断章393

 寒村の百姓に欠かせぬもの。それは天気と処世にかかわる「ことわざ」だった。それは百姓仕事と村社会で暮らしていくための生活の知恵であった。それらは土間に続く「小上がり」にある「日めくり」に書かれていた。わたしの亡母は、歩く『ことわざ辞典』だった。「人の口に戸は立てられぬ」「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」「人は見かけによらぬもの」などなどと得意げに話していた。

 亡母が“偉い人たち”の真贋を判断する基準は、お辞儀だった。なぜなら、亡母は、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」を信じていたからである。「お辞儀を見れば、それが心からのものか形ばかりのものかがわかる」と自負していたほどに。

 

 日本の言論インテリは、自分たちには先見の明があると思っており、鼓腹撃壌・気ままな大衆を見れば、「なんでみんな分からないんだ!」と苛立ちを感じて、「反知性主義」だとか「サル化している」と勤労大衆を貶(おとし)める。「実るほど、偉ぶりそっくり返る稲穂」である。

 「知恵ある者や賢い者」「恵まれた者」たちは、ありふれた平凡な貧しく力なき者たち、汗とホコリにまみれて働く者たちのために、「身を低くして」奉仕すべきである。にもかかわらず、日本の言論インテリは、あまりにも尊大で無国籍な言辞を弄(ろう)することが多すぎる。

 もし、昭和前期の「世界大恐慌」「関東大震災」(各地で地震が頻発中)のような暗雲が日本の未来の地平線に垂れ込めているなら、今こそ、弱肉強食・群雄割拠の世界(=社会)において、〈救国救民〉の旗を掲げ、国として〈富国強兵〉〈殖産興業〉、企業は〈イノベーション〉と〈マーケティング〉(注:顧客が真に求める商品やサービスを作り、その情報を届け、顧客がその価値を効果的に得られるようにすること)に、個人は〈勤倹力行〉〈創意工夫〉に努めるという〈戦略〉 ―― 時代を超えてシンプルで普遍的で本質的な〈戦略〉を同胞にわかりやすく忍耐強く訴えていかなければならない。