断章527

 資本主義(資本制生産様式)は、現代先進国の庶民にかつてない自由と豊かさをもたらした ―― 凡愚なわたしでさえ、幼年期の「ぽっとんトイレ」「五右衛門風呂」の間借り暮らしから、「自動水洗トイレ」「追い焚き機能付きガス給湯風呂」の戸建て暮らしになった。

 とはいえ、光にはつねに影が伴う。

 資本主義(とりわけ初期の資本主義)は、自律的発展拡大の軌道に乗るために、無産大衆・先住民の生き血をすすり、ふらちな悪行三昧にふけった。インテリは抗議し、多くの無産大衆・先住民が立ち上がり反抗した。

 

 やがて、抗議するインテリは、マルクスに出会う ―― 「Boy meets girl 出会いこそ 人生の宝探しだね♪」。

 マルクスは、「搾取と収奪、抑圧と差別、格差と疎外の資本制社会で苦しむプロレタリアートは、やがて(マルクスの思想で)理論武装し ―― 『理論は、それが大衆をつかむやいなや、物質的な力となる』 ―― 、自己と全人民を解放するためのプロレタリア革命に決起し、プロレタリアート独裁を勝ち取り、歴史的必然としてのコミュニズム(=地上の楽園)を実現する」と主張していた。

 1881年マルクスに出会ったインテリのひとり、カール・カウツキー(1854~1938)は、「1882年に、マルクス主義理論誌『Die Neue Zeit』を創刊。1885年から1890年にかけてロンドンに滞在し度々意見交換しながら、アウグスト・ベーベルやエドゥアルト・ベルンシュタインらとともにドイツ社会民主党のエルフルト綱領の策定にかかわった。エンゲルスの死後にはマルクスの遺稿の整理・編集の仕事を引き継ぎ、『経済学批判への序説』、『剰余価値学説史』、『資本論・民衆版』を編集・刊行し、マルクス主義理論の正統的な後継者の地位を確立した」(Wikipediaを再構成)。

 

 マルクスは、“資本主義”(資本制生産様式)の「解剖学」を書いた。しかし、マルクスの叙述(文章)は、勤労大衆にはむずかしいものだった。それもまた、インテリを魅了した。というのは、難解な用語を多用する理論は、それをどう理解・解釈するかというインテリ相互の“神学論争”を呼びおこし、他方で、それを勤労大衆に易しくかみくだいて(単純化・卑俗化して)説明するという、インテリ好みの“メシの種”を提供したからである。

 

 カウツキーは言う。「誰が労働者たちにその運命を呼び起こすのか。誰がブルジョワ化の誘惑に抗して、プロレタリアートの歴史的使命への意識を保持するのか。知識人である。知識人の教義としてのマルクス主義は、それが彼らに委ねる歴史的役割、また自分たちの目でみて偉大そうに映る歴史的役割のゆえに、彼らを魅了するのである。知識人がプロレタリアートへと赴(おもむ)くのは、みずから学ぶためではなく、プロレタリアートを導くためである」。

 「これは、ボリシェビズムを基礎づけたレーニンの『何をなすべきか』における発想とまったく同じである」(レイモン・アロン)。

 

 マルクス主義は、インテリの“世俗宗教”になった ―― たとえば、カウツキーは、自ら編集主幹を務めた「Die Neue Zeit」を足場として、社会主義の最も重要で影響力のある理論家の一人となり、マルクス主義の法王と渾名(あだな)された。

 カウツキーたちインテリは、マルクス(の理論)を“教理”(たとえば、絶対的窮乏化法則)に単純化し、組織構成員に無条件の帰依を要求した。マルクス主義が正しいということは議論の余地のない当然の結論とされ、異論を唱える者は恥をかかされ、追放された。

 21世紀になっても、マルクス主義を信奉する日本共産党反日共系セクトでは、「異論を唱える者は恥をかかされ、追放される」のである。