断章352

 農耕・牧畜が生みだした〈余剰〉の力は、人間生活に劇的な変化をもたらした。それは、社会編成にも現われた。それについて、以下、『昨日までの世界』から長い引用・紹介をする。

 

 ジャレド・ダイアモンドは、「エルマン・サービスが人口規模の拡大、政治の中央集権化、社会成層の進度によって分類した、人間社会の四つのカテゴリーを折に触れて使っていく。それはすなわち、小規模血縁集団(バンド)、部族社会(トライブ)、首長制社会(チーフダム)、国家(ステート)である。(中略)これらの用語は人間社会がいかに多様かを論じるにあたって便利な、略式のものだ」と言う。

 

 「もっとも小規模で単純な社会は、数十人だけで構成され、ほとんどの成員はひとつあるいは複数の拡大家族に属する(たとえば成人した夫婦とそのどもたち、夫婦の両親や兄弟やいとこの一部など)。小規模血縁集団は人口が少ないため、成員の誰もが互いをよく知り、一堂に会しての議論で集団の合意ができる。正式な政治的指導者は存在せず、経済活動の専門化も見られない」。

 

 「小規模血縁集団がつぎに移行する社会は、サービスが『部族社会』と定義した社会であり、それはより規模が大きく形態もより複雑な、数百人の局地的な集団で構成される社会である。しかし、部族社会も依然として成員はだれもが顔見知りで、見知らぬ他人はいない程度に集団の規模が限定される。

 数百人規模の社会ということは、数十の家族がいて、それがときに氏族(クラン)という血縁集団にわかれる。氏族間では交換婚が行われていたかもしれない。部族社会は小規模血縁集団より人口が多いため、狭い地域でより多くの人間を養うためにはさらに多くの食物が必要になる。そのため部族社会はふつう農耕民または牧畜民、もしくはその両方を兼ねている。部族社会は定住する傾向があり、畑や牧草地や漁場の近くに作った村でほぼ一年中生活する。

 その他の点では、部族社会は依然として、規模が大きい小規模血縁集団によく似ている ―― たとえば、比較的、平等主義であること、経済活動の専門化が進んでいないこと、政治的指導者の存在が希薄であること、官僚がいないこと、一堂に会して意思決定をすることなどである。

 なかには弱いリーダーとして機能する『ビッグマン』が存在する部族社会もあるが、そのビッグマンはだれもが認める権威を持つわけではなく、人を説得する力や人柄の魅力で社会を導く」。

 

 「部族社会はつぎの段階として、数千人の人口を抱える、複雑に組織された首長制社会(チーフダム)へと移行する。首長制社会では人口が増えるうえに経済活動が専門化しはじめることから、食糧生産にたずさわらない首長とその親族や、官僚などの専門職を養えるよう、食料の生産性を上げて余剰作物を生み出し、それを貯蔵する能力が欠かせない。そのため、首長制社会では貯蔵施設を備え、人が定住できる村や集落を作り、その大半で農耕や牧畜により食料を生産していた。

 人口数千人の社会では、成員全員と顔見知りになったり、全員が一堂に会して議論したりすることは不可能である。その結果、首長制社会は、小規模血縁集団や部族社会にはなかったふたつの新たな問題に直面する。ひとつめは、首長制社会内の見知らぬ他人同士が互いに顔を合わせたとき、相手は個人的には知らないけれど同じ首長制社会内で暮らす同胞だと認識でき、なおかつ占有地を侵したかどうかで緊張が高まって争いに発展することがないようにしなければならない点である。そのために首長制社会では、共通のイデオロギーと、首長の神権的地位から派生した共通の政治的・宗教的アイデンティティを保持することが多くなる。ふたつめは、首長制社会には首長というだれもが認める指導者がいて、その首長が意思決定をし、みなが認める権威を有し、必要であれば社会の成員に武力を行使する独占的権利を持つ点である。首長はこれにより、同じ首長制社会に住む見知らぬ者同士で争いが起きないようにしている。

 首長を補佐するのはさまざまな業務を遂行する専門化していない役人(官僚の原型)で、貢物を集めたかと思えば争いを仲裁し、その他の管理業務もこなしていく。

 首長制社会における経済的イノベーションは、『再分配』である。個人が直接、物々交換をするだけではなく、首長が食料と労働という貢物を集め、その多くを首長に仕える兵士、聖職者、職人に再分配するのである。つまり再分配は、各種の新しい機関や制度を支える課税システムの初期形態といえる。また貢がれた食料の一部は庶民にも還元される。そのため、庶民は記念碑や灌漑設備などの建造において首長のために働き、首長は飢饉の際に庶民を支える道義的責任がある。首長制社会では、小規模血縁集団や部族社会では現れなかった政治的・経済的イノベーションに加え、制度化された不平等という社会的イノベーションのさきがけも現れた。部族社会の中にも特別な家系(リネージ)が存在した社会はすでにあったが、首長制社会ではその家系が世襲される。首長一族を頂点として、底辺に庶民や奴隷がおかれる。

 階級が高い家系の成員は、首長のもとに集まった貢物のおかげで食料や住居、特別な衣服や装飾品を得て、よりよい生活を送ることができた。

 考古学者たちは、首長制社会は紀元前5500年ごろまでには局地的に成立していたと推論している」。