断章364

 かつての原始共産制社会では、人間は平和に協同して働き、しかも自然と調和して共に幸せに暮らしていた。しかし、私有財産制の発生にともなって「持てる者」と「持たざる者」に分裂し、「資本主義」の成立は、「文明化作用」を伴いつつも、やがて「窮乏化法則」の貫徹を通じて、火宅無常の悲惨な暮らしを勤労大衆にもたらす。

 「前衛党」は、労働者階級(プロレタリアート)を指導して「プロレタリア社会主義革命」に勝利し、「プロレタリアート独裁」を樹立して、国家が死滅し「資本主義」が止揚され私有財産制が廃絶された、より豊かな共同体としての共産主義社会(地上の楽園)の実現に向かって前進する。このことは、ユートピアやビジョンではなくて、歴史的法則としての必然である。ロシア革命や中国革命の成功が、そのことを証明している。

 

 ソ同盟(ロシア)共産党中国共産党、もちろん日本共産党も、「マルクス正統」を自任する者たちは自信満々そう語っていた。共産党という虎の威を借りて、あるいは流行りの“思想”の尻馬に乗って、進歩的「知識人」たちもまた、粗野な「民族共産主義」でしかない「社会主義国家」を賛美していた。旧・ソ連や中国や日本共産党を批判したり疑問を投げかける人を、「反共・反社会主義の歴史に逆らう反動だ」と、ののしっていたのである。

 

 しかし、インテリから「反知性主義」の愚衆扱いされる庶民は、シベリア抑留(Wikipedia第二次世界大戦終戦後、武装解除され投降した日本軍捕虜らが、ソ連邦によって主にシベリアなどへ労働力として移送隔離され、長期にわたる抑留生活と奴隷的強制労働により多数の人的被害を生じたことに対する、日本側の呼称。ソ連によって戦後に抑留された日本人は約57万5千人に上る)や、旧・ソ連、中国の連続した大気圏内核実験の経験などから、冷めた目で旧・ソ連、中国、それらを賛美する日本共産党を見ていた。生活者としての肌感覚で、「共産主義」とは“新しい言葉で語られる古い夢”にすぎない、と知っていたのである。

 例えば、美々しく宣伝された中国の「人民公社」である。「人民公社には、毛沢東の革命家としての“理想”を見ることもできます。それを象徴しているのが、人民公社に設置された公共食堂です。ここでは人々は無償で食事をすることができました。土地や生産手段を共有し、住居や食事などが無償で提供される共産社会の理想を目指したのです」(楊 海英)。

 古代ギリシアプラトン(BC.427~BC.347)の提案は、こうだった。

 「言論による理想国家の建設、それには、⑴ 妻子の共有、⑵ 共同食事を含む公教育、⑶ 戦時・平時を問わず男女の能力のみによる公平な役割分担、⑷ 財産の共有、という要件が含まれる」(『国家』プラトン)。

 きれいは汚い。汚いはきれい。インテリは愚か。愚衆はかしこい。