断章514

 「天空、太陽、元素、人間は、昔あった姿と、その運行、体系、働きを変えてまったく別物になったのではない」(マキャベリ)。だから、「これから起こることのすべてを知りたい人は、これまで起こったことを学ばなくてはならない。いつの時代であっても、世界のすべてのものごとは、過去にも存在してきたのだ」。

 

 こんにちのロシア(皇帝ダース・プーチン)によるウクライナ侵略は、赤色帝国主義ソ連(帝王スターリン)によるフィンランド侵攻と酷似(こくじ)している(プーチンは旧・ソ連KGB出身だから、当然と言えば当然)。

 「1939年8月23日のドイツ・ソ連不可侵条約の“秘密議定書”によって、独ソによる東欧の勢力圏分割が約束された後、ソ連バルト三国フィンランドへの圧力を強め、バルト三国とは軍事基地の設置とソ連軍駐留を含む相互援助条約を結ばせた。フィンランドにも同様に、国境線の変更や軍事基地設置とソ連軍駐留を含む要求を行ったが、フィンランド側は応ぜず、両国間の交渉は、11月に決裂した。

 ソ連は自らの国境警備隊フィンランド軍から発砲を受けたとして、1939年11月30日にフィンランドに侵攻した。明らかな侵略行為に対して国際社会から非難を浴びたソ連は、1939年12月14日に国際連盟から追放されるが、戦争を終結させる上では何らの実効性もなかった。ソ連の指導者スターリンは、実力行使すれば、フィンランドは和平を求めてくるだろうと考え、フィンランド軍のおよそ3倍の兵力を投入した」(Wikipedia)。

 

 幸いにも、フィンランドにはカール・グスタフ・エミール・マンネルヘイムがいた(イギリスにはチャーチル、フランスにはド・ゴール、そしてウクライナにはゼレンスキーが。そして日本には、……)。

 「カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイムは、今日でもフィンランドで偉大な政治家として多くの人々から敬意をもたれている。政党に属さず、利己的な動機なしに行われた祖国への献身、最前線へ赴(おもむ)く勇気、70代後半でも熱心に働く能力、ソ連フィンランドの衝突を見越して備えた外交的遠望がその理由と考えられる。(中略)

 2004年12月5日、偉大なフィンランド人コンテストにおいて、マンネルヘイムは1位に選ばれた」(Wikipedia)。

 1917年ロシア革命後のソビエト連邦の樹立、民主制を脅かす共産主義勢力の台頭による国内の動乱と対立、ソ連による侵略など数々の危機が小国フィンランドを襲ったが、優れた指導者・マンネルヘイムと諦めない心を意味する“シス”という国民性で知られるフィンランド人は、こんにちの独立した自由で繁栄するフィンランドを建設したのである。

 「総人口約550万人で経済規模は小さいが一人当たりGDPなどを見ると、豊かで自由な民主主義国として知られている。フィンランドは2014年のOECDレビューにおいて『世界でもっとも競争力が高く、かつ市民が生活に満足している国のひとつである』と報告された。

 フィンランドは収入、雇用と所得、住居、ワークバランス、保健状態、教育と技能、社会的結びつき、市民契約、環境の質、個人の安全、主観的幸福の各評価において、全ての点でOECD加盟国平均を上回っている」(同前)。

 

 「『ミリタリーバランス』によると、フィンランドは総人口約550万人のうち約28万人を有事に動員できる。また、侵略された場合に抵抗する軍事力を保有するとともに、首都ヘルシンキの地下鉄駅や公共施設などを防空シュルターとして整備してきた。2022年6月9日には、難民を装った送り込みなどロシアのハイブリッド戦争に備えて、フェンス設置など国境警備の強化策を公表した」(同前)。