断章98

 「動物王国」の下級国民であり、下流老人であるネズミ男は、まだ何も怖くなかった若い頃、民青だった同級生と共産党の事務所に行ったことがある。

 話をした相手は、丁寧だったが、猫なで声だった。ネズミ男は、「こいつはネコ男で、わたしを食おうとしているのだ」と感じて逃げ出した。

 時あたかも、「貴方はもう忘れたかしら 赤い国ならアバタもエクボ みんなでほめた社会主義」(神田川♪・替歌)の時代で、「進歩的文化人・リベラルにあらざれば“知識人”にあらず」の時代だった。

 

 その頃に比べると少し流れが変わった。受けを狙って、「私は本書執筆で『友』を喪う覚悟を決めた」なんてキャッチをつけた、『なぜリベラルは負け続けるのか』という本があった。

 最近も、『リベラリズムの終わり その限界と未来』(萱野 稔人)という本が出た。帯のキャッチには、「なぜ嫌われたのか? 実現不可能なのか? どこで失敗したのか?」とある。

 アマゾンレビュワーの一人は、「一般的には、いわゆるリベラル派と見なされている著者は、だからこそ昨今のリベラル派の言説が大衆に受け入れられなくなっていることに危機感を抱き、まともにその原因を考えようというのが執筆意図であろう。昨今のリベラル派は、反対者を取るに足らぬもの、ネトウヨと言われる遅れた人権意識を持つ者として描き、まともに反論せず社会の右傾化を憂いて終わりにする姿勢が目立つことに著者は苛立ちを覚えている。(以下、略)」と評している。

 

 ネズミ男は、リベラルの衰退(そういったことがあるとして)について、そんなにむつかしく考えていない(注:ネズミ男は、ロジカル・リーディング、ロジカル・シンキングができないからだ、という声もあるけれど)。

 下級国民は、自称「知識人」リベラルの言動に日本への“愛”を感じない。それが、リベラルの衰退の原因だと、ネズミ男は思うのである。

 

 「春夏秋冬 繰り返す 季節を着替えながら 花に埋もれて 月を待ち 鳥を追いかけ 睦月 如月 弥生 卯月 朝から夕べへと 雪と舞い遊び 雨に濡れ 雲をたどり この国に生まれてよかった 美しい風の国に ただひとつの故郷で君と生きよう」(『この国に生まれてよかった』♪村下 孝蔵)

  まずもって、この気持ちがなくては話になりはしないと、寒い朝にココアを飲みながらネズミ男は思うのであった。