断章534

 日本共産党とは何か? その過去から見えること。

 1970年に出版された『日本革命とマルクス・レーニン主義』(日本共産党中央委員会出版局)という小冊子がある。「はしがき」には、「本書は、この二年間に党綱領とマルクス・レーニン主義の創造的適用・発展の問題についてなされた演説と論文を収録したものである。70年代の展望をきりひらいた第11回党大会の新しい路線の実践のためにも、また共産党に関心をもつ多くの方がたに日本共産党の真の姿を知っていただくためにも、本書がひろく読まれることを期待したい」と書いてある。

 わたしは、日本共産党のこれらの過去文献が“たまには”読まれることを期待する。日本共産党に関心をもつ多くの方がたが、日本共産党のシンの姿を知るために。

 

 この小冊子の最初に置かれているのは、1968年5月にベルリンで開かれたドイツ社会主義統一党中央委員会主催のカール・マルクス生誕150周年記念集会における、日本共産党中央委員会代表・沼田 秀郷中央監査委員の「マルクス主義とわれわれの時代」という発言原稿全文である。

 「ドイツ社会主義統一党は、ドイツ民主共和国(旧・東ドイツ)においてマルクス・レーニン主義を掲げた共産主義政党で、駐留ソ連軍の後押しを受けながら、事実上の一党独裁制を敷き、1968年には、憲法第1条で公式に“国家を指導する党”と規定された。東欧“社会主義”諸国の共産主義政党の中でも特に親ソ連の立場が強かった」(Wikipediaを再構成)。

 

 旧・ソ連には、“収容所群島”があった。

 アレクサンドル・ソルジェニーツィンは、「1917年の革命後、ロシアを支配した残忍で非人間的な政治体制にまつわる痛ましい物語」を書いた。

 「北極圏下の白海に浮かぶソロヴェツキー諸島は中世以来、ロシア正教の聖地であった。ロシア革命後の1923年から、ここに人知を超越した悪魔が住み着き、1939年までの16年間、絶滅収容所としてスターリンに利用されたのである。あらゆる拷問、虐殺の方法がソロヴェツキーで編み出され、やがてソビエト全土に癌瘍のように繁衍し、収容所群島の体を為していった。人類史上稀なる国家犯罪の詳密は、至妙な隠蔽により、今日現在に至るも、闇に葬り去られたままである」(『収容所群島』の出版社紹介文)。

 

 1949年頃から、東欧“社会主義”諸国は自国民の西側への脱出を阻止するため、鉄条網や溝、コンクリート製の壁などさまざまな障壁(いわゆる鉄のカーテン)を、人々を服従させてその内側にとどめ、自由を外側に追い出す目的で造り始め、これらの障壁は、警報機や見張り塔、兵士の配備などにより管理された。

 特に親ソ連の立場が強かったドイツ社会主義統一党が支配した東ドイツの“鉄のカーテン”は、「鋼鉄で補強された高さ10フィート(約3メートル)のフェンスが延々と連なり、越境を防止・検知するための通電されたワイヤーで覆われていた。フェンスの向こう側には道路が敷設されていた。東ドイツ国境警備隊軍用車両が走行し、そばの土壌で足跡の有無を確かめていた。急斜面の溝も掘られ、脱出を試みる車の進入を阻んでいた。溝の先には2つの柵があり、その間は100フィート幅の地雷原になっていた。ここをくぐり抜けたとしても、その先300フィートに及ぶ荒地を無事に越えなければならなかった。丸腰の市民たちが東ドイツ国境警備隊に撃たれる姿を何人もの部隊(注:西ドイツ駐留アメリカ第二機甲騎兵連隊)の同僚たちが目撃した」(H・R・マクマスター)。

 「これは恐ろしい体制だが、……とうとう1989年11月9日に崩壊した。取り乱した共産党の一人の政治局員が東ドイツの国民はすべての国境検問所を通過してこの国から『永久に脱出』できると告げた。コーブルクの近くにあった検問にも人々が押し寄せ、警備員たちは退き、開門した。何百人、何千人、やがて何万人もの東ドイツの国民が各検問所に殺到し、国境を越えていった。この日、西ドイツ駐留アメリカ第二機甲騎兵連隊の一部、イーグル隊の偵察員たちは(注:境界巡回)パトロールの途中で数え切れないほど多くの市民に抱擁され、花束やワインのボトルを受け取った。喜びの涙もあった。一方、ベルリンでは市民たちが1961年以来、自分たちの間を隔てていた壁を削り始め、歓声を上げた。やがて壁は倒壊した。東ドイツ政府は衰弱し、消えていった」(同前)。

 

 日本共産党中央委員会代表・沼田 秀郷中央監査委員は、このドイツ社会主義統一党中央委員会が主催した、カール・マルクス生誕150周年記念集会で各国共産党の代表たちに向かって、「同志の皆さん」と呼びかけた。

 そして、あろうことか、この東ドイツの恐ろしい赤色全体主義体制を、「世界各国におけるプロレタリアートと被抑圧民族の革命運動の前進とともに、ドイツにおいてもその歴史上はじめての社会主義国家、ドイツ民主共和国が成立したことは、カール・マルクスの学説がかれの祖国においても実現しつつあることをしめしています」と、スターリン主義者(バカ)丸出しの評価をしてみせた。