級に消費ブームを引き起こしたのである。
ところが、ヨーロッパはといえば、自らの旺盛な需要の見返りに当時の『先進』文明圏であるアジアに輸出する商品をもたなかったのである。毛織物を除いてヨーロッパは輸出すべき格別の物産をもたなかった。ヨーロッパ産のものでアジアにもっていって売れるものは銀と銅ぐらいであった。そこで、ヨーロッパは、アジアからの輸入代金を手に入れるために、新大陸に金を求めることになる。
『スペイン人の心の病に効く特効薬は金だ』といわれたように、スペインは憑かれたように新大陸に金を求めた。西インド諸島の金が枯渇しかかってくると、メキシコ、ペルーに銀を求めた。これらの地でのインディオたちの虐殺は、金銀に対するスペイン人(引用者注:そして、わたしたち)の欲望の底知れぬ不気味さをあらわしている」(『欲望と資本主義』)。
同じ時期に、「ヨーロッパは物価の持続的騰貴を経験しました。これを近世の『価格革命』と呼びます。たとえば、イギリス(イングランドとウェールズ)では、15世紀には価格は非常に安定的でしたが、16世紀に入ると上昇し始め、17世紀末には15世紀の平均価格の6倍にまで騰貴しています。こうした物価騰貴の背景には、人口増加、ことに商工業人口(土地なしの非農業人口)の増加が左右しているということが推測されます」(小野塚の前掲書から抜粋・再構成)。
「イングランドは、農村商工業の発展によって、ヨーロッパの基軸商品の毛織物の原料輸出国から製品輸出国へと変化して、ヨーロッパ内の国際分業に大規模な構造変化をもたらしました。近世初期に強大な勢力を誇ったスペインが毛織物を産出できず、新大陸で獲得した銀もヨーロッパ諸国に流出するばかりで衰退し、逆にイングランドが徐々に経済力・海軍力を背景にして繁栄するようになる勢力交替の背景にも、この農村商工業の有無が作用していました」(同前)。
まるで今日の国際情勢のようではないか?