断章357

 「植物栽培と家畜飼育の開始は、より多くの食料が手に入るようになることを意味した。そしてそれは、人口が稠密化する(引用者注:すき間もろくに無いほど多く集まる)ことを意味した。植物栽培と家畜飼育の結果として生まれる余剰食料の存在、また地域によってはそれを運べる動物の存在が、定住的で、集権的であり、社会的に階層化された複雑な経済的構造を有する技術革新的な社会の誕生の前提条件だったのである。

 したがって、栽培できる植物や飼育できる家畜を手に入れることができたことが、帝国という政治形態がユーラシア大陸で最初に出現したことの根本的な要因である。また、読み書きの能力や鉄器の製造技術がユーラシア大陸で最初に発達したことの根本的な要因である。他の大陸では、帝国も読み書きの能力も、そして鉄器の製造技術も、その後になるまで発達しなかった。あるいはまったく発達しなかった。その根本的な要因もまたここにある」(『銃・病原菌・鉄』)。

 

 例えばウマ(馬)を見てみよう。

 「ヒトは、古い時代からウマを捕食し、あるいは毛皮を利用していたことが明らかにされており、旧石器時代に属するラスコー洞窟の壁画にウマの姿がみられる。

 原種ウマは、原産地の北アメリカを含め、人間の狩猟によりほとんど絶滅した。

 紀元前4,000年から3,000年ごろ、すでにその4,000年ほど前に家畜化されていたヒツジ、ヤギ、ウシに続いて、ユーラシア大陸で生き残っていたウマ、ロバの家畜化が行われた。

 これは、ウマを人間が御すために使うタヅナをウマの口でとめ、ウマにタヅナを引く人間の意志を伝えるための馬具であるハミ(銜)がこの時代の遺物として発見されており、ハミは、・・・馬の家畜化を判断する指標として活用されている。同じく紀元前3,500年ごろ、メソポタミアで車輪が発明されたが、馬車が広く使われるようになるのは紀元前2,000年ごろにスポークが発明されて車輪が軽く頑丈になり、馬車を疾走させることが出来るようになってからである。

 馬車が普及を始めると、瞬く間に世界に広まり、地中海世界から黄河流域の中国まで広く使われるようになった。これらの地域に栄えた古代文明都市国家群では、馬車は陸上輸送の要であるだけではなく、チャリオット(戦車)として軍隊の主力となった。(中略)

 一方、メソポタミアからみて北方の草原地帯ではウマに直接に騎乗する技術の改良が進められた。こうして紀元前1,000年ごろ、広い草原地帯をヒツジ、ヤギなどの家畜とともに移動する遊牧という生活形態が、著しく効率化し、キンメリア人、スキタイ人などの騎馬遊牧民黒海北岸の南ロシア草原で活動した。騎馬・遊牧という生活形態もまたたくまに広まり、東ヨーロッパからモンゴル高原に至るまでの農耕に適さない広い地域で行われるようになった。彼ら遊牧民は日常的にウマと接し、ウマに乗る技術を発明することによって高度な移動・機動の能力を獲得し、ウマの上から弓を射る騎射が発明されるに至って騎馬は戦車に勝るとも劣らない軍事力となった。遊牧民ではないが、紀元前8世紀にアッシリアは、騎射を行う弓騎兵を活用して世界帝国に発展した」(Wikipedia)のである。

 

 「初期鉄器時代における官僚的な軍隊経営の技法の最も熟達した使い手は、歴代のアッシリア王であった。アッシリアは画期的な軍隊組織を発達させた。その内部では個々の構成員に階級(ランク)がつけられていて、階級を知れば自動的に誰が命令を出し誰が服従すべきかがわかるのであった。個々の兵士の装備の標準化、個々の部隊の構成の標準化、能力があれば登っていくことができる昇進の階梯など、軍隊経営ではおなじみの官僚機構的原理は、すべてアッシリアの王たちのもとで歴史に初登場したか、少なくとも標準化されたらしいのである。それと並行して整備された文官の官僚機構もまた、ある作戦のために貯蔵食糧を集めたり、遠距離間の軍隊の移動を容易にするために道路を建設したり、要塞を建設するために労働力を動員したりするのに力を発揮した。

 たしかに、アッシリアの行政上のパターンの多くには紀元前第3,000年紀にまでさかのぼる先例があったが、しかし、それらを定番化したのはアッシリア人なのである。(中略)

 私は次のように言っても誇張ではないと思う。

 その後の文明世界の大部分において、帝国的権力を行使するために用いられ、19世紀まで標準でありつづけた基本的な行政機構は、アッシリア人のもとで前935年から前612年の間に、史上初めて明瞭な輪郭をあらわしたのである。それに加えて、アッシリアの歴代の征服王たちは、軍隊の新しい装備や編成方法を開発する面でも、かなりの創意工夫を見せた。たとえば彼らは、城塞化した都市を包囲攻撃するための、精巧複雑なさまざまな装置を発明し、征服遠征には攻城機械を積んだ輜重隊をひきいていくのがあたりまえであった。総じて、アッシリアの軍事行政全体は徹底した合理性に貫かれていて、そのことが彼らの軍隊を、それまでにこの世に現れた最も強力で最も規律にすぐれたものとしたのである」(ウィリアム・H・マクニール)。

―― 旧日本軍の失敗の本質の一端を垣間見る思いがする。