マルクスは、近代市民社会を解剖して、それを動かしているエンジンである資本制生産様式の機能・構造・終焉を明らかにした、と主張した。
マルクスの言葉を借りれば、「私の業績に関する限り、近代社会における階級の存在を発見し、さらにその階級闘争を発見したことは、なんら自分の貢献ではありません。ブルジョワ歴史家がすでに私のまえに、この階級闘争の歴史的発展を暴露し、ブルジョワ経済学者はこれら諸階級の経済的解剖を試みていたからです。私があらたに成しとげた業績は、つぎの点を明らかにしたことにあるのです。⑴ 諸階級の存在は、生産の発達に制約された特定の歴史的諸闘争にのみ関連している。⑵ 階級闘争は、必然的にプロレタリアートの独裁にみちびくこと。⑶ この独裁はすべての階級が廃絶される無階級社会への過渡期を構成するにすぎないこと」を、主張したのだ。
マルクスの「コミュニズム=地上の楽園」と、それに至る唯一の道、すなわち、「敵のせん滅をめざす非妥協的な総力戦であるブルジョワジーとプロレタリアートの融和なき階級闘争は、否応なく必然的にプロレタリアートの独裁にみちびく」という根本思想は、ドイツ社会民主党・第二インターナショナルにおいては、“伏せられ”、“人目につかないようにされ”、“ひそかに”語られていた。
第一次世界大戦の惨禍と第二インターナショナルの破産という暗黒の舞台でスポットライトに照らされたのは、レーニンとロシア社会民主労働党(ボリシェビキ)だった。
第一次世界大戦に寄せて、レーニンは、こう書いた。「帝国主義と帝国主義戦争とがつくりだす袋小路から人類を脱出させることができるのは、プロレタリア革命だけである」「プロレタリアートの社会革命は、生産手段と流通手段との私的所有を社会的所有に代え、社会の全成員の福祉と全面的発展とを保障するために社会的生産過程の計画的組織化を実施することによって、諸階級への社会の分裂をなくし、こうして抑圧されている人類全体を解放するであろう」。
本当の危機の時代、「動乱の時代に突入して、すべての人間が方針を失い、おろおろとあわてふためき、右往左往している。まさしくその時に、ある人物が、一人立ち上がって、衆目の中、こぶしを高く掲げて、大音声をあたりに轟かせて、きっぱりと宣言してしまう力。それこそが、まさしく政治の力というものである」(副島 隆彦)。
第一次世界大戦のむせかえるような血と硝煙の匂いのなかで、極論すれば、レーニンとロシア共産党(社会民主労働党から改名)だけが、マルクスの理論の核心を公然と宣伝したのである。
では、それからどうなったのか? それはなぜか?