断章230

 「現代とは一方では、近代から継承した『自由』と『豊かさ』を尊重する社会であり、他方では、その『自由』と『豊かさ』を人為的に維持・増進するために諸種の介入・保護・誘導・統制が導入された時代でもあります。自由と介入とは一見するなら相容れませんが、これら両面を有することが現代の特徴です。矛盾する2つの原理を調和させながら、人びとの『自由』と『豊かさ』を、社会として意識的に追求してきた動態が現代という時代」(小野塚 知二)だという。

 

 すなわち、資本主義とは、頑張って働けば、豊かになれると人々に約束する社会である。それは、企業・個人が、〈市場〉(=マーケット)で競争をくりひろげるシステムである。〈市場〉が「自由で公正」であるほど、早く大きなイノベーション・生産性の向上・経済成長が実現される。

 しかし、競争とは、本質的に弱肉強食・優勝劣敗である。〈市場〉のメカニズム、〈市場原理〉の下では、没落・倒産する企業、失業・零落する個人が出てくることは避けられない。〈市場原理〉は、生産力の飛躍的な向上に大いに役立つが、その裏面は富の偏在であり富の集中なのである(光には常に影が付き従う)。

 恐慌時やバブルが破裂すれば、おびただしい倒産・失業が発生し、社会的な混乱が起きる。それを回避しようとして、国家が諸種の介入・保護・誘導・統制をするようになったのである。

 その結果は、巨額の財政赤字、政財官の癒着、既得権益の蔓延、資産バブル、格差拡大、経済停滞などであり、あるいは重税国家(デンマークの消費税率は25%、国民負担率は約70%である。なお日本の国民負担率は約50%)である。コロナ禍も相まって、世界中の国々が困難な状況に逢着している。

 

 この状況を抜け出す道は、共産主義革命ではない。

 というのは、「生々流転、無限なる人間の永遠の未来に対して、我々の一生などは露の命であるにすぎず、その我々が絶対不変の制度だの永遠の幸福を云々し未来に対して約束するなどチョコザイ千万なナンセンスにすぎない。無限又永遠の時間に対して、その人間の進化に対して、恐るべき冒涜ではないか。我々の為しうることは、ただ、少しずつ良くなれ、ということ」(坂口 安吾)だからである。

 共産主義(地上の楽園)実現の実践において、「われわれが見出したのは、第1に『否定主義』。実現されるべき肯定的なものの明確なヴィジョンよりも『とりあえず打倒』という情念。第2に『全体主義』。社会の理想の実現のために特定の政党や指導組織に権力を集中し、思想言論の統制を行なうことが必要であるというイデオロギー。第3に『手段主義』(引用者注:あるいは利用主義)。未来にある『目的』のために、現在生きている人々のそれぞれに一回限りの生を手段化する(引用者注:利用する)、という感覚である」(見田 宗介)が、それらがもたらしたものは、陰惨な全体主義支配だったからである。

 

 改革は一歩一歩着実に!

 当面、富裕層への資産課税を強化して財源を確保し、AIやICTやロボットに対応できる有意義な「科学技術教育」(さらに職業職種転換訓練)への投資を、また中低所得者層の可処分所得が増えるような実質的減税をすべきである。