断章219

 『独学大全』 読書猿  ダイヤモンド社・2020年刊

 自らを「拳を握って立つ女」と名乗る、アマゾン(ベスト1000)レビュアーは、「評点5つ星のうち5.0。本書があれば学習法・研究法に関する本をもう買う必要はない」と断言する。

 ―― 以下は、そのレビューのコピペ。

 「著者の読書猿氏。知的好奇心を持つ読書好きや研究者たちの間ではちょっと知られた人物です。著者のブログには、様々な分野の知(識・恵)とその学び方からアウトプット全般に関し、我々が抱く疑問や悩みに答えるノウハウや技法について紹介されています。

 ただし、本書は大学受験などをゴールとした狭義の『勉強』『独学』を目指す方にはオススメしません。他のレビュアー様がお書きのように、そこまでであれば地道な予習や復習などで間に合うからです。大学受験のみならず難関の各種試験は、比較的目的やゴールどころか動機さえ明確で、客観的評価である点数や合否もありますし。

 もちろん、読書猿氏はそうした狭義の『勉強』も包摂してはいますが、むしろ大学入学以降や社会人に向けた独学論を展開しています。そうした人々こそ学ぶ必然性や外圧がない中で、何を学ぶかはそれぞれですが、自身で学ぶ『独学』こそが身を立てる環境にあるわけです。そして己のために己で学ぶ、その目的や必然性を内発的に見出し、継続していくゆえの固有の難しさがあり、それらを扱い論じているのが本書です。

 本書を手に取る際には、『独学』の前提となるご自身の『勉強』の意味をよく問い直してニーズのズレがないようにした方がいいです。

 著者のブログや本書では、ある学問や分野を修めるならどのような形で入っていくべきか、入門書の選び方、ノートの取り方、記憶法、難解な本の読み方、図書館やDBの利用の仕方。そもそも、その前提となる、なぜ学ぶのかの動機付けや挫折の克服、継続法を最初に扱ってます。

 およそ『学習者』が遭遇することになる課題について、著者の独りよがりな極論や持論ではなく、我々の先達である『学習者』たちの知見を著者が吸収し、噛み砕いた形で紹介してくれています。

 私自身、幼少より常に劣等生としてコンプレックスを抱えて生きてきました。人よりも読むのが遅く、理解も浅い、覚えていない、答えられない。学びを喜び、いや、悦びとまで感じる人たちと己を比べるたびに、一冊の本さえ読み切れずにいる自分の弱さを呪っていましたし、いくつもの学習法や読書法、記憶法の本などを読み漁って(正確には挫折して)きました。読書猿氏のブログとの出会いはそうしてもがいている中でした。

 彼のブログは、必ずしも平易で誰にでも理解できる記事ばかりではありませんが、学ぶことを諦めたくない人が何とかその手を放さないでいるための手掛かりを、求める人に与えてくれるものです。読書猿氏の過去2冊の著作『アイデア大全』と『問題解決大全』は、膨大に学んで得た『知識のエッセンス』にあたるでしょう。

 一方で、本書は彼のように知識をエッセンスとして『吸収する方法』といえます。学習法、読書法、記憶法、自己管理など、あえて広い意味で自己啓発と呼べるものに関する本は、これまで膨大な数が出版され、これからも出版され続けるでしょう。

 しかし、その多くはタイトルや技法名は変わっていても、表向き手を変え品を変えただけで、本質はどれも同じことを言っているだけです。それは我々の悩みやコンプレックスの本質が変わっていないからであり、多くの人は耳ざわりがよく、魔法のように寝て起きたら、自分を変えてくれているようなものに憧れているからでしょう。

 本書には、魔法のような方法は紹介されていませんが、学ぶことを諦めたくないと欠片でも思っている人が貫徹すれば、確実に習得できる実用的な技法が網羅されています。

 凡百の自己啓発書のほとんどは、実際には、数百ページもある割に1冊の中で肝心の部分は数行や数ページであって、さらにその要諦(要点)は『読むだけではなく、実践してはじめて』習得できるものです。しかし、我々はそうした1冊を数日もしくは数週間費やして読み、要諦が何であったかより、『読んだという満足感』だけ得て、また次の本に飛びつきます。

 本書は我々が欲し、習得すべき本質的ともいえるいくつかの要諦を示してくれているのであって、あえていうなら、もう新たなものは買う必要のない、最後とすべき学びに関するものです」。

 

 最後に、本書の「序文」から・・・、

 「この本は確かにあまり賢くなく、すぐに飽きるしあきらめてしまう人たちのために書かれた。独学の凡人である私には、これが精一杯である。

 しかし独学の達人が書いた書物よりもきっと、繰り返し挫折し、しかしあきらめきれず、また学ぶことを再開したような、独学の凡人であるあなたの役に立つだろう」。

断章218

 日本共産党は、共産主義マルクス主義)のもたらした“惨禍”の原因を、スターリンや毛 沢東の個人的性格や生産力の低さに還元して、もう決着済の終わった話にしている。そして、相変わらず、共産主義マルクス主義)という“ドグマ”を信奉している。1991年のソ連崩壊から30年という時間による忘却が、彼らを助ける。

 

 一部の「知識人」リベラルが、また日本共産党の片棒を担いで騒いでいる。彼らは、戦後の日本の平和と安定から恩恵を受けたにもかかわらず、日本に貢献する気のないフリーライダー(ただ乗り)として、日本共産党の“同類”である。

 彼らは、1991年のモスクワのエピソード ―― 当時、モスクワにあった「万国の労働者よ、団結せよ」と記された銘板に、「共産主義に反対して」と市民が加筆 ―― の“重さ”を無視する、〈知〉に対して不誠実な“二流”インテリである。

 

 〈知〉に対して誠実であろうとすれば・・・、

 「『資本主義』という言葉を、これまでわたしはできるだけ使わないようにしていた。『資本主義』という言葉には、あらかじめ否定的なニュアンスが塗り込められているように感じていたからである。これは多かれ少なかれ、マルクス主義的・左翼的雰囲気の中で学生時代を過ごした記憶のなごりであったのかもしれない。この記憶のなかでは、資本主義的とかブルジョワ的とかという言葉は、一種の罵倒語であり、ほとんど悪人的あるいは犯罪的というのと同義語であった。

 一般的にいっても、資本主義という言葉を好んで口にするのは、マルクス主義者であり、やはり否定的なニュアンスが強い。あるいはそうでなくとも、社会主義との対比としていわれることが多い。

 しかも、現代社会は『資本主義社会』だといわれる。そうすると、『資本主義』に塗り込められた否定的なニュアンスは、そのままそっくり現代社会にまで移しかえられてしまう。日本やアメリカのような社会は、トータルに批判されるべき社会だというインプリケーション(言外の意味)がうまれてくる。

 これでは、現代社会の持つ複雑性、多様性はとても理解できない。

 資本主義社会というような言い方で、あらかじめある種の色をつけてしまったり、議論の方向を誘導してしまったりということでは、とてもではないが我々の生きている社会を理解することはできないだろう。これは、端的にずさんな言葉の使い方だともいえるし、あるいはきわめて巧妙なイデオロギーの操作だともいえるのだ」(佐伯 啓思)という視角を欠いてはならない。

 

 さらに言えば・・・、

 「いま、もし、資本主義社会は最適の社会ではないと考えるのなら、まず第1に、かつてマルクスエンゲルスが19世紀中葉の資本主義社会を論じたのと同程度に透徹した仕方で、21世紀の資本主義を、そこに含まれている問題や矛盾とともに捉え直し、その上で、第2に、資本主義とは異なる理想(ないし資本主義のよりましなあり方)を明晰に提示し、第3に、現状からそこにいたる変革の戦略を実際的に示すという3つのこと(これまでの社会主義者共産主義者も達成できなかったこと)をしなければならない」(『経済史』小野塚 知二)のである。

 

 そして、わたしは付け加えて言おう。これまで誰ひとりとして達成できなかっただけではない。これからも誰ひとりとして決して達成できないだろう。なぜなら、“共産主義”とはミラージュだから。

 「近づいたら ふいに消えてしまった 目指して来たのに どこへ行った? あの夢」(「ミラージュ」♪ 乃木坂46)。

断章217

 お客様(庶民)の困りごとを解決しよう、お客様(庶民)のニーズに応えたい、そして喜ぶ顔が見たい。これが商いの(そして政治の)一丁目一番地である。

 

 「新型コロナウイルスの感染が拡大するインドで、日本の刃物メーカー『貝印』(東京・千代田区)の爪切り『KAI Tsumekiri』が爆売れしている。同商品は、インド特有の習慣に合わせた“ある工夫”が施され、コロナ禍で衛生意識の高まりも追い風となり、現地で高い支持を得ている。老舗刃物メーカーの爪切りが、日本から約5,800キロ離れたインドで熱視線を浴びている。

 インドでは新型コロナウイルスの感染者が現在、1日当たり6万人前後のペースで確認されている。3~5月には『全土封鎖』を実施したものの、今月13日には感染者数最多の米国に次いで、累計感染者数700万人の大台を超えた。感染拡大が続く中、衛生観念に変化が起こりつつある。

 インドでは、カレーなどを手で直接取って食べる『手食文化』が残っていながらも、爪を清潔に保つ文化が根付いていない。コロナ禍で手先への衛生意識が高まり、注目が集まったのが、貝印がインドで製造・販売する「KAI Tsumekiri」(199ルピー=約280円)だ。同社が日本で販売する約450種類の爪切りにはない、インド仕様ならではの“ある工夫”が大ヒットを生んだ。

 同商品をよく見ると、先がとがった小型ナイフのようなものが付いている。同社広報担当者によると、『手でものを食べるインド人の習慣に合わせ、爪の間の汚れを取るピックが取り付けられています』。ピックに加え、日本では一般的な切った爪が飛び散るのを防止するケースが付いていることや、刃先の切れ味の良さが反響を呼び、売上高前年比は5.6倍と急伸。6月には、同社がインド事業を開始した2012年以降で、売り上げが史上最高を記録。オンライン販売も好調で、『Amozn India』の海外爪切り部門で1位を獲得するなど爆売れ中だ。インドの爪切り事情を同社担当者は、『歯でかじったりナイフで切ったりする人もいる。現地で販売されている爪切りは刃先の質が良くないものも多く、切るというより、ちぎるイメージに近いです』と明かす。

 都市と農村部で貧富の格差が激しいインドでは、生活レベルによって爪の処理に対する意識のばらつきも大きいという。同社はインドに『爪切りで衛生的に爪を切る文化を作りたい』との思いから、感染拡大後の3月から爪切りを無料配布する活動も開始。すでに約3,500個を公立学校に送付するなど、『Tsumekiri』はインドの生活必需品になりつつある」(2020/10/19 スポーツ報知・奥津 友希乃)。

 

 快挙である。たかが「爪切り」、されど「爪切り」である。

 日本各地の、日本伝統の、日本の創意工夫が詰まった様々な物品には、まだまだ世界で活躍する余地が、諸国民のニーズを満たす物品があるのではないだろうか?

 ロシアなどでは、地下足袋が「忍者ブーツ」と呼ばれて人気があり、フランスのアウトドア好きには、スズキのジムニーが人気だと聞く。

 先端工業製品だけが商品ではない。刃物や工具やメガネや果物など、まだまだ各種商品に輸出の余地があるのではないだろうか?

断章216

 「皆さんから寄せられた家計の悩みにお答えする、その名も『マネープランクリニック』の10月23日分 ―― 今日の相談者は、さばしろさん(仮名)。男性/契約社員/35歳。住まいは、持ち家一戸建てで、同居家族は、父ひとり(無職/70代前半)である」(あるじゃんAll About マネーから)。

 

 「いつも記事を参考にさせていただき、大変感謝しております。相談内容ですが、親が70代の高齢で、今は自力で動けていますが、今後は介護の問題も出てくることにどう対処していけばいいのか悩んでおります。

 現在は契約社員で、給料が少ない中での住宅ローン返済もあり、このまま同じ仕事を続けるか転職を考えるか、自身の老後への備えや、もし結婚して子どもを育てるとなった場合に生活が成り立つのか、なども不安に思っています。ぜひお力をいただければと思いますので、よろしくお願いいたします」という相談である。

 さばしろさん(仮名)の家計データは、給与手取り16万円、年間ボーナス手取り10万円(100万円ではない)。貯金60万円である。

 

 今回も、胸が詰まる相談である。「今回も」というのは、「・夫婦共に40代。退職金なしで老後や親の介護は大丈夫? ・33歳月収12万円、月200時間労働で疲れ切っています。・34歳貯金30万円。働けなくなったときに困窮しそうです」といった相談が、枚挙にいとまがないからである。

  ―― 世間の反対側には、日本学術会議への任命拒否は「学問の自由を破壊する憲法違反」「政治権力に左右されない職務の大きな妨げ」などと訴え、早期撤回を叫ぶ「左翼」学者たちがいる。幸いなことに、まだ日本には、「日本学術会議は虚飾の肩書と小遣い銭が欲しい古株教授以外には無縁かつ無用の長物」と断言する、まともな学者も存在する。

 

 日本共産党系「左翼」学者たちは、『マネープランクリニック』のような相談事には、からっきし役に立たない ―― まるで連続射殺事件の永山則夫のように、「国家権力が悪い」「資本主義が悪い」と呪詛するだけである。

 もし、「左翼」学者で、「労働者なら、ただちに日本共産党に加入して活動すべきだ」という人がいれば、(率直なだけ)よりましな部類である。但し、その党は共産主義マルクス主義)教という“カルト”であり、隠然たる学歴主義が存在し、党員の“やりがい搾取”をする“ブラック”な(表面は赤い)政党なのであるが。

 

 『マネープランクリニック』回答者でFPの深野康彦は適切な回答を重ねていると、わたしは思う。

 飢餓や殺戮があたりまえだった太古の時代や奴隷制封建制の時代ではない。自由に職業を選択できるし、身分や因習に縛られることなく自由に経済活動に参加でき、また誰もが自己利益を追求する権利があるのだから、成功をめざして努力すべき時代である。

 もちろん、この世には勤倹力行(しっかりと働いて、質素に暮らしながら力の限り努力)しても如何ともしがたい時や事がある。

 だから、わたしは何度でも言おう。国民一丸となって「富国強兵」「殖産興業」を復権し、以って無料の職業(転換)訓練や暮らしのセーフティーネットを大々的に拡充せよ!

断章215

 日本共産党は、結党以来、半世紀以上の長きにわたって、旧・ソ連邦や中国や「北朝鮮」を「社会主義国」だとプロパガンダした。それらの国に「言論表現の自由」「学問の自由」は、微塵もなかった。そんなことは気にも留めず、日本共産党系「左翼」学者は、日本での「学問の自由」を隠れ蓑(みの)にして、党派的な(マルクス主義の)プロパガンダをしてきたのだ。

 

 日本共産党の尻馬に乗り、「反知性主義」「反教養主義」という“用語”を愛用する者たち。例えば、白井 聡(とそのお友達たち)は、みんな差別主義者である。たまたま金か銀のスプーンを銜(くわ)えて生まれてきたので高等教育を受けたにすぎない。にもかかわらず、経済的な事情で進学できなかった中卒・高卒・夜間大学卒にあからさまな学歴差別をする連中である。

 彼らの実態は、日本共産党のシンパだったり、八ヶ岳や軽井沢に山荘をもっている「学界」エリートだったり、シャンパン・リベラルである(韓国のチョ・グクの同類である)。

 口先で「正義」「公正」「平等」「格差是正」、あるいは「学問の自由」などの聞こえのよい主張をし、自分の支持層に対する人気取りのパフォーマンスに余念がない二枚舌で偽善的な「左翼」であり、リベラルである。

 

 以下は、わたしのための、後日のための備忘録である。2020/10/09~16の『現代ビジネス』オンライン、長谷川 幸洋の記事からの引用である。

 

 「任命を拒否された立命館大学の学者がテレビで『任命に手を付ければ、政権が倒れる』などと発言しているのだ。普通なら『私のような浅学非才の人間が選ばれるとは、恐縮です』という場面だろう。それを『オレさまを拒否するとは何事だ。政権が倒れるぞ』とは恐れ入った、というほかない。この学者はその後もマスコミに出てきて、政府批判を続けている。そんな勘違い発言を続ければ続けるほど、世間は共感するどころか、日本学術会議がいかに『浮世離れした存在』であるか、を理解するに違いない」。

 

 「日本学術会議問題が興味深い展開になってきた。野党や左派系マスコミは政府を追及しているが、逆に、会議のデタラメぶりが露呈する一方なのだ。まさに『藪蛇』『ブーメラン』状態である。どうやら、会議の抜本的な組織改編は避けられそうにない。

 日本学術会議の新会員問題を最初に報じたのは、日本共産党の機関紙『しんぶん赤旗』だった。10月1日付の『菅首相、学術会議人事に介入、推薦候補を任命せず』という記事で『学問の自由に介入する首相の姿勢が問われます』と首相を追及した。

 マスコミ各社が一斉に追随し、立憲民主党など野党は『菅政権のモリカケになるかも』と意気込んでいる。だが、そうはなりそうもない。それどころか、むしろ学術会議側のダメージが広がっている。たとえば、赤旗が指摘した肝心の『学問の自由』問題である。

 日本学術会議が学問の自由を守るどころか、まったく逆に、学問の自由を侵害した例が暴露されてしまったのだ。それは、北海道大学の奈良林直名誉教授が10月5日、国家基本問題研究所への寄稿で明らかになった。(中略)

 北大は2016年度、防衛省の安全保障技術研究推進制度に応募し、微細な泡で船底を覆い船の航行の抵抗を減らすM教授(流体力学)の研究が採択された。この研究は自衛隊の艦艇のみならず、民間のタンカーや船舶の燃費が10%低減される画期的なものである。このような優れた研究を学術会議が『軍事研究』と決めつけ、2017年3月24日付の『軍事的安全保障研究に関する声明』で批判した。

 奈良林氏は『学術会議は、日本国民の生命と財産を守る防衛に異を唱え、特定の野党の主張や活動に与(くみ)して行動している。優秀な学者の学術集団でありながら、圧力団体として学問の自由を自ら否定している』と批判した。

 奈良林氏が指摘した『M教授の研究』について、北大の永田氏は『確認したら、2017年度の公募だった。提出締め切りか5月末。並行してM教授の採択済みテーマの扱いが検討され、2017年度末をもって研究終了(研究費返上)が決まった。そこまでの研究成果の評価結果はA判定だったらしい』と投稿している。

 M教授の研究は、船の燃費改善に大きな効果があり、A判定を受けるほど評価も高かったのに、学術会議が圧力をかけて止めさせてしまった、という話である。燃費改善がいったい、どう軍事研究に結びつくのか。そんなことを言い出したら、自動車も作れなくなる。(中略)

 学術会議は声明で『大学等の研究機関における軍事的安全保障研究、すなわち、軍事的な手段による国家の安全保障にかかわる研究が、学問の自由及び学術の健全な発展と緊張関係にあることをここに確認し、上記2つの声明を継承する』と宣言している。

 2つの声明とは『戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない』と記した1950年と67年の声明だ。私に言わせれば、この声明は2重に誤っている。まず、軍事的安全保障研究も当然、自由な学問研究として尊重されなければならない。これが1点。

 次に、軍事的安全保障研究を『戦争を目的とする研究』と決めつけるのも誤りだ。日本のような民主主義国家においては、まったく逆で『戦争を抑止する』観点が主眼である。たとえば、敵国に対して有利な情勢をどのように構築するか、という研究を通じて、自国への攻撃を思いとどまらせる方策を探るのだ。(中略)

 学術会議は日本で先端的研究を妨害する一方、中国科学技術協会とは協力覚書を結んでいる。中国の学術団体が中国共産党支配下にあるのは、言うまでもない。中国共産党が『軍民融合』を唱えて、先端技術の軍事応用を進めているのも、その分野では常識である。

 学術会議は2015年、そんな中国と覚書を交わして『本覚書の範囲内で推薦された研究者を、通常の慣行に従って受入れ、研究プログラムの調整や、現地サポートの対応を行う』と宣言した。日本の研究は妨害する一方、中国の研究は積極的に応援する。ダブルスタンダードどころか、まさに『国益に対する背信行為』と言わなければならない。

 野党や左派マスコミは『学術会議が推薦した新会員の任命が拒否されたのは、政府の不当な介入だ』と騒いでいるが、そもそも学術会議自身が『拒否を含めた政府の任命権』を容認していたことも明らかになった。

 10月7日付の朝日新聞BS-TBSなどによれば、会議は2016年、会員に3人の欠員が出たとき、ポスト1人につき優先順位を付けて2人の候補を首相官邸に示していた。さらに、17年には交代予定の105人を超えて110人の名簿を提出していた。

 これが意味するところは明白である。会議側は当時から『提示した候補者すべてが任命されるわけではない』と承知していた。つまり、首相の任命権だけでなく、拒否権を認めていたのだ。複数の候補を出したのは、拒否される場合を考慮したからにほかならない。

 呆(あき)れるのは、2016年のケースである。提示した複数の候補のうち、会議が優先扱いを求めた候補を官邸が拒否すると、会議側も譲らず、結局、欠員のままになった、という。

 これでは、何のために複数候補を提示したのか分からない。まさに『当て馬』だった。こんなところにも、世間の常識をわきまえない学術会議の立ち居振る舞いが見える。(中略)

 首相が任命を拒否するのは法律違反、と主張する学者もいる。およそ政府が税金を支出する団体に対して監督権限を行使するのは、民主的統治(ガバナンス)の大原則だ。学術会議のケースでは、首相による『任命拒否を含めた任命権の行使』が統治の鍵になっている。

 『政府からカネをもらって、人事もやりたい放題』などという話が通用するわけがない。これだけでも、学術会議周辺に巣食っている学者のデタラメさが分かる」。

 「日本学術会議問題で、野党は追及のロジックを見い出せず、菅義偉政権の意思決定プロセスくらいしか、問題にできないのだ。なぜ、こうなってしまったのか。

 立憲民主党蓮舫代表代行は10月14日の会見で『誰のための任命拒否を、誰がどの権限で行ったのか、がまったく分からない。その部分はまさに、密室政治そのものではないか、と思っている』などと語った。

 自民党は学術会議の在り方を検討するプロジェクトチームを立ち上げ、初会合を開いた。これについて、蓮舫氏は『自民党も政府も、躍起になって論点ずらしをしているとしか思えない。まったく間違っている』と強調した。

 そのうえで『日本学術会議の組織そのものに、百歩譲って課題があるとしても、今やらなければいけないのは、なぜ任命拒否をしたのか。その経緯の再検証が最優先だ。日本学術会議法に『内閣総理大臣が推薦に基づいて任命する』とある条文を、なぜ守らなかったのか、杉田官房副長官が人選に関与していたのか、違法行為があったのか。これに尽きると思っている』と指摘した。

 この発言を見れば、追及が袋小路に入ってしまったことが分かる。

 立憲民主党は当初『学問の自由に対する国家権力の介入であり、到底看過できるものではありません』などと拳を振り上げていただが、これでは『刺さらない』とみたのか、決定プロセス問題に矛先を変えてしまった。

 それはなぜかと言えば、学問の自由を脅かしていたのは学術会議自身だったことが、バレてしまったからだろう。北海道大学の奈良林直名誉教授が国家基本問題研究所に寄稿し、同大のM教授の研究について学術会議が圧力をかけ、研究を辞退させていたことが明らかになったのである。(中略)

 私は、この『北大事件』を『夕刊フジ』の連載コラムでも取り上げているが、夕刊フジ編集部の取材に対して、学術会議の広報担当者は『何をもって圧力なのか分からない』などと答えている。実に苦しいコメントである。

 北大事件の最大のポイントは『学術会議の誰が、どのように圧力をかけたのか』『北大側は誰が応対し、なぜ圧力に屈してしまったのか』という点である。私は『M教授が研究を辞退しないと、学術会議は北大の学者を学術会議の会員に推薦しないぞ』と脅したのではないか、みている。

 学者の世界では『日本学術会議会員』という肩書が『最高級ブランド』になっている。これを手に入れれば、社会的名誉はもちろん、学者の世界で幅を効かせられる。

 具体的に言えば、政府の科学研究費(科研費)の配分をめぐって、学術会議会員の学者が事実上の裁量権を握ることも可能になる。科研費の配分は日本学術振興会科研費審査委員が決める仕組みだが、学術会議会員が審査委員を兼ねる場合も多いのだ。

 学術会議の会員(と連携会員)は現在の会員(と連携会員)が推薦する仕組みだが、推薦を受けたうえで、新会員(と新連携会員)候補者は学術会議の選考委員会と幹事会、総会、さらに会長の承認を得なければならない。そのうえで、最終的に内閣総理大臣に候補者を推薦するのは会長だ。つまり、推薦の決定権は完全に学術会議が握っている。こうした仕組みの下で、学術会議の意向に逆らうと、学者の世界で異端扱いされ、会員になれないばかりか、研究の命である科研費の恩恵にも与れなくなってしまいかねないのである。

 いずれにせよ、まさに『学問の自由』に直結する問題であり、事は重大だ。学術会議は何をしていたのか。政府・自民党は、ぜひ『北大事件』の真相を国会で徹底的に検証してほしい。いまだに『学問の自由に対する侵害』などと叫んでいる野党や左翼学者たちは、その線で追及を続けると、自分たちがドツボにはまってしまうことに気が付いていないようだ。

 蓮舫氏が決定プロセスについて『再検証が最優先』と言っているのは、そんな落とし穴に気づいて、軌道修正を図っているのかもしれない。そうだとしたら、野党はいずれ、問題をうやむやにして終わらせるのではないか。(中略)

 蓮舫氏が問題視している意思決定プロセスについても、一言、付け加えよう。首相が案件を決裁するのに、官房長官官房副長官、さらに閣僚たちを指示して、前さばきさせるのは当たり前だ。何から何まで、首相が自分ひとりで仕切るわけがない。

 それを『密室政治』などとケチを付けているようでは、およそ子供じみていて、話にならない。野党議員はその程度、と今回の問題でも、またバレてしまった。

 左翼学者たちは『日本学術会議を手に入れた』と思い込んだ。そこは、カネと名誉が思いのままになる『左翼の楽園』だった。調子に乗って、他の学者の研究にも文句をつけたら、見事に成功してしまった。そこに菅政権が任命拒否を仕掛けると、蜂の巣を突いた騒ぎになって『学問の自由』を言い出した。だが、それこそが、まさに『やぶ蛇』だったのだ」。

断章214

 「ある国内半導体メーカーの経営幹部は最近、中国・清華大学の教授から、『米国の攻撃は終わりが見えないが、必ずアジアの時代が来る。もっと一緒に何かできないか』という連絡をもらって驚いたと明かす。

 習 近平国家主席の母校で、半導体を中心としたハイテク産業振興をけん引する清華大学

 その姿勢から見えてくるのは、攻め手を止めない米国を前にしても、中国が決してあきらめていないということだ」(2020年10月21日の日経ビジネス電子版・岡田達也の記事を再構成)。

 

 もし中国(中国共産党)の甘言(利益誘導)に誘われると・・・、

 「『ふえるわかめちゃん』や『ノンオイル青じそドレッシング』などのヒット商品を生んできた東証1部の『理研ビタミン』が不正会計問題で上場廃止の危機に直面している。安定した収益力を誇る時価総額1000億円弱の企業が突然陥った危機の要因を分析すると『中国リスク』の恐ろしさが浮かび上がってくる。多くの日本企業にとっても無縁ではいられない重要な問題だ。理研ビタミンは10月15日、東証の監理銘柄(確認中)に指定されるとともに『10月28日までに第1四半期(4-6月)の四半期報告書を関東財務局に提出できなかった場合は上場廃止が確定』とのニュースを開示。市場関係者の間では『そこまで深刻な状況だったとは』と驚きが広がり、慌てて情報収集に追われているようだ。

 理研ビタミンは社名が示すとおり『理化学研究所』が発祥で、理研の研究内容を工業化するために設立された『理研栄養薬品株式会社』のビタミン部門関係者が分離独立して1949年に設立された。テレビCMで有名なわかめスープやドレッシングなどの家庭用食品のほか、業務用食品、加工食品用の原料や改良剤、ビタミン類等の製造を手掛けている。海外への展開にも積極的で中国や東南アジアのほか、米国、ドイツに現地法人を置いている。

 今回、問題が判明したのは中国・山東省にある子会社『青島福生食品』。1994年にレトルト食品用の冷凍野菜の輸入を目的に買収した。ただし、その後中国産食品に対するイメージの悪化から現在は取り扱っていない。冷凍野菜・水産加工品・コラーゲンの製造・販売を手掛けており、2015年まではそれなりの利益を上げてきたものの翌年以降赤字が続き、2019年以降は銀行借入に対して理研ビタミンが保証を付けたり、資金援助しなければ立ち行かなくなっていた。

 その青島福生食品がエビ加工品の架空取引をするようになったのは同社の決算月にあたる2018年12月からで、同月は8億円余りの架空取引が行われた。さらに2019年12月期は架空取引が1年を通じて行われ、その額は116億円に上った。19年12月期のエビ加工品の販売総額は124億円であるため、その取引のほとんどが架空であり、同社の売上高全体の実に7割以上に及んだという。こうした経営がまかり通ってきた背景として、理研ビタミンの完全子会社であるにもかかわらず事業上の関係が希薄であり、青島福生食品の人事に親会社が関与してこなかったことなどが指摘されている。理研ビタミンが設置した『特別調査委員会』による実地調査に対し、青島福生食品は国家機密や社内の共産党委員会に関係する情報の流出、従業員のプライバシー等を理由に拒絶し(引用者注:すべての日本企業はこれを肝に銘じよ!)、十分な調査はできなかったという」。

 「チャイナリスクはほかでも顕在化している。同じく東証1部上場の大手専門商社『国際紙パルプ商事』(以下、KPP)は7月21日、中国の連結子会社において、154億円もの債権に取立不能・遅延リスクが発生したことを明らかにした。KPPの連結子会社である慶真紙業貿易(上海)と香港大永(香港)が取引をしていた会社の親会社にあたる『Samson Paper Holdings Limited』(以下、Samson)(香港証券取引所上場)が7月20日バミューダ最高裁判所に対し再建に向けた『暫定清算手続』の申請を行ったためである。

 KPPはとりあえず4-6月期決算では3月末時点の債権残高のうち、7月20日時点で未回収だった27億円について貸倒引当金を計上したが、今後の債権回収状況を鑑み、8月12日になって通期業績予想を61億円の営業赤字とした。(中略)

 似たような事例はまだある。東レの子会社で東証1部に上場する名門商社の『蝶理』も7月27日に子会社の『澄蝶』(東京都港区)で49億円もの売掛金の回収遅延が発生したため、4-6月期にそのうち半額について貸倒引当金を積んだと発表した。相手先は『中国の化学品製造会社グループ』としか明かされていないが、同グループは『新型コロナウイルス感染症の世界的拡大の影響を受けて中国の経済活動が一定期間全面停止したことなどから、主力の石油化学事業が低迷し、資金繰りが不安定な状況に陥っているとされ、澄蝶への原料購入代金の支払いが遅延』(発表)しているという。蝶理はこの損失のため1株57円としていた今期の配当予想を『未定』とした。ちなみに、澄蝶は社名が示すように中国の大手リン酸メーカー『江陰澄星』と蝶理合弁会社である。蝶理は1961年に国交正常化のはるか前の中国で『友好商社』の指定を受け、『日中貿易のパイオニア』を自認している。それでも今回中国での大口焦げ付きを避けられなかった」(2020/10/22 ダイヤモンドオンライン・東京経済東京支社情報部井出豪彦の記事から引用)のである。中国ビジネスは甘くない。

 

 思いだそう! 2015年4月末、当時「東証1部上場だった化学薬品商社『江守グループホールディングス』(福井市)が、民事再生法適用の申請を発表し、破綻した。同社は2014年3月期決算までは好業績を続けていたが、その後、中国の取引先から代金が回収できないなど、傾注していた中国事業での失敗が表面化。債務超過に陥り、明治の創業以来109年続いた創業家の歴史に幕を下ろした。福井の名門企業である同社の倒産劇は改めてチャイナリスクの大きさをクローズアップさせた」(2015/06/03 産経新聞)。

断章213

 主権国家体制とは、中世における普遍的世界の崩壊に伴って16世紀~18世紀のヨーロッパで形成された国家のあり方と世界秩序のことである。それは、国家より上位の権力を認めず、国家間は対等であるとする。

 

 科学技術革命は、まずイギリスにおいて、18世紀半ばから19世紀にかけて「産業革命」として結実した。産業革命において特に重要な変革とみなされるものには、綿織物の生産過程におけるさまざまな技術革新、製鉄業の成長、そしてなによりも蒸気機関の開発による動力源の刷新が挙げられる(その後の技術革新により、蒸気機関が1馬力・時間当たりに消費する石炭は45ポンドから2ポンドまで減った。そのため、イギリス以外でも蒸気機関を導入できるようになって、イギリスが独占的に享受していた競争力は失われていった)。

 

 資本主義とは、〈市場〉での自由な競争をとおして、より良い商品・サービスを提供する企業・個人が勝ち残っていくシステムである。

 資本主義確立の条件は、二重の意味で自由な労働者が生まれることである。

 「二重の意味で」とは、第1に、奴隷ではなく、(労働力の所有者として)自由に契約できる主体ということであり、第2に、生産手段をもたない ── 生産手段から自由な ── 主体ということである。

 かかる資本制的生産様式は、世界で最初にイギリスにおいて胎動を始め、「産業革命」後に支配的生産様式となり、やがて資本制的社会構成体として全面的に確立した。

 資本制社会における支配階級による被支配階級への支配と搾取は、奴隷制社会や封建制社会のように「経済外的強制」という直接的な形態をとらず、蓄積された過去の労働としての資本家的私有財産(資本)による、生きた労働(その源泉としての労働力商品)の支配と搾取という商品形態をもって媒介的におこなわれ、資本家と労働者の階級関係は、資本家の持つ貨幣と労働者のうちなる労働力商品の自由・平等な等価交換という外見の下に隠される。

 『広辞苑』は、資本主義を、「封建制下に現れ、産業革命によって確立した生産様式。商品生産が支配的な生産形態となっており、生産手段を所有する資本家階級が、自己の労働力以外に売るものを持たない労働者階級から労働力を商品として買い、それを使用して生産した剰余価値を利潤として手に入れる経済体制」と定義している。

 

 こうして、ついに近現代の世界に欠かせぬ「トリデンテ」―― トリデンテとはスペイン語で三又(みつまた)の槍を意味し、アタッカートリオを指します ―― 、すなわち主権国家、科学技術革命、資本制的生産様式が出そろったのである。